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92年、18歳の僕は鹿鳴館のステージに立っていた…。

その頃僕はギター歴まだ6年で、ガンズのスラッシュに憧れ、オーヴィルbyギブソンのゴールドトップのレスポールを池袋の石橋楽器で9万円で手に入れ、ハードロックばかりコピーしておりました。

当時常に行動を共にしていた一つ年上のドラマーのMさんがいまして、彼とは同じバンドの時も、そうじゃない時もあったんですけど、よく一緒に遊んでいました。

Mさんは、この時とあるインディーズバンドTに所属していました。TはVo、Gr、B、Dsの4人編成で、Vo、Gr、Bの3人はMさんより3、4歳上だったと記憶しております。

僕の記憶が正しければ、Tは当時ハイエースの機材車を駆って目黒ライブステーションや神楽坂エクスプロージョン等都内のライブハウスにて月2回程ライブを行なっていて、たまに地方ツアーにも出ていましたし、そのスケジュールはロッキンfという雑誌にも記載されていました。

その活動規模は18歳の僕には刺激的で、メジャーデビュー直前のほぼプロに見えました。

そんなバンドTにMさんは所属していました。

ある日、バンドTからベーシストが脱退してしまったのです。だけどライブの予定は色々入っている。何処にもあてはない。さぁ困った!となりました。

するとMさんはバンドに「俺の連れにギタリストがいるけど、取り敢えずそいつにやらせてみては?」と言ってくれ、僕はバンドからお話を頂きました。

しかし本来ギタリストである僕がしなければならない事は沢山ありました。

1.ベースを用意する事。
僕はギタリストなのでベースは持っていません。その為当時お付き合いをしていた彼女が文化祭用に購入したアイバニーズの赤いベースを借りました。

2.デモテープをコピーする事。
4曲入りのデモテープを渡され「これのベースラインを考えてきて」と言われ必死で耳コピしました。

そして池袋のペンタスタジオにてセッションしました。音出し以前にメンバーのド派手な出立ちに驚いた事を覚えています。僕も一応背中まである長髪でしたが、髪色は茶色でした。

しかし他のメンバーは赤とか金とか青とかまるでセキセイインコの様でした。

セッションを終えてリーダーのVoのKさんからは確か「加入して良い」とも「君はいらない」とも言われずただ一言「金髪にして来いや」って言われました。

帰り道。
Mさん「加入出来て良かったな」
僕「えっアレって加入って事なの?」
Mさん「そうだよ、取り敢えずな」
とのやり取りをしました。

まぁ確かにバンド側にしたらMさんだってかなり歳下なのに、その更に歳下の奴と一緒にやるのちょっとな。と思うでしょう。しかし活動を継続する為にはやむを得ないから取り敢えずサポートとして入れるしか無い。という判断だったと思います。

そして僕は、色々と初めての経験をすることになります。

○初めての機材車での移動
○初めての機材車からの搬入搬出
○初めてのメイク
○初めてのファンの方の対応(僕のじゃなくバンドの)

…そしてこのバンドTのベーシストとして僕は神楽坂エクスプロージョンと鹿鳴館のステージに立ちました。

結果はどちらもあんまり良くなかったのを何となく覚えています。全ては僕の経験不足と無知が原因でした。

しかしちょっとだけ言い訳すると僕は萎縮していたんだと思います。Mさん以外のメンバーとは気楽に話せる雰囲気ではなかったし…。

でもあの頃の鹿鳴館のステージって僕からしたらある意味武道館と変わらないって言うか…憧れではありました。なのでそれを経験させて貰えた事は感謝しかありません。

その後僕はロックからもバンドからも離れててしまったので…。もう二度と僕が鹿鳴館のステージに上がる事は無いでしょう。

Mさんは今何をしているのだろうか?

そんな昔の事を今日はちょっと思い出してしまいました。

コレは現在の僕らのプレイリスト。






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