見出し画像

25 結婚したい女たち 一花の選択

「あれ一人?今日はあの二人来ないの?」
と嬉しそうな実紀に一花は、
「二人とも予定が入っちゃったみたいで」
と平気を装って答えた。しかし週末なのに一人で三人分の畝を世話するのはまるで平日のようだと寂しさを感じずにはいられない。偶然二人とも来られなかっただけ。頭ではそう思おうとしても何故だか胸騒ぎがする。丸かった三人の仲が歪(いびつ)な形に変わり始めているようで。そこへ「ネコは?」と信二がミーちゃんを探しに来た。

「ミーちゃんは今日は来てないの。信二君が会いたがってたって言っとくね」

そこへお父さんの田中さんも来た。

「香ちゃん来てないね。気にしてるのかな。悪いことしたね」

「太一君元気ですか」

「もう松葉杖ついて歩き回ってるよ。じっとしてられない奴で」

「お兄ちゃんも来るって言ってたのに」

「来られるわけないだろ。お母さんとお留守番だ。お母さんと太一の分まで今日は忙しいぞ」

そう言って二人は作業へ戻っていった。去っていく後ろ姿を見ながら一花は思った。まるで別れた夫と息子のようだと。
(今あの二人はこうやって出かけてるのかな)
そんな一花の頭に木の上で泣き叫ぶ光(ひかる)と光を助けようとする空(そら)がフラッシュバックした。「痛い痛い」とのたうち回る太一(たいち)の叫び声はまるで蛇がうねるように頭の中を這いずり回った。

嫌なものから目を逸らすように田中親子から視線を外し香とお琴のいない畝をみつめた。前回までが嘘のように静かな畝には育ち始めた野菜がちょこんちょこんと並んでいる。
(香が来ないのはわかるけどお琴まで来ないなんて)
と心もとなく突っ立っている一花の後ろで、
「オレが九字切りをしなかったからだ」
と壮太がつぶやいた。意外な言葉に驚いて振り返ると壮太も香とお琴の畝を見ながら立っていた。

「あの日の朝九字切りをしなかったんだ。香ちゃんは悪くない」

壮太はあの日到着すると既に畑で作業をしている香たちを見つけた。それですっかり九字切りのことなど忘れて畑へ直行したのだ。壮太の言っている意味の分からない一花に壮太はこう続けた。

「九字切りをしないと誰かが怪我をするんだ」

二年前壮太の働く介護施設の調理場で火災事故が起こった。ガス台の一つから大きな火が上がり仲間の一人が炎に包まれたのだ。全身を火傷する痛ましい事故だった。それからは炎に敏感に反応する人もいてみんなびくびくして働くことになった。ピリピリと張り詰めた雰囲気の中で調理をしているとそれは出来上がった料理の味にも出るようで食べ残す人が増えた。作る者として食べてもらえないことほど辛いことはない。調理場の雰囲気はますます暗くなった。

ちょうどそんな頃に壮太は九字切りが場を清めるから安全祈願になるという呟きをツイッターで読んだ。手を振るだけでみんなが安全に働けたらどれだけいいかと、信じたいだけの気持ちで仕事の前に調理場で九字切りをするようになった。

初めはほんの気休めだったのだけど偶然とは思えないほどに壮太が休みの日や九字切りを忘れた日に限って誰かが指を切ったり瓶を割ったり滑って転んだりとよくないことが起こるのだ。次第に九字切りの効果を信じる心が強まった壮太は仕事終わりにもするようになり休みの日にも自分の部屋で職場の安全を願いながら九字切りをするようになった。

そしてこの農業体験でもたくさんの人が集まって慣れない農作業をするのだからみんなが安全に作業できるようにと大きなパワーの在りそうな樹齢四百年の大楠(おおくすのき)の下でその霊力を借りて九字切りをしていたのだ。なのにあの日はつい忘れてしまった。そしたら一花は猫に引っ掻かれるは太一は足を骨折するは大惨事の日になってしまった。壮太は自分を責めたし恥ずかしく思った。職場では会えない年が近くてかわいい女の子香に気を取られてこんなことになってしまったと。

そんな壮太の心も知らない一花はみんなの為に毎日朝晩九字切りをする壮太をステキだと思った。一花も朝晩瞑想をしている。でもそれは自分の心を安定させるためだ。変な人と思われるのも構わずみんなの安全を祈る壮太が自分なんかとは違う上等な人間に思えたのだ。とそこへ、
「一花ちゃん、怜さんって知ってるでしょ」
と実紀が来た。怜さんは三波さんのお友だちで一花が毎週自宅へ行ってヨガのプライベートレッスンをしている人だ。驚いたことに実紀がご主人と開いている瞑想会に怜さんが参加していると言うのだ。
(怜さんが実紀さんと知り合いだなんて。なんて世間は狭いのよ)
と奇妙な縁を感じる一花に実紀はもっと驚くことを言った。

「次の瞑想会でヨガのレッスンをしてもらえない?瞑想の前にヨガをしたいよねっていう話になったのよ」

ヨガで体をほぐして全身をリラックスさせてから瞑想をするのは瞑想としては理想の流れだ。一花はやってみたいと思ったけれど即答はできなかった。お世話になっているヨガスタジオのことが気になったからだ。スタジオ以外でのレッスンは厳禁という契約なのにプライベートレッスンを始めているしそのうえ人の集まる瞑想会でレッスンをするなんて。

「どのくらいの人数が集まるんですか?」

「多くて十人くらいよ。必ず来る人は五、六人。壮太君もどう?」

突然話をふられた壮太だったが快くOKを出した。それを聞いた一花はやることにした。男性も来るとなるとやりがいがある。一花の働くヨガスタジオは女性専用だしプライベートレッスンの生徒は女性ばかりだ。一花は男性にヨガを教えたことがない。ヨガインストラクターとしての力量を上げるためにも男性へのレッスンも挑戦していきたい。
「いいですよ。マットの準備は各自でしてもらわないといけないけど」
と引き受けると「ありがとう」と不愛想で滅多に笑わない実紀が破顔した。

畑作業を終えて帰る道すがら一花は悩んだ。いつもならすぐにあの二人を誘うけどでも今回はどうしよう。実紀の主催する瞑想会に香を誘っても畑に来なかった香には断られるような気がする。一花はそれが怖かった。なぜだか実紀と気の合う一花は自分が実紀という磁石に吸い寄せられているように思えるのだ。実紀と香は磁石のSとN。実紀に近づけば近づくほどに香は遠のいていく。断られたらそれは気のせいではなく確信へと変わってしまう。香を誘うことをためらう一花はお琴にだけ声をかけることもできなかった。(お琴が畑に来た時に話せばいっか。きっとお琴が香にも声をかけるだろうしお琴から誘われたら香は来るはず)
と考えた一花は瞑想会のことを二人に言わなかった。

ところが最悪にも瞑想会までにお琴が畑に来ることはなかったのだ。


つづく


【次話】


【前話】


小説「梅すだれ」を連載中です!皆様の支えで毎日の投稿を続けられています。感謝の気持ちをパワーにして書いております!