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物は言いようで。

どうやら私は「ビジュアル」よりも「内面的性質」に惹かれることが多々あるようで、
私が好きになる芸能人やドラマの登場人物は、
大体捻くれている。

そんな私が日本で一番好きな芸能人は、
オードリーの若林氏だ。
(彼に関しては見た目も可愛いと思うが、一番と謳っているのでその辺りは許して欲しい)

コンビの片方を名指しするのは、ある界隈ではタブー視されているので
小声で言ったつもりだけれど、
私が日本で一番好きなお笑い芸人はオードリーなので、
スムーズに話を進める為に、今回はこの形で許して欲しい。

それからcreppynutsのDJ松永氏とか、
最近アマゾンプライムで見た『凪のお暇』では
高橋一生演じる慎二にどハマりした。

彼らは自他共に認められた「捻くれキャラ」「こじらせキャラ」で、
私はそんな彼らに夢中になる。

それは何より、共感できるからである。
この共感は、セリフとか言葉単位では無くて、
最早価値観、人生単位である。

「若林の言うことに共感できる」
と言うと、大体の人は
「え、あんなに捻くれているのに?」と思う筈だ。
これは悪口とかでは無くて、キャラクターとして成立しているから。

そもそも私が共感できるのは、
世間の流れや人間の傾向とか、はたまた自分自身に感じる自意識だったり
捻くれと言う名の【繊細さ】の面である。

私も多分、表には出さないようにしているが、
そこそこ捻くれた考えを持っていると思う。

世間への流れとかすぐ考察するし、
自意識過剰故に行動出来ないことも多い。
まあ、そう言ったことをこうして文章に消化しているのだけど。

私たちは、「性格が悪い」と思われないように
そういった面は基本的に表に出さないようにしている筈だ。
その点芸能人は、私たちが表に出せない感情を代わりに出してくれている。
繊細な部分をジョークにして、捻くれた感情として吐き出しているけれど、
私はこの2つを紙一重に思う。

繊細故に、人よりも沢山のことを感じ取ってしまう。
だから捻くれてる、なんて言われるのでは無いだろうか?

なかなかそう言ったことを表に出せない私たちは、
そういった芸能人に救われているのでは無いだろうか?
『分かる分かる。
そうやって考えてても、人生楽しんで良いよね?』
と、許容して貰えるような気分になる。
(若林氏は昔、一年がとてつも無く長く感じる。
1日1日が楽しく無いから、やっと終わるんだ、て思う。
と言っていたけれど、今はどうなのだろう)

私は若林氏が大好きだ、と言ったが、
前述した通り、勿論春日氏も大好きである。
オードリーは『繊細と非繊細のコンビ』だから、
ラジオを聴くのがとても面白い。
こうやって若林氏の「捻くれ」を許容出来たのも、
「捻くれ」に否定せず考え方を肯定出来るのも奇跡のバランス故だと思う。
そうやって長年ラジオを聴いてきて、
オードリーの成長とともに、彼ら個人の成長を感じてきた。
若林氏に関してこの成長は、「歳を取ることで許容範囲が増えること」とか、
「今まで出来なかったことの考え方が変わること」とか、
いろんな意味が含まれる。
大人になったなぁ、と。

まあ成長と言うと生意気だけど、
私はこの年月に、確実に救いを得たのが事実である。

捻くれキャラと呼ばれる芸能人は沢山いるけれど、
彼らは私にとってリアルであり、
言葉を借りるなら「人生の先人」なのだ。

似たような繊細さを持つ私にも、
まだまだ人生の救いはありそうな気がする。

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