「それだけの話」にして欲しい

好きすぎて困っている物がある。

それは気を抜くと【バイバイン】のように
どんどん増えて、いつか部屋中を覆い尽くしてしまうのでは無いかと
恐怖すらある。

ぬいぐるみだ。


私は本当にぬいぐるみに目が無い。
その依存性は幼少期から続いていて、
実家のぬいぐるみの数は数えるのも恐ろしいくらいである。
(多分、容易に200は超えてるんじゃ無いかと思う)

幼少期はまだ良かった。
小さなぬいぐるみばかり集めていたし、
大きな段ボールに突っ込めば何とかなった。

今や、求めるぬいぐるみのサイズが
段々と大きくなっている。
只でさえ小さなワンルームである。
これ以上増えてしまうと、床にぬいぐるみを敷き詰めることになってしまう。
(だけど、それを踏んで歩ける筈がない)
既に、自制心との戦いは始まっているのだ。

我が家は元来ぬいぐるみのカーストが上の位置である。
ぬいぐるみは可愛がる義務さえある。
増えて置き場所が無くなったとして、
ぬいぐるみを捨てるという選択肢は微塵も無いのだ。
寧ろ捨てられるべきは人間であってもおかしくはない。
それくらいぬいぐるみは尊重されている。
(母は、地震が起きたらこのカゴにぬいぐるみを入れて逃げなさい、と
カゴまで用意していた位である)

そんな異常なまでに愛する母ではあるが、母はお嫁に行くとき、
大事にしていた虎のぬいぐるみを泣く泣く実家に置いて出たのだと言う。
祖母が持っていくのを許さなかったそうだ。
祖母の価値観は、
「大人になってもぬいぐるみを好きなことはみっともない」
だったのだろう。
なんだかモヤモヤした。

「ぬいぐるみが好き」なことが、精神年齢の低さやみっともなさを謳われることに、なんだか違和感がある。
可愛いから「好き」なだけなのに。
CDや漫画を集めることと、どうして差が生まれてしまうんだろう。

ただ、最近はシルバニアファミリーブームのお陰もあってか、
大人が可愛い物を集めることが、なんら違和感の無い趣向になってきた。
これも一種の多様性だろうか。
受け入れる幅が広がっていて、嬉しく思う。


これからもぬいぐるみを集めることはやめない。
私はただ、大人になろうが可愛いものが好きなのだ。
それだけの話である。



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