客観的

100%、自分が悪い視点


斎藤一人さんの心に響く言葉より…


この世の中は、自力の後に他力あり。

他力を願っているだけじゃ、なんにも起きない。

わかりますか?


たとえば、流行ってるケーキ屋は、

最初、ケーキやなんかを修行して、

おいしいケーキが作れるようになった。

お金もためてたから、自分のお店も出せた。

お客さんを喜ばそうってこともやってる。

その結果、店が流行ってるんです。


高校野球だって、甲子園に出てる子たちのこと、

みんなが応援するけど、あの子たちは、

みんなが応援してくれるだけのことをやってきたんです。

休みもなく練習して、グラウンドで一生懸命、

ボールおっかけたり、やってるから、みんなが応援するんだよ。

なんの努力もしてなくて、人のこと、

「いいな、いいな」っていってるだけじゃ、

自分の人生、なに一つよくならない。


ラーメン屋をやってて、もし、お客さんがこないんだとしたら、

ラーメンがおいしくないか、笑顔でお客さんと接していないか、

いずれにしろ、自分に問題があるんです。

それを改良すればいいだけの話なんであって。

ところが、お客さんがこないのは、「世の中が悪い」とか、「政治が悪い」とかいってたら、なにも改良しようとは思わない。

だから、「100%、自分が悪い」っていう。

そしたら、千手観音のごとく、あの手、この手が出てくるんです。


人間のからだは、肉体と精神でできてます。

肉体のほうは、食べ物からとる栄養から作られる。

精神は、考え方、思う言葉。

食事のバランスが悪いと病気になるけど、

人間、よくない考え方をしても病気になる。

そしたら、自分が病気になっちゃったんだとしたら、

食事のバランスが悪いか、自分の考え方が悪いか、どっちかです。


隣に住んでるおじさんのせいで、自分が病気になるわけじゃない。

お向かいのおばあちゃんのせいで、病気になったわけじゃないんです。

そうやって、自分の問題だ、って気づけば、

人間、「食事を改良しよう」とか、

「考え方を改良しよう」とかってなるよ。

「あの医者に問題がある」っていうなら、

ヨソの病院に行くこともできるよね。

だから、しあわせに生きる方法って、いろいろあるんだ。

それをやればいい。

だけど、「自分が被害者だ」と思ったら、

あの手、この手が出てこない。

そしたら、具合はなかなかよくならないよ。

でも、「100%、自分が悪い」と思えば、元気に生きられるんです。


『斎藤一人愛される人生』KKロングセラーズ


「100%、自分が悪い」ということは、

自分を責めろ、と言っているわけではない。

そうではなくて、「人やまわりのせいにしないこと」だ。

人やまわりのせいにしたとき、自分は何も努力をしなくなる。

そして、自分が動かないことを正当化する。


「100%、自分が悪い」と思う人は、

問題を打開しようと、ありとあらゆることを考える。


滝口長太郎氏の「打つ手は無限」という言葉がある。


『すばらしい名画よりも

とてもすてきな宝石よりも

もっともっと大切なものを私は持っている

どんな時でも、どんな苦しい場合でも、 愚痴を言わない

参ったと泣き言を言わない

何か方法はないだろうか

何か方法はあるはずだ

周囲を見回してみよう

いろんな角度から眺めてみよう

人の知恵も借りてみよう

必ず何とかなるものである

何故なら打つ手は常に無限であるからだ

どんな問題に出くわしても、それを、

「100%、自分が悪い」と思うなら…

「千手観音のごとく、あの手、この手が出てくる」

「打つ手は無限」、と心に刻みたい。

他者に目を向けるのではく、自分の行動や考え方を

一度立ち止まって客観的に見る癖をつけよう。


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