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"スキル" を磨くことの上滑り感

すべての人がそうだと言いたいわけではない。

思い当たる人がいたら、ぜひ読んでほしい。

思い当たる未来の僕もいたら、絶対によんでくれください。

リスキリング。

大人の学び直し。

そういった言葉が流行り出して、すでに何年も経っている。

もう真新しい言葉ではなくなって、一般に定着したのであろうか。

おそらく、その時にスキルを学び出して、いまでは副業にしている人も多いだろう。

中には脱サラして、フリーランスになった人もいるかもしれない。

何を隠そう僕自身がその一人だった。

だった、と言うからには過去形で、これは過去の話だ。

今は一切、その身に付けたスキルでもらっているお仕事はない。

なぜなら、その身に付けたスキルは上滑りしていて、僕の本来の土台の上には乗っていなかったからだ。

#今日の積み上げ

みたいな形で毎日積み上げていたのに、実際は全く積み上がっていなかったというのは、本当に悲しい。

もちろん、全くというのは言い過ぎだ。

役に立っている部分はもちろんある。

ジェンガのブロックを土台の上に積み上げていたつもりだったが、なぜがそのうちのいくつかは場外に積み上げていた。

そんな感覚が近い。

それも人生だといえば人生だし、やり直せるわけでもないので、とくに不満はない。

むしろ感謝している。

そういった経験ができたことに、有り難みを感じている。

しかし、一方でそうでなくても良かったと思う。

ちゃんと自分の土台の上に、全てのジェンガを綺麗に積み上げていたら、それはそれで感謝していたと思う。

無い物ねだりである。

そして、ねだっても過去は変えられない。

だから、せめてこれを読んでいる誰かと、未来の僕に伝えたいと思って書いている。

"スキル" を身につけることの上滑り。

これは、スキルを身につけることが悪いと言っているわけではない。

むしろ自分の武器になる大事なものだ。

だけれども、闇雲にスキルばかりを身に付けるのは、むしろ不幸になると思っている。

例えば、今流行りのプログラミングスキル。

(ちょっと古いだろうか……。)

プログラミングスキルを身に付けて高級取りになり、フルリモートで働けて、趣味に費やす時間が増えた。

やったー。

しかし、なぜだか心にぽっかり穴が空いたように、虚しさが積もる。

なんだか物足りない。

幸福ではない。

そんなことが度々起こり得る。

僕もそうだ。

Webマーケティングスキルを身に付けて、フルリモートで働けるようになり、田舎にも移住できたものの心が満たされない。

どころか、どんどん鬱になっていく。

なぜだ。

なぜなのか。

その当時はわからなかったが、今ならはっきりとわかる。

ところで、スキルを身に付け始めるときに、どういった理由でスタートしただろうか?

ワークライフバランスをとりたい。

もっと稼ぎたい。

世の中の役に立ちたい。

どれも素晴らしい理由だ。

でも、その理由は自分の価値観、世界観と繋がっていただろうか?

自分の土台の上に積み上がるものだっただろうか?

そして、そもそも自分の土台である、価値観や世界観を認識できていただろうか?

僕はできていなかった。

甘かった。

僕自身は認識しているつもりだったが、それは世間から借りてきた価値観だった。

誰かのレールの上に乗っただけだった。

本来、自分の価値観や世界観というのは、世の中に既にある言葉では表すことができない。

できるとしたら、それは自分のものではない、誰か他の人の価値観や世界観だ。

自分の本当の価値観や世界観というのは、抽象的で混沌としていて、言葉にしようとすると言説を尽くさなければ表現できないものだ。

だから、Twitterではなくこうやってnoteに書いている。

それも、1日に2,000字では足りず、4,000字、6,000字と文字を並べてやっとのことで表現している。

たぶん、それでも半分くらいしか伝えられていない気がする。

そのような混沌とした何かを煮詰めて煮詰めて固めた土台の上に積み上げてこそ、スキルは人生を豊かにしてくれる。

僕の場合、お菓子作りやデザインや建築や老若男女選ばないコミュニケーション力や相手の気持ちを慮る能力や、その他複雑でとても言葉では表せない何かしらのスキルが、田舎のカフェ店主という職業には必要だったと今頃になって気付き、やりながら習得しているところだ。

ようやく土台の世界観や価値観が固まってきたところだ。

そして、スキルなんかよりも、こちらの世界観や価値観のほうが何百倍も大事だと断言できる。

なぜなら、僕たちは金を稼ぐことや豊かな暮らしをすることが目的ではなく、幸せになることが目的だからだ。

金は幸せになるための道具でしかない。

道具でしかないので、適切な目的やビジョンさえあれば銀行が貸してくれる。

バッティングセンターに行ったら、バットを貸してくれるのと同じ道具だ。

金を稼ぐためにスキルを身に付けているのだとすれば、それは手段のために手段を身に付けていることになる。

目的はどこへ行った。

金もスキルも手段だ。

目的ではない。

目的を明確にするのが、世界観であり、価値観である。

直感と言ってもいい。

自分がどんな世界に、社会に暮らしていたいのか、どういった状態であるのが心地よいのか。

それが、本当の目的である。

それが明確になってきたときに(もしくは明確にしなかがら同時進行で)、身に付けたスキルが積み上がっていく。

もちろん、スキルは大事だ。

誤解を招くとよくないので、繰り返しになるが書いておく。

しかし、あまりにもスキル偏重になっていないかということを問いたい。

スキルの身に付け方は学校で教えてくれるが、世界観や価値観の深め方は誰も教えてくれない。

本当に大事なのは、後者なのに。

抽象的で難しいから避けがちなのだと思う。

僕も難しいことは嫌だ。

でも、それ以上に、自分の価値観や世界観を深めていく作業はとてもおもしろい。

少なくともそれについて、2,000文字も3,000文字も書いてしまうくらいには。

スキルを身に付けたものの、何か幸福じゃないという方は、一度立ち止まってみてもいいと思う。

そして、自分の世界観や価値観にどっぷりハマって、トリップしてみるのも素敵な時間の使い方だと思う。

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