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左傳を読む(魏禧『左伝経世鈔』「石碏、大義親を滅す」1)

さて、長らくお休みしていた春秋左傳の記事です。
今回は世界情勢渦巻く(ただし古代中国にかぎる)物語です。

あらすじ 衛の荘公の妻「荘姜」には子がおらず、
他の女性の子である桓公を自分の子供としていた。
州吁という公子は恩寵をかさにきてやりたい放題。
石碏が桓公を諌めたが聞き入れられない。
とうとう桓公は州吁に殺されてしまう…

石碏、大義親を滅す。
衛の荘公が斉の太子「得」の妹を娶った。「荘姜」である。
美人だったが子供ができなかった。衛の人がこのために、
「碩人」という詩を作ったところである。
又、陳の国に娶った。「厲嬀」といった。孝伯を生んだが、
早くに死んだ。その妹である「戴嬀」が桓公を生んだ。
荘姜は自分の子供とした。公子の州吁は嬖人(賤しいが
寵愛あった女性)の子である。恩寵あって兵事を好んだが、
公は禁じなかった。荘姜はこれを嫌っていた。

石碏という大夫が諌めて言う「臣は聞いております。子を愛してこれに
教えるのには正しいことを以てすると言います。邪悪なものと関わらせては
いけない。驕り高ぶって邪に耽る、自分自身で悪くなっていくところであります。
四者(驕奢淫佚)がもたらされるのは恩寵がすぎるからです。
これから州吁を擁立しようとなされるなら、それこそはっきりさせてください。
もしまだならばこれを秩序づけてください。禍となりましょうから。
いったい寵愛あってしかも驕らず、驕ってしかもくだり、くだってしかも
うらまず、うらんでしかも自重する、と言うものは少ない。
また、賤しいものが貴いものを妨げる、若いものが年長をしのぐ、
遠縁のものが近親の間を邪魔する、新人が旧故の者を邪魔する、
小さいものが大きいものに僭越し、邪なものが正しいものを破る。
いわゆる「六逆」であります。
君は義、臣は行、父は慈、子は孝、兄は愛、弟は敬。
いわゆる「六順」であります。
「順」をすてて「逆」に馴染むのは禍をまねく所以であります。
人の君たるものは禍を務めて取り去らねばならず、
これを速やかにして良くなかったことはございません。」
この諫言は聴かれなかった。

石碏の子である「厚」と州吁が遊んだ。これを禁じて許さなかった。
桓公が即位した。年老いていた。四年の春、衛の州吁は桓公を弑逆して
即位した。宋の殤公が即位するとその公子「馮」が鄭に逃げこんだ。
鄭人はこれを迎え入れようとした。
衛の州吁が即位するに及んで、かつて衛は鄭に伐たれた恨みを晴らし、
諸侯からの地位を得て、民衆を調和しようとした。
衛が宋に告げさせていうには「殿(殤公)がもし鄭を攻撃すれば、
殿のめざわりな馮を取り除けましょう。殿が主となられるのです。
我が国は助太刀いたします。陳も蔡も従いましょう。衛の願いであります。」
宋人はこれを許した。そう言うわけで陳と蔡は衛と支度をした。
そこで、宋公、陳侯、蔡人、衛人が鄭を攻撃した。
その東の門を囲むこと五日にして還った。

(つづく)


出典:魏禧『左伝経世鈔』

より日本語訳

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