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苦手な食べ物の不思議|体質ではないだろうか

コンビニまで徒歩15分の田舎に住む長女(小学生)は、毎週のように夫と牛丼を食べに行く。

一方、私と次女はお肉が苦手である。ひき肉は問題ないが、塊肉の脂身が特に苦手である。

私はお肉が苦手である事が、結構コンプレックスである。皆が「焼肉~!」とテンションをあげている中、私は一人サブ料理を食べる。空しい。
食の楽しみが失われている。残念でしょうがないのだが、吐き気すら催すのに、皆が美味しいという事が理解できない。

そんな私は、野菜は基本的になんでも美味しいと思うし、ナスが苦手な夫の気持ちは理解できない。「あんなに美味しいのになぜ?」と。同じくキノコ類の美味しさを理解しない人に首をかしげる。

■「好きなものだけ食べて生きたい」と言い放った同級生

高校の同級生で、野菜全般が苦手な人がいた。親からガミガミと「ちゃんと食べなさ~い!」と怒られていたという。そんな同級生は、親に対し、

「好きなものだけ食べて死ぬならそれでいい!」

と言い放ったのだという。

私は感心してしまった。
確かに、鼻をつまんで嫌いなお肉を喉に流し込んでも、美味しくない。なんとかその場を凌いだだけであり、食事を楽しむ事ができない。
私だって好きなものだけ食べたい。

■食べ物の好き嫌いに関する諸説

食べ物の好き嫌いに関する記事を調べてみた。以下のような記事を参照するに、食べ物の好き嫌いは、体質なのでは?という事である。

背の高さや顔つきが個人毎に違うように、個性の一部ではないだろうか。

一部の記事には発達障害との関係性を論じているが、発達障害とまではいかなくとも、脳機能にも個人差があるので、食べる物に対する感じ方が違うのではないだろうか。

■食事は楽しく、不足する栄養素は別の食べ物で補充する

苦手な食べ物も、細かくなっていれば美味しく食べれるという人は多い。
肉が苦手な私もハンバーグは美味しいと思う。トマトが苦手人もトマトソースは問題なく、ピーマンが苦手な人もみじん切りとなれば問題ない人も多い。

確かにある程度の大きさがあると、素材そのものの旨味を感じる事も可能であるが、同時に素材そのものの、苦み、食感なども感じやすい。

苦手な食べ物を細かく刻む事は、美味しく食べるための一つの解決策である。

そして、苦手な食べ物に含まれる栄養素は、別の食べ物から補う事は可能である。肉が苦手な私と次女は不足しがちなタンパク質を魚や豆腐で補っている。

■おわりに

私の学童期は、給食を完食する事は重要とされ、居残りして食べている人達がいた。今の学校教育では、以前ほどの強制はされなくなったようである。

尚、長女には都会に行く事になったとしても、どんな立場になったとしても牛丼を美味しく食べてほしいと思う。