ちち、逝く 1102pm
仕事を早回しで終えて、地下鉄に乗った。今夜は泊りになるかもしれないから、一度家に帰ろうか。と思ったが、そんなことをしている間に逝ってしまったら、たぶん一生後悔することになりそうだからやめた。コンタクトをしたままで眼鏡を持っていなかったし、携帯の充電器も持っていない。おまけに今日に限って薄着で出てきてしまった。ま、いいか。なんとかなるだろう。
実家に着いたのは13:00ちょっと前。母と長姉がお昼ご飯を食べているところだった。父の顔を覗くと、確かにいつもとは少し違う気がする。口を少しだけ開いて規則正しく息をしてはいるが、それはとても弱弱しかった。
お風呂サービスのスタッフさんが入浴前後に記録してくれる血圧の欄には「測定不可能」と書かれていた。えーっと思った。
「でもね、お風呂に入れてうれしそうだった」
長姉がいった。入浴のショックでたとえ何かあっても、訴えるようなことはしない。そう約束して入れてもらったらしかった。
そういえば父の顔は、お風呂上りらしくしっとりキレイになっていて、頬は血色がよく見えた。満足しているのだろうと思った。
「もう時間の問題なんだって」
投げやりでもなく、泣きそうでもなく、フツウの言い方で長姉がいった。いつも来てくれている看護師さんに、そういわれたのだそうだ。わたしは素直にうなづいた。
LINEを見たら、次姉からすごく焦ったコメントが入っていた。
「まってまって~! 私が行くまで待ってて~」
大丈夫だよ、すぐ死ぬ感じでもないから。と返事を送る。気休めではなく、家族全員が揃うまで父は絶対に死なないだろうと、なぜか強い確信があった。実際にそのとおりで、夕方、次姉が実家に着くまで、父はメトロノームのように一定の調子で息を吸ったり吐いたりしていた。ときどき目を開けたが、意識があるのかどうかはわからなかった。
わたしたちは緊張するでもなく、お茶を飲んだりお菓子をつまんだりして、ときどき父の呼吸を確かめながら過ごした。死ぬのを待っているような嫌な時間かと思ったけれど、案外日常と変わらないもので、意味は違うかもしれないけれど「死は生のなかにある」という言葉がぴったりはまる。きっと昔はみんなこうだったんじゃないかなとか思っていた。
すっかり日が落ちても父の容態は変わらず、もしかしたらこのまま明日まで持つんじゃないか…そんな空気が部屋を満たし始めた。
「一度家に帰ったら? 明日また来ればいいよ」
母と長姉がわたしに言った。携帯の充電が50%をとうに切ってしまい、やはり一度家に戻ればよかったかな…と思い始めていた。今ならライブをちょっと観に行くこともできなくはない。どうしようか・・・と迷い始めた時だった。
ピンポーン♪
玄関のインターフォンが鳴った。モニターには叔母と従妹夫婦が映っていた。
・・・つづきます。
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