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雷様を連れて来る

その日はずっと雨が降っていた。
漸く1日が終わって静かになった頃、
遠くの方から不穏な音が鼓膜に響いた。
低く、世界に不安を掻き立てるようなゴロゴロである。

由香里は枕元の
目覚まし時計をセットしているところだった。

「雷?」

海斗は由香里の顔色が変わったことに気が付いて、
窓を開けて様子を伺った。

音の小ささからして距離は随分遠いようだが、
このまま近付いてくるのは間違いない。

海斗は窓を閉めると、
由香里の頭を優しく撫でた。

「家にいるから、大丈夫」


雷が鳴ると、人は一斉に室内に入る。
雷様とうっかり遭遇してしまわないようにだ。
雷様に遭遇して無事だった人は、
未だに居ない。

2人は家にいる時、
雷が鳴ると
昼でも夜でも一緒に寝ることになっていた。

今日は丁度眠りにつく頃だったので、
海斗は歯磨きをしに洗面台へ行き、
由香里の居る寝室へ戻った。

由香里は座ったまま、
寝室の扉を見つめていた。
薄らと汗をかいている。

「どうした?」

海斗は由香里の元へ近寄った。

「戻って来なかったらどうしようかと思って」

ダブルベットの端に座ると、
スマホを充電器に刺しながら返事をした。

「ちゃんと戻って来るよ」

由香里の顔色は悪いままだった。
先ほどよりも少し、雷が近付いた気がする。


雷の日は、皆恐怖に震える。
雷の翌日行方不明者が出ると、
皆テレビの前で哀れむ。
そうして「あんな日に外へ出るから…」と
口を揃えて話すのである。


由香里が突然話し始めたのは、この時だった。

「私のおばあちゃんは、
雷様に連れて行かれてしまったの」

「え?」

確かに、由香里には母方の祖父母が居なかった。
由香里の母は、物心ついた頃から
母の姉に育てられていたと言う話だ。

海斗は深い理由を聞いたことは無かったが
由香里の母と祖父が仲良く無いことから
疎遠になっているという話はぼんやりと聞いていた。

祖母の話は、1度も聞いたことが無かった。

「たまにニュースでは見るけど、
そんな身近で聞いたことが無かったから…」

海斗は動揺した。

「だけど、私はおばあちゃんが
何処かで幸せに暮らしてる気がしてならないんだ」

由香里は海斗の方へ身体を向けた。

「子どもの頃一度、
会ったことのないおばあちゃんの夢を見たの。
その夢だけは、凄く鮮明に覚えているの」

海斗はその話に興味があった。
2人は寝転がって、
海斗が夢の話を催促した。
由香里は少し嬉しそうに微笑んだ。

「子守唄の代わりね」

そうして話の頭を探るように暫く黙っていたが、
やがて話し始めた。



雷の鳴る夕暮れ、
一人の若い女が立っていました。

雷が鳴って外に出る人はいないので、
彼女は草原の真ん中で、
たった一人で立っていました。

女は名前を小梅と言いました。
静かに涙を流していましたが、
雨に濡れていて、
最早雨と涙の区別はつきませんでした。

「いっそのこと、このまま雷に撃たれても」

小梅は確かにそう思ったのです。

『雷が近付いてくる』

稲妻をここまで近く見るのは、
30年近く生きてもこの時が初めてでした。

滝のように降る雨の音が掻き消されるくらい、
心臓に音が響いています。

小梅は動じませんでした。

ただ稲妻を美しいと思いました。

目の前の大木に雷が落ちたのはその時です。


ピシャッという高い音と共に、
景色が一瞬真っ白になりました。


衝撃で尻餅をついた小梅が
恐る恐る顔を上げると、
先程まで立派に立っていた大木が真っ二つに割れ、
黒い煙を上げておりました。


小梅と一緒に住む夫は、
外に出て行った小梅を追い掛けることはありませんでした。


雷はまだ鳴り続いていましたが、
落雷に満足したのか少し穏やかになった様子でした。

小梅は少しずつ大木に近付きます。

あんなに偉そうに立っていた大木を
一瞬で割ってしまう雷に心が踊りました。

彼女は自分の弱さと雷を、
無意識に対峙していたのです。

子どもを置いて来てしまったことには
薄っすらと罪悪感が湧いていました。
しかし疲れ切っていた小梅に、
最早先のことを考える余裕は生まれなかったのです。

「私も雷に撃たれれば、こんな風に」

彼女は大木をゆっくりと触りました。


「そんな綺麗な女性に雷なんて落とせません」


はっきりとした低い声が聞こえました。

こんな天気で外に出るのは、
自分のように生へ絶望を抱いた者か、
もしくは雷様くらいなものでした。

雷様…。

「こんなに雨に撃たれて、どうしました?」

彼女は声のする方を向きました。

上半身裸の、背の高い男が立っておりました。
どこかで噂に聞いていた通りの姿です。

「雷様…」

小梅は声にして呟きました。

「空から美しい女性を見つけたもので、
つい降りて来てしまいました」

雷様は想像してたよりずっと
人間ぽい容姿をしていました。

体格は細くスラッとしています。

絵本で出てくるような、
赤や青の色では無く、
ただほんの少し赤みを帯びた肌色で
より健康そうに見えました。

「貴女、とても悲しそうな顔をしていますね」

「私はただ、この世に絶望を抱いているだけです」


世の中はハイカラな洋服に夢中だというのに、
小梅は未だ親から譲り受けた着物を繕いながら着古していました。
それは、夫の許しを得られない為でした。

「そんなに美しいのに、悲願しないでください」

雷様は少しずつ歩み寄って来ました。
上半身が裸なことに抵抗に感じ、
小梅は後ずさりました。

「一緒に天界へ行きませんか。
心臓が動いたまま他の世界に行くことが出来る」

雷様が手を差し伸べます。

「僕は、貴女が後ずさったのを見て
まだ生きたい気持ちが残っていると感じました。
死にたい理由は、ここに居るのが辛いからでは?」

小梅は久しぶりに、
考えるという思考が働きました。
雷様は小梅の頭の働きを追い越して
話を続けます。

「僕が連れて行くのは美しい人か、
それとも幸せになる気持ちがある人です。
貴女はそのどちらも持っている」

小梅はその言葉に乗せられて震える手を伸ばしかけ、
再び引っ込めました。

「幸せになる気持ちはありません。
私は子どもを置いて行ってしまうような
無責任な人間です」

小梅はずっと下を向いておりました。
彼の言うことが図星だったと同時に、
今まで衝動的に行動したことに関して
ハッと我に返ったのでした。

「では貴女は何故外に出てきてしまったのですか?」

雷様は、小梅をじっと見つめていました。

小梅は悔しそうに右腕に爪を立てて、
ギュッと握っていました。
小梅が家を出てきてしまったのは、
泣いていた我が子の頬を打ってしまったからなのです。

子どもの幸せの為に夫と暮らしていた筈なのに、
いつの間にか子どもを不幸にしてしまっている自分に
嫌気が差して、逃げ出したのでした。

「空からは、愛する人の幸せを守れますよ。
なんせ今よりずっと広い視野を持つことが出来ます。
貴女の愛娘の幸せは約束します」

再び雷様から手を差し伸べました。

小梅は考えました。

『今、自分が死んでしまった時
娘は誰が幸せにするというのだろうか。
それが一番無責任なのでは無いだろうか。

それならば、
仮に空がどれだけ大変な世界だったとしても、
娘の幸せが保証された方が、
幾らか子孝行になるのでは無いだろうか』

小梅は雷様の手を握り返しました。

雷がピシャッと再び鳴って、
稲妻と共に2人の姿は消えたのでした。


「この話は大きくなってからお母さんにしたのだけど、
お母さんは嬉しそうに聞いていたの。
私の前だったからかもしれないけれど」

由香里の母は、
小梅が生きていると言うことを信じて
嬉しくなったのかもしれない。

「『これで不幸な人生ならば恨んでいただろうけど、
お母さんが幸せに大きく育ったのは、
おばあちゃんのお陰かもね』って、
その時お母さんが言ってたわ」

小梅は決して我が子を捨てる気は無かった。

もしそうだとすれば、
これが本当の話だとすれば、
彼が連れて行ってしまうのは
悲しそうな人を幸せにする為なのかもしれない。

雷がまだゴロゴロと鳴っている。

海斗が暫く静かに考えていると、
隣から穏やかな寝息が聞こえてきた。

由香里は満足したように、
スヤスヤと眠っている。

海斗は小梅のお腹に布団を掛け直した。

由香里のことを悲しませないようにしなければ。


心の中でこっそりと誓いながら
海斗も眠りにつくのであった。


挿絵提供:みゃーむょん
https://instagram.com/wimwim_1616?igshid=1okkus7py0u71

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