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【とある神社ものがたり】外伝|疫病と神社と私たち(紫緒さんのひとりごと)


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ほんの少しだけ、昔の話をしましょうか……。

世界中に、人々の命を脅かす、疫病の恐怖が広がったときのお話です。

あれは正直なところ、本当に辛く苦しい闘いを私たちに強いるものでした。

たった一つの国から広がり始めたウイルスでしたが、それは間もなくして全世界へと広がってしまうことになったのです。

たくさんの人を死に至らしめる病は、世界をたちまち恐怖に陥れ、それぞれの場所でそれぞれの人が、姿の見えない恐ろしい病を相手に立ち向かわなくてはならなくなりました。

一体どこから、誰から、そのウイルスが移るのかもわからないという状況で、私たち人間は「お互いにウイルスを移しあわないための努力」をするしかありません。

人々の「日常」や「当たり前」は、いとも簡単に崩れ去ってしまったのです……。

生きていくために必要な生活の営みは続けながらも、迂闊に外に出ることも叶わず家の中に閉じこもる日々。

この日本の国においても、もちろんそれは例外ではありませんでした。


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私の家は代々、この神社を守る社家(しゃけ)です。

私にとっては幼い頃から、この神社と神様方の存在も、ご奉仕してくださる職員の方々も、参拝にいらしてくださる皆様も、とても身近な存在でした。

目には見えない神様と、人々の心が決して離れることのないよう、神社でご奉仕する人たちが、真心こめて「中取り持ち」をするのです。

神社は、古くから日本の八百万の神様たちを、それぞれの場所で大切に大切にお祀りし、日々欠かさず祈りを捧げてきました。

いかなる平凡な日常においても、いかなる国難にさらされるときも、とにかく神社とその神様をお守りすることが神職のお役目……。

国家の安泰と人々の安寧を祈って、神様に感謝を捧げる神事は、一日たりとも「やめる」ことがないのです。


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さて、そんな中。多くの人の生活を破壊し、心と体をたちまち追い込んでしまったのが、その疫病です。

ウイルスがこれ以上蔓延しないよう、世の中では外出自粛が叫ばれていました。

神社界も、もちろんさまざまな対応に追われることになりました。

全国各地の神社で、長く続いてきた歴史ある祭典の縮小や延期、中止が余儀なくされる異例の事態も数々。

ただ、「祭」として人が集まることは避けながら、「神様へのお祀り」である神事は、人数を減らすなどしながら一生懸命行っています。

不安な世の中でしたから、神様を心の拠り所として想う方は多く、神社にお見えになる方も、決して少なくありません。

その多くが風通しの良い屋外であり、人が密集することも滅多になく、人と話をせずとも過ごすことができる。

さらには、境内の「杜(もり)」で自然に触れ、心癒されることもできる……それが神社という場所です。

神様へのご奉仕がありますから、神社が「完全に閉まる」ことはまずありません。

ただし、ご奉仕する人も生身の人間です。出社することやご奉仕することに対して、感染の不安もあったことだと思います。

実際、私たちの神社でも、社頭に立つ人数をできる限り少なくしながら、日々の社務をこなしておりました。

聞いた話によると。ある大きな神社では、職員を2つのチームに分けて出社日を合わせ、万が一片方のチームに感染が起きてしまった場合も、もう片方のチームが動けるように備えていたという話も聞き、なるほど……と思ったものです。

感染の可能性を少しでもなくすため、ある神社では手水舎の柄杓を撤去し、またある神社では鈴を撤去し、御朱印の受付も書置きのみでの対応にするなどしていました。

神社が決して感染の場所になってはならないと、土日の参拝をお控えいただくよう呼びかける神社もありました。

神社と、それを守る神職たちの方針によって、その対応もさまざまです。

でも大切なことは、そこに関して「なにが正解であって、何が間違いである」ということは、一概に述べられないということ。

これは、神社以外の世界でも同じかもしませんね。

大切なのは、一人ひとりの想いや命を大切に尊重しながら、お互いを思いやった話し合いを重ねて、正解がわからないなりに「懸命に考えて決めてゆく」ということなのでしょう。

人が人を叩き合うような哀しいことだけには、なりたくないし、ならないでほしいと……私は切に思いました。


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当然、神社も氏子さんや崇敬の皆様の信仰心に支えられ、お賽銭・御初穂料・御奉納などで、そのお宮を守り抜き、日々の神事を続けています。

それに、人々からの信仰が弱まると、神様のお力も弱くなってしまうのです……。

一般的なお店と同様に、「人が来ない」「人が集まらない」ということは、本来であれば神社の死活問題になりかねないこと。

ただ、神様を信じてお越しくださる皆様の命を守るためにも、しばらくの間神社へ足を運んでくださる人が減ってしまう覚悟を、私たちも決めなくてはなりませんでした。

それでも、私たちにはまだ、さまざまな工夫ができると信じて……。

世界中がピンチの時だからこそ、人々の心には拠り所が必要です。

神様とはその一人ひとりの祈りを受け止めて、前を向く力を与えてくださる存在ですから。

いかなるときも、神様と人々の心が決して離れてしまわないように、私たちは努めなくてはなりません。

本当に恐ろしいことは、この混乱と不安に乗じて、人々の心がよくない方向へと傾いてしまうことなのではないでしょうか。

あの頃は、目にするもの、耳にするもの、口にするものすべてに、あの疫病に対する「不安」や「恐怖」がこびりついているかのようでしたから……。

普通に生きることにも精一杯で、気持ちを一生懸命に保っていなければならない時代。

そんな中において、神様が望む「神社」の役割は何だろう……。

そう考えると、私は「人々の心を元気にしていくこと」も、山ほどあるお役目の中のひとつなのではないかと思ったのです。

「ここに、いつだって神様はいますよ」
「他の誰が見ていなくとも、どんなときも神様は見ていますよ」
「あなたが心の中で祈れば、必ず繋がる存在なのが神様ですよ」

いつの時代だって、私たちはそのことを、伝えていかなくてはいけませんね。


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……恐ろしい疫病との闘いも、やがては終わります。

その渦中に置かれている間も、またその先にどんな未来があろうとも、一人ひとりが自らの「心」と「命」をしっかりと守り抜かねばいけません。

それらは、神様から授かったものですから。

不安なときこそ、哀しいときこそ、苦しいときこそ。神様を信頼して、祈ることをやめないでくださいね。

たとえ神社に足を運べない時であっても、心を向ければ、必ず神様には想いが届く。

だから、いつだって、神様に恥ずかしくない心のあなたでいてほしいのです。

やがて困難の時が去ったなら、またお互いを助け合い、支え合いながら進んでいくことにしましょう。

神社はいつだって、神様を信じるあなたのことを、お待ちしております。



※この物語はフィクションです。
実在の神社様や人物とは一切関係ありません。


➤Story Link『とある神社ものがたり』

予 告|紺野うみの「まえがき」と「ごあいさつ」
第1話|もし心がつらい日は、癒しの杜へ行きましょう
第2話|お祀りされている神様の、素敵な個性を知りましょう
第3話|悩んだときこそおみくじで、そっと神様に訊きましょう
第4話|comming soon...

外伝|疫病と神社と私たち(紫緒さんのひとりごと)

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