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一人で商店街を歩きながら考えること

私は、一人でいるのが結構好きな方だ。
今の仕事柄、初対面の人や仕事の話しかしていない人に、こんな風に言うと、信じられない・・本当?という顔をされる。
私もそうだが、それだけ人と言うのは、多面的、分人的だと私は思っているので、こういう反応にはほとんど、影響されない。というよりも、むしろ、第一印象とのギャップを楽しんで生きている。なぜ、一人が好きかと言うと、子供の頃、そういう環境で育ったからだ。

私が農村出身であることは、このブログでも何度も書いてきたが、本当に当時は、村には人が少なかった。もちろん、農家の人達はそれなりにいるのだが、そもそも、同級生は、2キロ先までいかないといなかった。子供同士遊ぶことも、もちろんあったが、自然の中での一人遊びが多かった。

兄弟とも遊ぶとしても、ずっと一緒でいるわけではない。特に、農村の夕暮れ時は、とても、わびしいものがある。子供の頃の感覚では、もの悲しい感覚だけが残っている。
だから、今でも、夕陽を見るとそういう感じが蘇る。農村の夕暮れ時と言うのは、本当に人が出歩かない。農作業を終えて夕食の支度が始まると、秋ぐらいからは、夕暮れの中で一人でいるのがお気に入りになった。

まあ、もっとも、そういう一人と、都会でいる一人は違うのだが、今でも、昼間賑わっている街の誰もいない早朝の雰囲気が大好きだ。
私は、自宅からオフィスまで約2.5キロを歩くこともある。夏であれば、5.00頃。朝日を見たいときは、もっと早い。今自分の冬が近づくころになると、6.00頃に歩く。
今日は、三宮まで、ポートライナーに乗って、私の大好きな誰もいない商店街をゆっく歩いた。見事に、今朝は、早朝から仕事する人もいなくて、ひっそり静まり返っている。
言うまでもないが、この三宮商店街、そこから続く元町商店街は、昼間は結構にぎわうところだ。喧騒の中、人の波をかき分けて、歩くことも日常だ。当然、居並ぶ店舗をじっくり観察することもない。
だから、こんな早朝に目に留まった一店一店の看板や陳列の様子を見ているだけでも、楽しい。まさに、お客さんでにぎわう昼間と、全く、人がいない、だが、数時間もするとお客さんでいっぱいになる。単純にこんなことを考えるだけでも心がすっきりする。

今、日本の大きな課題の一つ。都会の商店街はまだまだぎわっているが、地方に行くと、閑古鳥が鳴いている商店街が沢山ある。もう古い話になるが、シャッター通りと言われて久しい。
人口が減って、それに加えて、大型のショッピングモールの進出やコンビニの充実によって、地場の小売店が衰退する。
世の中の変化、自然淘汰の流れと言ってしまえばそこまで。
やっぱり、昭和を象徴する商店街。特に、地方の商店街は何とか形を変えてでも存続出来ることが望ましい。実際に、そういう取り組みは、日本のいたるところにである。
20年、30年先に、この三宮商店街がどう変化しているかも楽しみである。と、同時に、田舎の商店街ももっと歩いてみたいと思う。
これからも、商店街の早朝の独り歩きをしながら、色々で出来そうなことを考えてみたい。

以上