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屋上は秘密の遊び場だった。

何度か書いていますが、僕は幼稚園から小学校卒業まで団地で過ごしました。1970年代半ばから80年代半ばの話です。

当時は今と比べたら色々な規定が厳しくなかったのか、団地の屋上にも普通に入れました。

と言っても特に何かある訳ではなく、高さ3mほどの柵に囲まれている、ただのコンクリートの広場です。

普段からあまり人気はなかったので、僕はよくそこでラジコンカーを走らせたり、ゲイラカイトをあげたり、荒川の花火大会の日は花火を眺めたりしたものです。

でもある出来事を境に立入り禁止になってしまいました。子供の頃の記憶なので、記憶違いや、何かの誤解があるかもしれませんが、飛び降り自殺が数件発生したのです。

当時は暮らしていた団地だけではなく、周辺の高層住宅でもだいたい同じ問題を抱えていた様です。

飛び降りるのが必ずしも屋上からとは限らないし、その建物の住民とも限らないのですが、いずれにせよ屋上は危険だ!という認識が広まってしまった事は確かなようです。

それにもちろん飛び降りだけでなく転落事故を防止するという観点からも当然の処置ではあるのですが。

ただまだ世間の事情がよく飲み込めない小学生の僕は、秘密の遊び場を一つ無くした寂しさでいっぱいでした。

あの薄暗いエレベーターホールに捨ててあったビニ本(当時の呼び名)誰が捨てたんだろう?

僕、こんな曲を作っている人です。


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