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日本が「姫氏国」といわれた鎌倉時代

 室町時代の公卿で古典学者の一条兼良は、『樵談治要(しょうだんちよう)』で国を動かしてきた女性を採り上げ、「此日本をば姫氏国といひ、女のおさむべき国といへり(この日本は姫の国といい、女性が納めるべき国といえる)」とまで述べています。
 少し遡って、鎌倉時代の高僧・慈円が記した『愚管抄』でも、北条政子について「女人入眼の日本国、いよいよまことなりけりというべきや(女性が覚醒し、政治力を発揮する日本も、いよいよ本格的になってきたというべきか)」と述べられています。
 

『武士の娘の思考法』(海竜社)

 日本が男尊女卑的な傾向になったのは、むしろ明治民法が施行されてからといっていいでしょう。これにはハッキリとした理由があり、西洋の「良妻賢母教育」を取り入れたためです。
 さらにそのうえで明治民法が制定され、女性が生きづらい社会は決定的となりました。
 歴史のねじれと思想のねじれ。
 明治という時代の矛盾を紐解かない限り、「日本は遅れている」的な見方は、およそ空疎なものとならざるを得ないでしょう。


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