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12‐2 梅すだれ 肥後の国
「焼いたの一匹もらうわ。ええ黒曜持ってるな思て。どうやって手に入れたんや?」
猿彦は魚を一匹串に刺して焼きながら答えた。
「西野原の石丸から貰ったと。」
「石丸?細工師の息子か?」
「石ちゃんを知っとると?」
「細工を頼んで来たばっかや。何丸やったかな、あそこの息子も一人死んだ言うてたなあ。」
石ちゃんは三人兄弟の真ん中。兄弟みんなが名前に「丸」がつく。心臓が止まらんばかりに猿彦は驚いた。
「西野原も赤痢になったと?」
「西野原は少ない言うてたけどなあ、何人か死んだ言うてたわ。おい、焦げるで。」
呆然自失の猿彦は魚どころではなかった。男は自分でヒョイと魚を取って、魚代として六文を渡した。
「天野原はまた帰りに寄るで、伝言あるなら言うたるで。」
「サルは元気とっと。」
「おまえサル言うんか?サルが魚を焼いとんのか!おもろいで忘れへんわ。」
うひゃひゃひゃと笑いながら、男は行ってしまった。
そのあとのことは記憶にないほどに、猿彦は気が動転していた。
(石ちゃんが死んどったら、おいはどうすればいいと?)
自分だけ別の国で生きているなんて、そんなことは許されない。ますます生きることに自信がなくなっていく猿彦であった。
その日から、憧れていたあの大きなお城を見るのが嫌になった。天野原のことを思い出してしまうのだ。何をしても許される巨大な権力。人間を虫けらのように殺したって、のうのうと生きている。
売れば売っただけ売れる順調な魚売りだったが、城下町にいるだけで気が重くなるようになった。城下町の通りを歩いていくのは、町人と武家人たち。農民と違って町人は華やかな着物を着ているし、武家人は刀を差したり髪を結ったりしている。見るからに違う種類だとわかるようになっていた。
初めはそんな違う人たちと対等に商売ができるこの城下町が好きだった。しかし、自分が思っているような「対等」ではないのだ。
お金のことなんてわからない猿彦の魚は、買っていく者たちが勝手にお金を払っていく。相場は小さい魚で一匹五文。しかし、腸を取ったり切り身にしたり焼いたり、注文どおりに手を加えれば金額を上乗せして払ってくれる。気前のいい人は十文も払ってくれた。そして奇跡的に決して五文よりも少ない金額を払う人はいなかったのだ。
なぜなのか。
タイが言うには、
「サルが魚を捌いたり焼いたりするから、珍しくて払うと。」
と、見世物扱いになっているという見解だった。
一度、浜次郎が「これで新しい着物を買え。」とお金をくれたことがあった。逃げてきた当時のまんま、猿彦の着物はボロボロだった。海の食べ物はあまり口に合わなくてほとんど食べていないから、やけにやせ細ってもいた。見た目はまるで乞食。しかし、タイが反対した。
「その格好だから、みんながお金を払うと。きれいなお召し物じゃ売れなくなると。」
「おいの魚がうまいから売れると!」
「魚は誰が獲ってもおいしいと。身綺麗なサルが売ったって売れんと。」
「そういうもんか?サル、どうすると?」
「おいはこのままでいいと。」
「ま、好きに使え。」
猿彦は次の日、魚売りが終わると、そのお金で浜次郎一家のための反物を買った。持って帰るとタイは大喜びして子どもたちに新しい着物をこしらえた。
猿彦は初めて「与える」ということをしたのだ。それは初めて感じる恍惚感があった。城下町では最下層の猿彦であっても、浜次郎一家をこうやって喜ばせてあげられる。それで、なんとか生きる気構えを持ち直せたのだった。
ところが次第に売りに行かない日が増えてきた。雨の日が続いたのだ。梅雨入りだった。
浜次郎たち漁師は、雨なら家で漁の道具の手入れをしたり、燻した魚を削ったりした。猿彦は城下町へは行かずに、その手伝いをしてみんなと家で過ごした。
浜次郎は父親を四歳の時に失くしていた。漁に出て、それっきり帰ってこなかったそうだ。浜次郎が言うには、それは「海の神様に気に入られた」からだそうだ。どんなに辛いことでも明るく前向きに考える浜次郎であった。しかし、その一年後には母親も病気で亡くなったそうだ。
兄の浜太郎と二人きりになった浜次郎は、子どものいなかった父親の兄、海太郎夫婦に育てられた。その父親代わりの海太郎が、しょっちゅう浜次郎の家へ遊びに来る。子どもたちに話をしに来るのだ。浜太郎夫婦と同居している海太郎だから、自分の家にも子どもはいる。しかし、まだ赤ん坊だった。
それで話を興味津々、真剣に聞いてくれる浜次郎の子どもたちを相手に、朗々と物語を語るのだった。
その話はいつも五十年前の武将から始まった。
「この熊本は、清正公あっての熊本と。」
清正公とは、あの大きなお城を建てた熊本藩の初代藩主、加藤清正のことで、この熊本を流れる暴れ者、白川の治水を成し遂げたお偉い御方。そんな清正公のおかげで肥後の国の北部は、今のようにたくさんの人々が安心して住める大きな町になったのだそうだ。
「今おいたちがこうして生きていられるのも、清正公のおかげと。」
海太郎は清正公を神様のように尊敬していた。
あの大きなお城を建てる人は、それに見合った立派な人だった。それは猿彦にとって、山を逃げ出してしかも海で生きることも出来ず路上で魚を売るしか能のない自分は、道端の雑草と同じ存在だと告げられているようだった。
惨めさが降りしきる雨のように滔滔と猿彦に流れたのだった。
つづく
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