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イエスの「エッセネ派」  エッセネ派における「智慧と愛(慈悲)」

ふと思いついたことの走り書き。あくまでスピ系の与太話、余興です。
#思索の備忘・メモ

BGM:バッハ「BWV 226: Der Geist Hilft Unser Schwachheit Auf」より

最近のnoteは瞑想やヨガの話から離れていたなぁ↓↓

#時事

#Novel風邪・風邪予防対策


イエスの特殊なグループ?

 スピリチュアルではイエスは特殊なグループに所属していたという意見があるようです。
有名なのが、神智学やその影響を受けた人たちの言う「ホワイトブラザーフッド(聖白色同胞団)」です。

 他には「エッセネ派」が有名だと思います。
欧米のスピ界隈では「前世療法」「前世退行催眠」や「透視リーディング」「チャネリング」といった界隈でもエッセネ派が話題になることがあるようです。


私は詳しい経緯はよく知らないのですが、スピ系でエッセネ派についてよく言及したのが、とくに、早い時期に言及したのが、デタラメな予言などで有名な「エドガー・ケイシー」の「透視リーディング」のようで、これも欧米スピ界隈におけるエッセネ派説の大きな源流の一つになっているようです。



エッセネ派

 エッセネ派については、歴史家ヨセフスの「ユダヤ戦記」に言及されていて、また思想家・哲学者のフィロンも言及しているようです。
古代ローマの大プリニウスの「博物誌」にある「エッセネ族」はエッセネ派のことであるという説が有力です。

 現代の学術的な研究では、エッセネ派なるものはあったとされているようなのですが、よく分かっていないことも多いようです。
「クムラン教団」はエッセネ派のグループの一つとする説もあるし、エッセネ派ではない別のグループだという説もあるようです。


 欧米スピ界隈では「透視リーディング」や「私は前世でエッセネ派にいた」と主張する人などによって、好き放題に言われています。

イエスの「父母」のマリアもヨセフもエッセネ派で、洗礼者ヨハネもエッセネ派だったなどいろいろと言われています。

エッセネ派は秘密主義的な秘教集団だったというのもあるようです。

 一方で他の地域の宗教思想・集団ともつながりがあったというのもあります。
たとえばイエスの誕生時に礼拝しにきた「東方の三博士(三賢者)」は、エッセネ派と交流のあった他のグループの人たちで、インド人やペルシャ人、エジプト人、ゾロアスター教徒だったなどいろいろ言われています。

 エッセネ派と交流のある他の地域、伝統の霊的グループの人たちが、「天体の星の配置(占星術)」や「サイキックな能力」を用いて、「偉大な霊的指導者」の誕生を察知して礼拝しにきたなどと言われています。
なかなかロマンチックな話です。



「秘儀・密儀グループ」説

 この瞑想する人noteでは、「イエスの神話」の形成に関わったグループがあったのではという妄想をしばしば述べてきました。

関連note:瞑想する人 note「エッセネ派」

そういったグループがあったのなら、それはエッセネ派だったと妄想するのも面白いでしょう。
「ホワイトブラザーフッド(聖白色同胞団)」は神智学のブラヴァツキーによる創作虚言っぽいので。


 スピ系の人たちがエッセネ派について、言いたい放題に言っているので、私も何の根拠もない思いつきを述べてみます。


・内的体験を重視するグループ

 エッセネ派は瞑想やリトリート、秘儀・密儀宗教的な実践・体験を重視するグループだったんじゃないでしょうか。
サイケデリクスみたいなのも用いられたのかもしれません。


 旧約聖書と「イエスの神話」(新約聖書、イエスの言行)の思想は違いすぎます。飛躍しすぎに感じます。

イエスの愛の思想は、エッセネ派の思想によるものであり、エッセネ派がこのような旧約聖書から飛躍した思想を形成するようになったのは、「内的体験」を重視する実践によるものだったのではないでしょうか。


 またエッセネ派が他の地域の他の宗教伝統のグループと交流があったという意見が(学術研究でなくて主にスピ系で)あります。
もしそうなら、エッセネ派も交流のあった他のグループも、秘儀・密儀宗教の範疇に入るものかもしれません。

聖典や教義(ドグマ)の字面を追うような信仰ではなくて、内的体験を重視するものだったからこそ、他のグループと交流ができたのかもしれません。


ちなみにWikipediaではエッセネ派はグノーシス主義に分類されているようです。

Wikipedia:グノーシス主義 >> 諸派一覧 >> キリスト教以前

関連note:「グノーシス主義」と神秘体験(宗教的体験) ―― その問題について


・信仰 思想 ―― アガペー、「智慧と愛」

 エッセネ派の信仰では、神の人間への愛がまず根本にあったのかもしれません。
「人間が神を畏れ信仰するよりも先に、神の人間への無償の愛がある」という信仰です。
 哲学、神学の用語で言うとアガペーです。

このアガペーを知り、アガペーのために自らを捧げるというのが、エッセネ派の根本的な信仰実践だったのかもしれません。
そのために「隣人愛」が説かれたのかもしれません。

「エゴ」を放棄する「隣人愛」の実践を通して、神のアガペーを内的に理解するというのが、エッセネ派における「智慧と愛(慈悲)」なのかもしれません。
このような信仰を根本的なものとして、瞑想やリトリート、秘儀・密儀宗教的な方法もなされていたのかもしれません。

キリストの道、キリストのヨーガです。


関連note:【ラムリムにおける統合!?】キリストの道、菩薩の道、バクティ・ヨガ、密教、瞑想 / もし神が存在するのなら、どこに?


ヤブユム(歓喜尊):文殊金剛(マンジュヴァジュラ)

引用元:チベット仏教普及協会(ポタラ・カレッジ)