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ソプラノ 星新一みたいなショートショート


ディー氏は多忙だった。企業でコンピュータ制御システムの研究をしており、夜遅くまで研究をして日の出前には出社するなんてこともざらだった。仕事から家に帰るとヘトヘトですぐに寝てしまい、朝シャワーを浴びて急いで会社に行く。こんな日々の繰り返しで料理は一切せず、食事は外食するか調理済みのものを買って済ませるかで、部屋も散らかり放題、洗濯なんかは面倒で仕方がなかった。ディー氏もこのままではまずいと考えており、自分の代わりに家事や雑務をしてくれるヘルパーを雇おうか考えているところだった。


ある日ディー氏は、仕事の研究に関する相談で、勤めている企業とつながりのある博士の研究所へ訪問した。

「ご無沙汰してます」

「久しぶりだね。会社から話は聞いているよ。それじゃあ取り掛かるとしようか」

ありがたいことに、研究の件はことのほかあっさり解決した。企業側が勘違いして盲点になっていたところを博士が指摘し、最後に一通り確認をしただけで終わった。予定よりだいぶ時間があまったので二人は世間話をしていた。

「それにしてもディーさん、以前来たときよりずいぶんやつれてみえるが大丈夫か。研究が大変なのはわかるが休むときにしっかり休まなければ体がもたないぞ」

「私も休みたいのはやまやまなのですが、仕事が忙しくてなかなか時間を確保できないんですよ」

ディー氏はグラスに入った飲み物をグイッと飲み、テーブルに置くと、しばらく沈黙がつづいた。

博士は考え込んだように下を向いていたが、やがてドアの方に体を向けて椅子に手をかけ、

「ちょっとまってておくれ」

と言って、博士はああでもないこうでもないとつぶやきながら、ゆっくり歩いて奥のドアへ入っていった。


しばらくして博士は、子供くらいの大きさのロボットを連れて帰ってきた。

「このロボットはソプラノといって、掃除、料理、洗濯はもちろんのこと、仕事のアドバイスや人間関係の悩みの解決まで、あらゆることを完璧にこなしてくれる万能型のロボットだ」

「それはすごいですね。しかし博士はご自身で使わないんですか」 

「もちろん使っていたよ、つい最近まで。自分で使うために作ったわけだからね」

「それではなぜ現在は使っていないんですか?なにか機能上問題があるんですか」

「いや、機能上はなんの問題もない。私が使っていたときもへまをしたり誤作動を起こしたりしたことは一度としてなかった」

「それじゃなぜ…」

「まあ、それはさておき、ソプラノがあれば君の生活もいくらか楽になるだろう。もちろん無料でゆずるというわけにはいかないが、試しに一ヶ月くらい貸してもよいぞ。もっと長く使いたければそのときは連絡してくれ」

ディー氏はふにおちなかったものの、ちょうど良い機会なので、とりあえずソプラノを借りて家に連れて行って見ることにした。


ディー氏宅。まず家に入ると、長い間ろくに掃除をしていない床が目に入る。ソプラノはさっそくそれを感知した。

「床が汚れているので、掃除します」

すると、ソプラノの右手がブラシに、左手が吸引機に切り替わり、掃除を始めた。玄関から廊下の奥までほとんど音を建てずに一定の速度で掃除しながら進んでいき、十数秒もすると部屋の端までたどり着いた。

「掃除が完了しました」

そう言ったあとディー氏の元へ戻ってきた。あっけにとられていたディー氏は我に返り、確認のため、注意深く廊下を見ながらまわってみた。掃除し残したところは見当たらず、むしろ入居したときよりもきれいになっているんじゃないかと思うほどで、文句のつけようがなかった。

まあ、博士がいうだけのことはあってなかなか便利だな。なにかもっと他のこともやらせてみよう。そうだ、ちょうどお腹も空いてきたし、料理を作られてみよう。

ディー氏は急いで近くの店に行って、沢山の食材や調味料を買ってきた。

「ソプラノ、ここにあるものでなにか美味しいものを作ってくれないか」

「承知しました。」

ソプラノは並べられた食材や調味料をしばらくながめ、そして料理に取り掛かった。ディー氏は仕事の資料を整理しながらも、気がかりで何度かソプラノの様子を見に行っていた。そうこうしているうちに、台所の方から食欲のそそる匂いがしてきた。

「料理ができました」

ディー氏がテーブルの方へ行ってみると、そこには美味しそうな料理が並べられていた。ディー氏は半分期待、半分不安を感じながらおそるおそる料理を口に運ぶ。

「上手い!なんだこれは。これまで見たことも食べたこともない料理だが、一体どうやって作ったんだ」

「もともと備わっていたデータをもとに人間が好む味を分析し、今ある材料で多くの人が最も美味しいと感じるものを作りました。また、食べたときのディー様の反応を随時データとして蓄積することで、より高い精度でディー様の好みにあった料理を作れるようになります。」

これはすごいぞ。契約するとなるとそこらのヘルパーを雇うよりは多少割高だが、このクオリティを考慮すれば全然お得だ。しかしこんな素晴らしいロボットをなぜ博士は使うのをやめたのだろうか。

その日の夜、ディー氏は博士に電話でソプラノを長期的に借りる契約を交わした。


それからディー氏は仕事から帰ると、家にソプラノがいるのが当たり前になった。次第にソプラノはディー氏が空腹を感じるのにかかる時間や食べ物の味の好み、さらには風呂の温度の好みなど、ディー氏の様々な習慣、傾向を把握するようになっていった。

家に帰ると部屋はきれいだしおいしい料理はちょうど良いタイミングでだされるしで、デイー氏は時間だけでなく精神的にも余裕ができ、以前より仕事もはかどるようになった。


そんな生活が続いていたある日のこと。ディー氏は久々に仕事にいきづまっていた。風呂からあがって外を眺めながら考えにふけっていたとき、窓に反射してソプラノが視界に入りこんだ。そして博士が家事だけでなく仕事のサポートもしてもらっていたと言っていたことを思い出し、

「ソプラノ、ここの部分だがどう修正すればこうなるかわかるか」

と聞いてみた。ソプラノはディー氏の研究資料に一通り目を通したあと、

「少し考える時間をください」

と言って、その場で停止した。ディー氏はほとんど期待しておらず、ダメ元だった。専門で研究している人間ですらお手上げの問題だ。これは流石にわかるまい。ディー氏は深い長いため息をついてデスクに戻り、再び思索にふけった。


しかし予想は覆される。

「質問に対する答えです」

ソプラノから複数枚紙が出てきた。ディー氏がデスクに持っていって確認してみたところ、そこにはディー氏が思い描いていた理想に限りなく近い解決策が示されていたのだった。

この日を境に、ときたま現れる解決困難な仕事の問題はソプラノに聞くようになり、仕事にかかる時間も短くなっていった。ソプラノを導入する前までは想像もつかなかったが、今では余った時間で退屈しのぎにゲームをするようになっていた。


ある日ディー氏がチェスで悩んでいるとソプラノがそばに来て、

「そこはビショップをc5に動かすのが最善です」

「f5にナイトを動かせばディー様の勝ちです」

などと教えてくれた。その手を考えてみると確かに勝負を有利に運ぶことができ、最後は自分より格上の相手に勝つことができた。

ディー氏はゲームでもソプラノに頼るのは情けないなと思ったが、やはりどうしても勝ちたくなるとついソプラノに最善の手を聞いてしまい、そのうちそれが当たり前となった。


ゲームも重要な場面はソプラノが代わりにプレイしてくれるので、ディー氏は再び退屈になった。

やることが全くなくなってしまったディー氏は、昼間同僚が料理を始めたと言っていたことを思い出し、なんとなく気の向くままに料理をしてみた。

「代わりに私が作ります」

途中ソプラノが手助けしようとしたが、ディー氏は自分一人で作ってみたかった。

「いや、いいよ。自分で作ってみたいんだ」

これはディー氏の初めての料理だった。しかしそこまで出来も重視していなかったため、ゲームのようにムキになることもなく、ソプラノに頼らずなんとか最後まで一人で作り上げた。

できた料理はごくかんたんなものだった。ディー氏は皿に盛り付け早速食べてみると、ソプラノが作る料理とは比べるまでもなくまずかったが、自分で作ったんだという事実が、ディー氏に確かな達成感を感じさせた。


その日以来、ディー氏はソプラノにまかせていたことを自分で少しずつやるようになっていった。何につけてもソプラノには到底及ばなかったが、一つ一つのことが新鮮で、ディー氏は生活に充実感を感じ始めていた。



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