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ロッケンロールばばあになる方法

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カワイイおばあちゃんになるなんて無理! ならば、ロックなばあさんになればいい!日々のいろいろ、てきとうに更新。
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#日記

気づき

新年あけましたね。 昨日はなんだかすごく「気づき」のある日でびっくりした。きっかけはあるメール。意外な人からの仕事のお誘いだった。やりたいけれどやりたくない。やりたくないけれどやってみたい。本当はどうしたいのか、自分の本心がわからなくなっていた。 決められないまま「よしばな 日々だもん」を読んでハッとする。98歳の美代おばあちゃんのやさしい顔が、昨年亡くなった父と重なった。 父は晩年、認知症になり、おかしなことを言い続けていたが、ごはんを食べられなくなったあたりから、言

死体の横で眠る

もうすぐ日付が変わろうとしていた。 すっかり支度の整った父は、さっきより少し硬くなっていた。死後硬直というやつが始まっている。ドラマなどでよく聞くセリフだけれど、生の人間で見たのは初めてだった。それでも体とベッドの間に手を入れると、まだほんのり温かいのが切ない。 父の体を清め、着物を着つけてくれたケアマネFさんとナースのKさんを見送った。心優しいKさんは泣いていた。毎日通ってくれた訪問看護師さんたちに、もう会えなくなるんだ…。そう思ったら急に寂しくなった。 ケアマネFさ

ちちが死んだあとにしたこと

あの夜には、まだ続きがある。 父が息を引き取ったのは、11月2日pm8:30ごろ。ごろ、というのは、だれひとり正確な時間を見ていなかったから。「たぶん8時半くらいだったよね」ということで満場一致。ひとしきり泣いたり笑ったりしたあと、「そのときが来たら、ここに電話してください」と、いわれていた訪問看護ステーションへ長姉が電話をかけた。 15分か20分か、いつものように自転車でかけつけてくれたのは、敏腕ケアマネジャーのFさんと、緊急の呼び出しで休みの日や夜中にも何度か来てくれ

ちち、逝く 1102night

夜になり、父の容態も変わらないので「一度家に帰ろうか」と考えていたところに来客があった。母の妹である叔母と従妹夫婦が、父の見舞いに来てくれたのだった。今日まで叔母は、父の容態を知りながらも見舞いを遠慮していたのだという。母や私たちが、父の介護以外のことで気を使わないようにとの配慮らしかった。そのかわり電話や手紙(これが毎回笑える!)を頻繁にくれていた。そんな叔母が、その夜に限って突然やってきたのは、なにかの知らせを受けたからだったのかもしれない。 母のきょうだいは誰一人例外

ちち、逝く 1102pm

仕事を早回しで終えて、地下鉄に乗った。今夜は泊りになるかもしれないから、一度家に帰ろうか。と思ったが、そんなことをしている間に逝ってしまったら、たぶん一生後悔することになりそうだからやめた。コンタクトをしたままで眼鏡を持っていなかったし、携帯の充電器も持っていない。おまけに今日に限って薄着で出てきてしまった。ま、いいか。なんとかなるだろう。 実家に着いたのは13:00ちょっと前。母と長姉がお昼ご飯を食べているところだった。父の顔を覗くと、確かにいつもとは少し違う気がする。口

ちち、逝く 1102am

11月2日金曜日。 「仕事が終わったら来てくれる? 今日はいつもと違う」 長姉からLINEが入ったのは、昼までまだ少しある時間だった。いつもは「来なくていいよ」という長姉が「来て」というくらいなのだから、本当にいよいよなのだろう。 その日は朝から仕事で出かける予定が入っていた。仕事は早ければ昼すぎに終わる。そして夕方からは楽しみにしていたライブを観に行くつもりだった。姉たちには「今日は(実家に)行けない。明日行く」と伝えていた。 ライブはやっぱり諦めないと。いよいよと

クワイエット・プレイス

怖い話は大の苦手だったけれど、ナイト・シャマラン監督の『シックス・センス』を観てから「感動するホラー」が好きになった。そして昨日観たのは、予告編からしてすっごく怖そうな『クワイエット・プレイス』。 とにかくこの映画は「映画館で」観てください。ほんとうに怖いけれど、それ以上に感動します。配信とかスマホとかはお勧めしない! もし映画館以外の場所で見るなら、真っ暗にして、静かな環境で、できればひとりで、ぜひ! 始まった直後から、観ている方も「音を出したら死ぬ!」と本気で思って

ひげ

父が退院して2週間。敏腕ケアマネジャーFさんのおかげで、あっという間に万全の体制が整った。あとはサポートしてくれる人たち(訪問看護師さん、往診の医師、ヘルパーさん、訪問入浴の業者さん、介護器具の業者さんなどなど)に助けてもらいながら、なんとか父を生かしていく。 最初の1週間はとにかくぐったり疲れた。ハイになった母は、動きっぱなしにしゃべりっぱなしで、寝たきりの父より上手につきあうのが難しかった。そんな母もようやく落ち着き、わたしたちも泊まり込みはなくなり、今がいちばん静かな

在宅介護はじまる

父が退院して1週間。姉の友人であるケアマネさんのスピーディな手配のおかげで、看護師さんの訪問介護、専門医のリハビリ、医師の往診、週2の訪問入浴が決まり、手が回らない部分を助けてくれるヘルパーさんもお願いできることになった。 たった1週間で、たくさんの方々が父のために動いてくれ、母は何枚もの契約書にサインをした。 私たち3姉妹は日替わりで泊まり込み、父の食事の介助からシモの世話までできる限りのことをした。夜中に高熱が出たり、顔だけ異常に火照ったり、毎日なにかしら起こる父の変

メイバランス

あんなに食いしん坊で、なにがあっても食欲だけは落ちなかった父だが、もうほとんど固形物が食べられなくなってしまった。 昨日姉たちと夕食の時間まで病院にいた。同じ病棟の人たちはみんな、部屋ではなくロビーの大きなテーブルに着いて食事をする。けれど父は車椅子も危険なので部屋食。いつもは看護師さんが介助してくれている。 食事の時間になっても、メイバランス(小さな牛乳パックのような見かけの栄養食)しかこないので、あれ?忘れられているのかな?と思ったら、そのメイバランス1本が1食分だっ

ちちのこと

長く入院している父が、もうすぐ家に帰れることになった。 回復して退院、ならよかったのだけれど、そうではなく、もうどこにいても手の尽くしようがなく、このまま病院で死んでしまうより、帰りたかったであろう家に帰してあげるのが、わたしたちにできる最後のことだと思ったからそうすることにした。 父が認知症になって5年が経った。体が元気なうちに脳の症状がゆっくりとではあるが確実に進んでしまい、このままでは家族の誰かが大ケガするか、もしくは本人が致命傷を負うかどちらかだろうという寸でのと

北海道、大地震

朝起きたら夫がいきなり緊迫した声で「札幌っ、大変っ、すぐ確認!」。なにごとかとテレビを見たら「北海道震度6」の文字。一瞬で血の気が引く。 リビングをぐるぐる3周ぐらいして、あ、そうかケータイ、やっとアタマが動き出し、充電中のスマホを外してLINEを見ると「未読64」。30年くらい仲のいい友達7人のグループライン。メンバーのうちふたりが札幌に住んでいる。開くとふたりの名前がちゃんと出ていた。よかった、とにかく生きてる。 64個のコメントを急いで読むと、体も心も元気そうだが停

今思えば、あれは

そこにいた私たちみんなが、勘違いしていたのかもしれない。 結婚してすぐのころ、とある人気の街に住んでいた。駅から5分、3階建てのコーポ。エレベーターはないが日当たりは抜群。3月の初め。私たちは3階の角部屋に入居した。 始まりは、最初の日曜日だった。通販で買ったいくつかの収納家具が届き、私たちはそれを組み立てていた。ちょうどお昼頃だった。 「あの、うるさいんですけど」 訪ねてきたのは階下の住人。30代くらいの女性。わたしたちはとにかく謝り、今後は気を付けることを約束した

かなしばり

今朝、起き抜けに金縛りにあいかけた。 完全に動けなくなる直前に、せーので全身に力を込めて動いたら、すっと抜けた。危なかった。 たぶん見ていた夢の続き。今はもう連絡を取ることのない昔の友人に、夢でしつこくつきまとわれていた。ねぇねぇ遊ぼうよ。そう言いながら家の中までずかずかと入ってきたのだった。 ひーこわいこわいと思って目が覚めた直後、その元友人(女)が、ドカッと寝ている私にのしかかってきたのだった。すげー重っ! コワイと思う前に重いと思った途端、体が硬直し始めていた