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百匹のサル

 雑誌のコラムを読んでいたら、SCHOOで聞いたことがそのまま書いてあった。

 この著者もSCHOOを聴講していたのだろうか。それとも私はSCHOOの先生から聞いたけど、実はいろんなところで言われていることなのだろうか。SCHOOの先生の本に書いてあるんだろうか。

 真相はわからない。

 著作権というほど深刻な話でもないけど頭の中がもやもやした。
 あれやこれや考えて最後に思ったのは、「誰かが言ったことを自分の話として言うのは悪いことなのだろうか。」だった。

 明らかにネットで検索したプチ情報の羅列といったエッセイもよくあるし、シェアの時代だからいいじゃないかと思える。

 例えば、私は「百匹のサル」という話をしたい。何で読んだか覚えてないから出典は書けないけど、話したくて仕方がない。おとぎ話と同じで誰が言ったかなんてどうでもいいと思えるから、書いてみる。

「九州の小島にサルがいた。一匹のサルが川で芋を洗い始めた。それを見たほかのサルが真似をして、芋を洗い始めた。百匹目のサルが洗い始めた時、日本海側の遠くの島のサルも芋を洗い始めた。」

という話だ。これはどういうことかと言うと、「行動は伝播する」ということなんだそうだ。

 この話を聞いて、私はお百度参りを思い出した。百回神様にお願いしたら願いが叶うという、日本の古い信仰の一つだ。しつこく願う、その意志力があれば願いは叶うと言うことなのかと思っていたけど「百回」という回数に意味があるのかもしれない。

 百回繰り返されると伝播するから、百回願えば神様に届いて、と言うか社会に伝播してその願いどおりに人々が動くようになって叶ってしまう。

 そういうことかなと思った。この話がとても興味深かったから、毎日の参拝も100回を区切りに考えるようになった。

 参拝を始めて100日経った時、私はSCHOOに登録をしていた。そこからNOTEを知ってエッセイを書くに至った。

 実は、今年の星だか月だかの占いでは「今年新しいコミュニティーに参加して人間関係がどっと大きく広がる」と書いてあった。まさに新しいコミュニティーに参加していてビックリした。

 NOTEでは今はまだ発信で精一杯なのだけど、ほかの方の記事を読むのも好き。ハンドメイドのワークショップへ行った時のように、同じ趣味を持っているけど日常では出会えない人たちがたくさんいて楽しい。これからもっと読者としての活動もしていきたいと思っている。占いのとおり人間関係が広がったらと思うとワクワクする。

 それで期待も込めて100回には何かあるとますます思うようになっている。

 現状感謝の参拝を100日終えたとき何が起こるんだろうってワクワクしてた。でもこれと言って何もなかった。私の気分が変わっただけだった。

 現状感謝に加えて今の抱負を語りたくなった。「こうなりたいんです。よろしくお願いします。」と頼むのではなくて、「こうなりたいから、こうします。今日も頑張ります。」とお伝えするようになった。

 ただ、これは続かなかった。三日目に何か違うという違和感が出た。神様にそんな話をするなんておこがましいと思えた。それは例えば、会社のお偉いさんに「今私はこうこうで・・」なんて説明をするのと同じ。そんな話を聞かされたらたまったもんじゃないだろうと思う。毎日そんなことを聞かせていいものかと思い、やめた。

 今はまた現状感謝を続けている。現状感謝の効果は百回ではこの程度だったけど、このNOTEでは百回の効果をもう少し強く感じたことがある。

 百回目の「スキ」をもらってから、読んでもらっているという安心感を持てるようになったのだ。「どうせ誰も読んでない」という心配のようないじけがなくなった。この意識の変化は大きかった。

 エッセイを書くのに力が抜けるようになったし、何より楽しい。

 見てくれた人の数が見れることは、そのあと知った。かなりの人たちが見ていてくれてひっくり返りそうになった。見てくれてありがとう。励みになります。1万ビュー目指して頑張ります。

 参拝の百回の区切りがまた来る。来週の200日目に何か起こるのだろうか。楽しみ。
 NOTEを始めて100日目も来月くる。
 
 いろんな百回目があるから、イベントだらけみたいでウキウキする。

 取りこぼさないように、気づけるように、アンテナを張っておきたい。

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