大学のサークルから、コミュニティの作り方を考察する。

 近年、オンラインサロンが注目を集めている。お金を払って参加し、そのコミュニティ内で集まったり、何かを議論する。基本的に閉じたコミュニティで、お金を払うというハードルのおかげで、合わない人は事前にスクリーニングにかけられている、という前提だ。会社では、お金をもらうために仕事をするのに、オンラインサロンでは、お金を払って事実上の仕事をすることがままある。
 これを見るにつけ、僕は、大学のサークルを思い出す。こちらも、サークル費を払って、自分の時間と労力を投入する。冷静に考えれば、バイトかインターンだけすればお金も経験も得られて良いものの、大学生の多くはサークルに属する。勿論、「大学生だからサークルに入る」という空気に流されている場合が往々にしてあるのだが。
 僕が入っていたサークルは特に大所帯だった。ある一人のカリスマが立ち上げたようなベンチャー的なサークルではないので、絶対的な求心力はない。それなのに、なぜ機能した状態を維持させ続けられるのか。サークルでお偉いさんになりたい、だけど人望がない、と思っていた20歳の自分は、一生懸命考えた。ハックするために。
 その結果、「あ、これは宗教だな」と気づいた。同時に、これはお金というインセンティブなしに人を稼働させるコミュニティに概ね共通していることもわかった。

 まず初めに、暴論承知で言うと、”現在の”大抵の人は、アイデンティティの拠り所を彷徨い求める流浪の民である。どんなに個性的な子供であっても、普通に日本の公教育を受ければ、自分だけのアイデンティティ(≒価値観≒哲学)なんてものは捨てさせられるからだ。宗教やコミュニティがつけ込めるのはそこだ。
 脆弱なアイデンティティは、常に相対的な優位(と、それに伴う承認)を欲する。それを考慮に入れて、アイデンティティを補強するような仕組みを設計すれば良い。

 要素を分解すると、下記の5つだと思う。

①ヒエラルキー(表面上フェアな選出)
②経典
③歴史(ストーリー)
④ハレの場
⑤より高次の社会における承認(否認)

 一つずつ説明したい。

①ヒエラルキー(表面上フェアな選出)
 簡単に言うと、会社のような役職を作ること。組織体系とも言える。ある一定の人数を超えた組織では、そもそもの運営に必要になるので、期せずして出来上がることも多い。できるだけ、投票などの表面上フェアな方法で選ばれるように設計すると良い。特定の人間による抜擢は、あらぬ嫉妬を生む。投票にすれば、権力に一定の正当性が生まれるし、投票で票を集められないような人間を事前に淘汰する意味合いもある。将来的に投票で勝ちたい人にとっては、「抜け駆け」のような「道徳」に反する行動を抑える効果もある。
 また、ヒエラルキーの素晴らしいポイントとして、権力を得た人が頑張ってくれることがある。側から見れば、お金もつぎ込んで何で必要以上に頑張ってくれるのか、となるが、本人はアイデンティティと栄誉を賭けて頑張ってくれる。実はこれで、コミュニティがきちんと運営されてしまうのだ。(勿論、そうなるように設計しておくのも大事だが。)
 しかも嬉しい副産物がある。一部の人が頑張ってくれるおかげで、頑張らない(コミット率が低い)人たちの居場所(余剰)ができるのだ。この時、「少しでも参加してくれて嬉しい!」と歓迎の意を表明すると尚良い。そんなに頑張れない、けど居場所は欲しい(他のコミュニティに異動すれば良いのにしない≒できない)人たちを受け入れてあげると、予想外に頑張ってくれるパターンもある。身も蓋もないが、在籍さえしてくれれば、お金は払ってくれる。
 因みに、表面上フェアな選出の他にも、コミュニティ運営上のルールは出来る限り客観的な正統性があり、かつ権力の暴走を防ぐ形にした方が良い。勿論、特定のカリスマが存命の段階では、強力なトップダウンの方が好ましい。(その当時はそこに人が集まっているのだから)

②経典
 文字にされた拠り所=ルール、とも言い換えられる。そのサークルが何のために存在するのか、すなわち、精神のようなものだ。これがしっかりしていることで、安心してアイデンティティを委ねられる人たちもいる。企業で言えば、ビジョンになるのだろう。
 因みに、一人のカリスマからスタートした組織ならば、その人の色を前面に出せば良い。ただ、組織を長続きさせたいなら、更に工夫を加える必要がある。
 それは、ビジョンは抽象的にすることだ。抽象的にすれば、解釈の多様性と逃げ道の確保が可能になる。また、「正当な解釈」を錦の御旗にして、己が正統性を勝ち取りたい(マウントを取りたい)人が勝手に色々と考えてくれる。
 その結果、宗教で言うところの「原理主義」的な人も生まれるだろう。おそらく、コミュニティ内で一番稼働している人たち(現場)の「現実主義」的な考えと対立して、派閥争いも起きるだろう。こうした争い事も、ある種「エンタメ」的な面白さとして、コミュニティに熱中するためのツールになる。コミュニティの設計者は、ニマニマしていればOK。
 所謂「らしさ」というものは、「箱」があれば勝手に作られていく。だからこそ、「箱」、すなわち「私たちはこういう括りです」という集団のアイデンティティの明文化が必要なのである。人間は、一度言葉にすれば、その言葉に囚われ、自発的に縛られていく。アイデンティティの拠り所が不安定だと困るので、自分で次から次へと、思考と論理を組み立てて、「箱」を正当化するだろう。因みに、「箱」への批判(内部批判)すらも、二項対立の中の話なので、本質的には逸脱していない。

③歴史(ストーリー)
 経典を補強するツールとして、歴史(ストーリー)があると尚良い。人間が理解しやすい(感情移入しやすい)ストーリーという形式は、経典の正統性を補強する。経典が存在しない場合、コミュニティのアイデンティティの拠り所にもなる。多くの企業が企業史を編纂するのも同じ理由だ。特定のカリスマが立ち上げたコミュニティならば、そのカリスマの自伝でも良い。

④ハレの場
 サークルで言えば、学園祭や発表会がこれに該当する。コミュニティの外に向けたハレの場がベター。ベターな理由は⑤で言及する。
 ハレの場の効果自体は、アイデンティティの再確認にある。特定のコミュニティに属していても、それが日常になると、アイデンティティはときに脆弱になる。それを特定のゴールに向けて、同コミュニティの人たちと協力して取り組むことで、アイデンティティを再確認できる。
 因みに、ハレの場自体はルーティンワークでも機能するように設計すると尚良い。最低限失敗しない状態にしておくことで、①で述べた「一部の人の頑張り」だけでも成功できるし、万が一、ダメな人が担当になっても問題ない。勿論、ハレの場の立ち上げ当初は、馬力がいる。だから、コミュニティ立ち上げくらいのタイミングで、早々に始めてしまった方が良い。立ち上げ時のメンバーは大変かもしれないが、適度に「レジェンド」扱いしてあげればOK。自慢話として、経典や歴史書に載せてしまっても良い。

⑤より高次の社会における承認(否認)
 身も蓋もないが、そのコミュニティ自体の価値は、コミュニティより高次の社会からの承認によって成り立っている。アイデンティティは相対的な優位を欲しているからだ。つまり、「このコミュニティに属している」ことが「カッコ良い」だったり、「イケてる」ことこそが重要なのだ。「イケてる」ことで、より高次の社会において承認(場合によっては実利)を得られる。その点において、ブランド品とその実、変わりはない。最近、あらゆる消費が、ブランド(哲学)になっている傾向もまさに同じ理由である。
 因みに、将来的には、オンラインサロンはインスタグラムのハッシュタグと同じ扱いになると思う。複数掛け持ちは当たり前、どれだけイケてるサロンをチョイスできているか(編集力=セルフプロデュース能力)が重要になる。 
 ハレの場を外に向けてもやった方が良い理由も、高次の社会からの承認を得ることで、アイデンティティを再確認できるからだ。因みに、否認されても良い。否認された同志として、より一層の結束が生まれるからだ。ハレの場でなくても最悪良い。コミュニティ外との接触(ときに摩擦)を定期的に起こすことこそが重要なのだ。
 因みに、アイドルのファンが、「世間に注目されるべき」「紅白に出るべき」「テレビで爪痕を残した!」などと、一喜一憂するのも同じ理屈。より高次の社会で、自分が応援するアイドルが承認されることが、己がアイデンティティの代理承認になるからだ。

 おそらく、優れたリーダーやカリスマは、上記のような要素を無自覚的に行動に移していると思う。ただ、無自覚なままでは、いつか必ず失敗する。コミュニティが成熟のフェーズに入ったタイミングで、退場になるだろう。無自覚ではなくなるか、自覚できる側近がいる場合は、在任は長くなる。
 結局、リーダーという人間のレイヤーで変化するか、ポジションのレイヤーで変化するかの違いでしかないのかもしれない。

#cakesコンテスト2020

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