見出し画像

猿から進化した話

朝井リョウ著書『時をかけるゆとり』を
2ヶ月かけてようやく読了した。

正確には「2日と1ヶ月29日」といったところである。
この本は、私のnote友達(略してノー友)の和三盆さんにお勧めして頂き手に取ったのだが、
これがとにかく面白かった。
面白かったので、ひたすらとページを読み進め、あっという間にラスト10ページが来たところで、私はそっと本を閉じたのだった。

あと10ページ読むと、この本は終わってしまう。全てを知った私になってしまう。

悪い癖である。
こうして私は、約2ヶ月もの間、本を熟成させてしまったのだった。

この行動には身に覚えがあるのだ。
美味しいと思ったお菓子が残り1つになったとき、私は何となく机の上に置いて放置してしまう。
この1つがラストだから。
これを食べると、全てが終わってしまうから。
目の前しか見えていない阿呆である。

私はもう社会人なので、
目の前のお菓子を増やす方法だって知っているのに。
なんならそのお菓子を深く調べて、他の味を試したり、店の場所を調べたり、その方が美味しい世界はどんどん広がるでは無いか。

朝井リョウの本が面白いのならば、すぐさまその一冊を読み終えて、他の本を読んだ方が余程知識が増えるでは無いか。
元も子もないことを言えば、なるべくひとまとめで読んだ方が、大抵の本は奥行きがあるといったところである。

私はどうやら、終止符を打つのが苦手なようだ。

最近はというと、こういうとき勢いって結構大事なのだなと思う。
会社内や友達から貰ったお菓子は、その場で頂くように意識付けてみた。
そうするだけで、ついつい放置してしまうという惰性の心配は無く、終止符を打つことに対する惜しみなんて、持つ暇すらない。

それだけのことだ。
愛着が湧きすぎて手放せなくなったブランケットが全てを物語っているというのに、
私はつい色んなことに執着してしまうのだ。

私は勢いで朝井リョウの第2のエッセイ『風とともにゆとりぬ』を買った。
ネットショッピングとは優秀なもので、
翌日には郵便ポストに入っていた。
帰りが久々に待ち遠しかった。
私の本に対するハードルは、最高潮にまで上がっていたのである。


10日後。
私はまだ、その本を開けずにいる。
だって1作目が余りにも面白かったので、
読み始めるのが惜しいのだ。

読まなければ内容が分からないという当たり前のことを始められず、
私は今も猿のように、
じっと表紙を眺めているのである。


和三盆さんのnoteはコチラ
(最近のオススメ記事です)

https://note.com/bom_w/n/nb95c18ca4140



よろしければサポートをお願い致します!頂いたサポートに関しましては活動を続ける為の熱意と向上心に使わせて頂きます!