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2022年3月がおわった

もう4月の半ばなので3月分はいいか…と思っていたけど、今夜はひとりだし夕飯を作る気力もなくウーバーで薬膳カレーを頼み(近所に薬膳カレーの店があることを知れて嬉しい)、本当はこの待ち時間を活用してあちこちに散らばる洗濯物を畳んで正しい場所にしまったり、デスクまわりのレシートの金額をアプリに打ち込み予算の管理などするべきだけど、とりあえず今までの3月がおわったを読んでみるか…と思って振り返っていたら昨年もちょうど4/14に書いていたので、なんとなく偶然の力に背中を押され書くこととなった。

仕事

あまりよく覚えていないけど、繁忙期だったので忙しかった気がする。大きな失注をして少し凹んだ記憶はあるけど、それと同時にああ会社員でよかったなとも思った。確か昨年の今頃は、会社をやってみたいなと思っていたし、できる気がする!という気概もあったけど、今は会社員万歳という気持ち。あと1年は続けられるのではないか。ちなみに2018年3月、職探し直前のnoteには「また続かないんじゃないか、という恐怖がとても強い。次続かなかったらほんとに自信がなくなっちゃいそうで、こわい。」と書いてあった。そのあと入ったテレビ業界は確かに1年半くらいで辞めてしまったけど、自信がなくなっちゃうということはなかったし、今の会社を辞めることになっても、こわい、という感覚はないのかも。

新卒でずーっと頑張ってくれている女の子に、1年間本当にありがとうというメッセージを送ったら、より良い提案をしていこうという姿勢、丁寧な気遣いなど、日々大事にしたいと思っていることはお手本となる方が近くにいるからこそ、自分の中にも醸成されています!という旨の返事をもらってしまい、彼女は人間ができすぎているし、いい意味でたくさん見透かされているなあと思った。もちろん素直に嬉しかったし、私の人生において彼女との出会いは本当に大きなものになっているのでこれからも良い関係でいられるように努力したい。チームで仕事をする楽しさを教えてくれたのは間違いなく彼女。

↓4.18

他人の家族と自分の家族

実家に置けなくなって「売る?」と言われたアップライトピアノをパートナーの実家に置かせてもらったのは3月だった。一緒にごはんを食べて、帰りに車から手を振ったとき、お母さんがささっと近づいてきてくれたので窓を開けると、「田舎でなんにもないけどさ、たまには帰って来なね。ピアノもあるし。」と言ってくれた。本心でそう思ってくれてるんだなと確かに感じられたからか、春の訪れを感じさせるあの少しもわっとした匂いのせいか、そのときの情景が印象的でずっと覚えている。血は繋がってないし、今後も繋がることはないんだけど、他人の家族にしては心の距離が近づいている感じがした。

自分の家族と2泊3日で旅に出たのも3月だった。直前まで俺はいいよ、と言っていた父が一番楽しそうにしていて良かった。父と母はすごく仲良しだったのにいつからかそうとも言えない感じになってしまってそれが意外と長く続いて子どもとしては苦しい時間も多かったけど、最近子が巣立ったからかまたすごく仲良しになっていて嬉しかった。二人は性格はまるで違うけど、美しいと感じるものが同じなので旅行はとっても良いんじゃないかな。私は瀬戸内の海と山に心を奪われ、とくにどこからでも山が見える環境というのが本当に羨ましく、帰りの新幹線ではずっとそのあたりのマンスリーマンションなどを調べていた。

ギャップに打ちのめされがち

旅行もそうだし、友人の結婚式に行って懐かしい面々に会えたり、春のはじまりを感じる草木に触れたり、楽しいことも嬉しいこともたくさんあったけど、スマホやTVを見るとやっぱりしんどくて、そのギャップにやられた1ヶ月だった。コロナのニュースを見なくなっていったのと似たような形でウクライナのニュースからも少しずつ離れているけど、疫病と戦争は私の中で全くの別物なので、今回の場合、本当に目を逸らしてもいいんだっけと考えるエネルギーも消費され、なんだか新しい疲れを感じ続けている。コテンラジオでウクライナとロシアの歴史を聴けたことは幾分救いになったので、コテンラジオの存在を教えてくれた友人に感謝したし、結局は何もできない(=しない)今、そういう友人を大事にしていくことが最低限自分にできることなのかもしれないと思ったりもした。

4月はあと数日しかないけど、誕生日をご機嫌で迎えるために体調を整えつつ仕事も頑張りたい。29歳も欲張りだった。

写真は旅先で泊まった鞆の浦の宿
おすすめです
https://nipponia-tomo.jp/

おしまい

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