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NEWボードメンバー湯浅祐佳と描く、Konelのこれから

2023年11月1日。Konelに新たに執行役員が誕生しました。創業メンバー以外では初となるボードメンバーに選ばれたのは、約1年前にKonelに入社した湯浅祐佳。彼女の原動力や未来を見る視点について、代表の出村が対話しました。

左:湯浅(話し手)、右:出村(聞き手)

個性的で真面目なキャラクターはどのように作られたのか

出村: いきなりだけど湯浅さん、かなり癖のあるキャラクターだよね笑。どんな人生を送ってきたの?

湯浅: 家庭環境は少し特殊でしたね。私は三姉妹の長女で、祖父母も一緒に暮らしていて、家政婦さんもいました。学校より家にいる方が好きで、よく本を読んでいました。祖父母に色々な種類の天国と地獄の本をねだって、延々と読んだり、お経を覚えたり。家族の中では父が多趣味で、私が小3の時にいきなりMacを与えてくれたり、父が持ってた初代iPodを隣から不思議に眺めていたのを覚えてます。

出村: 確かに特殊だな、面白い。毎日の生活からいろんな方角に興味を伸ばしていく環境だったんだね。

湯浅: 中学時代は合唱部で部長を務めていて、50人ぐらいのチームで毎日歌ってました。指揮者の指示一つで曲の表情が変わるんです。発声や情感のイメージだけを伝えられるんですが、その非言語のイメージを叶えて完成形にしていくのが面白くて。

出村: 50人?すごいね。

湯浅: 合唱は無形のものですが、みんなで何か形にする楽しみをこの時覚えました。

出村: 実は僕もバイオリンをやっていて、オーケストラにも所属してたから、非言語なコラボレーションの感覚は共感するな。同い年だし同じような時期に似たような経験をしていたかもしれないね。

湯浅: 高校時代は、1年間カナダのバンクーバーアイランドに留学しました。留学中はずっと英語で話してましたが、もう忘れちゃいましたね。帰国後は1つ下の学年に戻りました。そのタイミングで写真部に入って、色々と賞をいただく機会もありました。カメラはニコンとコンタックスを使っていました。当時はフィルムでしたね。合唱部と掛け持ちしてました。音大への道もまだ捨ててなかったんですよね。

出村: あ、音大目指してたんだ。

湯浅: 歌うことが本当に楽しかったので音大進学を考えていましたが、一方で写真部の活動もしていて、最終的に大学は日芸(日本大学芸術学部)の写真学科にAO入試で入学しました。古典や民俗・風俗史も好きだったので文学部も受けようと考えていましたが、写真学科への進学に決めました。

出村: 写真を学んでたんだね。で、もう少し癖の激しいエピソードはないの(笑)。

湯浅: 高校では特にカナダから帰った後に色んな変化があって、金髪にくるくるパーマをかけて、大きなピアスをしていた時期もあります。この時が一番癖強かったんじゃないかな。ギャルだったわけではなく、ただ人と違う状態が良かったという若気の至りです(笑)。学校の机の上には「ガロ」という漫画雑誌を積んでいたりして、好き放題に生きてました。

出村: いいね〜とっても。きっと高校時代に出会ってたとしても仲良くなってた自信あるよ。仕事への真摯な姿勢と対比するとギャップがあって面白いな。最近は仕事を真面目にやりすぎてて大丈夫?って思う時があるけど。

湯浅: 新潟の女性はよく働くらしいですよ(笑)。週末にドキュメンタリーを観たりして息抜きはしてますよ、ちゃんと。

真面目さと面白さを兼ね備えている湯浅さん。いつもメンバーを笑わせてくれています。

大学を中退し、制作の道へ

出村: 大学卒業後はどんな仕事をしていたの?

湯浅: 大学は中退したんですが、どうしたら写真作家になって食べていけるかを考えた時に、まずは知らないことを体感すること・人生経験を得るべきだと思いました。それで早いところ社会に出たくて、親に相談して理解してもらいました。中退した後も大学には遊びに行ったり、友人と展示をしたりしてましたけどね。

出村: それからどうしたの?

湯浅: 後先考えずに中退したわけではなくて。とある著名な写真家さんが当時立ち上げた出版社でお手伝いを始めました。そこで映画のPRやプロモーションなど1年くらい経験して、こういうプロモーションするんだなとか、こういうパーティーがあるんだなみたいなのをすごく近くで見ることができました。でもそこでは報酬を得られない前提でしたので、その後父の会社の企画デザイン室で1年間働きました。

出村: その後は?

湯浅: 2年間働いて、ようやく新卒と同じ年齢になり、改めて自分は何をするかと考えた時にやっぱりデザイン面白いなと思って、東京の制作会社に入りました。その後代理店に勤務し産休育休から復職をしましたが、離婚を機に転職しました。近場に身寄りもなく、働き方的に難しいものがあるなと思って。そこからクリエイティブ系の人材紹介会社に面談しに行ったら、「うちで仕事しない?」と誘われて、そこに入りました。

出村: 人材エージェントの仕事もやったんだね。それは人を見る目がつくね。

湯浅: そうかもしれないですね。とても多くの人と話したので、この人は今本当のことを隠したなとか、この人はこういう会社や雰囲気が向いているなとかがわかるようになった気がします。人材会社は楽しかったんですが、最終的にはやはり作りたいという気持ちが強くなり、プロダクション側に戻ろうと決めました。

出村: 作りたくなっちゃったんだ。

湯浅: もうやりたいことやろうと思って。守りたいものも子どもと自分という超最小限になって、構える必要がなくなって、どう思われたいかもどうでも良くなったんですよね。

Konelの制作事例に共感して、入社を決めた

出村: それで、なぜKonelに入ってくれたの?

湯浅: Konelのことは前から知っていました。特にクリエイティブマニフェストに共感し、一般的な会社では挑戦し難いことにトライしているのが魅力的でした。それで転職を考え始めた時にKonelの採用情報を見て、あ、募集してるんだって思って。それからWebサイトやnoteなどをさらに見て、制作事例にとても共感しました。これ自分がやりたい方向性だなって。すぐに応募したのを覚えています。

出村: そうそう、もらった連絡をたまたま僕が最初に見て、すぐ会いたいって前のめりに返信した記憶がある。最終的にKonelの仲間になる決め手は何だった?

湯浅: 東京の拠点、日本橋地下実験場に行った際、開発中の脳波の装置(BWTC)を試させてもらって「やっぱり面白いことやってるな」と思いました。丑田さんや加藤さんなど現場のメンバーとも食事をして、ここなら気張らずにやっていけると感じたことも大きな理由です。

BWTCの装置

出村: プロジェクトへの共感が発端で、作業空間や仲間との相性がよかったという流れは、とても嬉しいな。それで、話は戻っちゃうけど湯浅さんって本当によく働くよね。そのモチベーションはどこから来てるの?

湯浅: 集中して考えるのが好きなんですよね。あとは自分のためよりも他人のためにと思うと頑張れる。子どもができたことが大きなモチベーションに繋がっているんだと思います。クライアントや社内のために、これを自分が頑張ったら誰かが助かるなって思って仕事に取り組んでますね。

出村: 確かに自分ごと化が得意だよね。話振った瞬間に、もう主体になってる現場、何度も目撃してるな。Konelのメンバーとのコミュニケーションはどうですか?僕よりみんなと話すのが上手だなと思ってるけど。

湯浅: 仕事を通して戦友や仲間を増やしていくことがすごい好きでKonelではそんなことができている感じがしています。Konelのメンバーはみんなそれぞれ違って面白くて、お互いの魅力を認め合いながら仕事をしています。プロデューサーチームで言っても複数の才能を持ち合わせている人が多くて、例えばプロデューサー兼ペインター、プロデューサー兼プロダクトデザイナーなど、さまざまなスキルが集まっていて、仕事の幅も広がっています。それぞれが個性を持ちながらも、一つのチームとして機能しているのがKonelの魅力だと思います。

オファーは手紙だった

出村: 湯浅さんのKonelメンバーとのコミュニケーションや仕事ぶりを見ていて、経営に入ってほしいなと思ったんだよね。オファーした夜のこと、覚えてる?

湯浅: 覚えてますよ。社内の飲みがあった日で、2次会に出村さんと2人で行ったんですけど、それが日本橋の取引先のバーで。しかもその日は私の誕生日の前日だったんです。

出村: そうだった(笑)。タイミングはたまたまだったんだけどね。当日酔っ払うとよくないから、オファーの経緯を書いた手紙を用意してたんだけど、バーで渡すとなんか仰々しい感じになっちゃった。はたから見たら完全に告白してるおじさんだったよねきっと。なんかごめん。

湯浅: なんかもじもじしてましたよね。手紙をもらって最初はすごく戸惑いました。自分にこんなオファーが来るなんて全く予想していなかったので、驚きすぎて吹き出しちゃったし、同時にドン引きしてました(笑)。

出村: その日の湯浅さんが滑稽で。おもむろに紙とペンを取り出して、僕にいきなりメンタリングみたいなことを始めたんですよね。「Konelはもっとこうした方が良いと思います。そのためにはこういうポジションの人が必要ですよね。」って。そう来るから、僕も「じゃあ湯浅さん、お願いします。」って伝えることになったよね。

湯浅: 私は自己評価が高い方ではないので、ボードメンバーになることに不安はありました。でも、Konelは思いもしてなかったことが起きる会社だという認識はありましたし、異変を起こすことには興味がありました。経験上、自分がこっち選んだら怖いなって思う時ってすごいチャンスでもあるんですよね。自分が成長したり視点が変わったりするタイミングなので、これが与えてもらった選択肢なんだとしたら、大変な方を選んで、やれることはやってみようと思いました。私に何ができるかって最初は思ってしまうんですけど、やれることを全部やればいいんです。

出村: そういうところあるよね。これからポジションが変わるけどやりたいこと、やりたくないことはある?

湯浅: メンバーの仕事や働き方に関与できる立場になったのはありがたいです。せっかく同じ時代に生きて同じ会社にいるという縁があるわけなので、みんながのびのびと充実感を持って働けるようにサポートしたいです。ライフイベントも会社としてできることがあるなら何か力になりたい。もちろん作る仕事も続けたいです。作ることが私にとってはエネルギーチャージになるので。メンバー全員のリソースを1ヶ月あけて、みんなで1つの制作プロジェクトをやってみたいのもあるかな。 逆にやりたくないことは、他の会社でもできるようなことかな。Konelじゃなくていいことはあまりやらなくてもいいかなと。

オファーの時の話を思い出しながら少し照れくさそうなお二人

個人的な欲望を持ち込める人と、ウェットに仕事をしていきたい

出村: Konelって作りたがりの集団だから、作り続けられたら幸せなんだけど、それだけでは満足できなくて。異変が起き続けていないと居心地が悪くなるんだよね。湯浅さんにもこれからどんどん異変を起こしていってもらいたい。

湯浅: 確かに、Konelは常に新しいことに挑戦しているのが性に合うチームだと思います。私自身、この新しい立場で何ができるか、どのように貢献できるかを考えていきたいです。

出村: 今後、どんな仲間やクライアントと仕事をしていきたい?

湯浅: Konelの作品を見ると淡々としてそうな、人の気配が感じられない空気感があります。出村さんがよく言っている言葉で「時計の針を進める」、「未来の選択に関わる」というのが私は好きなんですけど、そういうちょっと先回りした5年後の世界のような作品がKonelには多いんですよね。でも実際は作っている人たちやその作品が生まれてくる背景はものすごくウェットで。人情的な関係値もそうですけど、クライアントにも純粋な情熱がしっかりと裏側にある。社会的な課題を自分ごと化して何かを感じた時に、誰かの目を見張るものを作ることができてるんだろうなと思っていて。クライアントにも、Konelとだったらそういうウェットな話もできて、一緒に作って楽しかったという体験をしてもらえたらなと思います。

出村: 確かに、Konelって個人的なやりがいを見出したいと思っている人と相性いいよね。この前も海外にいる50代後半のクライアントが、「これを会社人生のハイライトにする」と言ってくれて、一緒にやり遂げられたのはとても印象的な経験だったなぁ。

湯浅: そういう個人的なモチベーションと課題が紐づくと、プロジェクトって一気にものすごく深くなるんですよ。

出村: それは面白いね。クライアントにしてもパートナーにしても個人的な欲望を持ち込める人と仕事していこう。これからの湯浅さんのさらなる活躍に期待しています。

執筆:石原杏奈
撮影:Adit



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