小説 しんものがたり

深淵(10)

芯は、猫に話しかけた。「お前は、俺に看取られて嬉しいか」瀕死な猫の心臓の鼓動は、息を潜めながらも確かにそこにある。音も聞こえねば、形も動作もしっかと見えないが、生きている生命は確実に目前にある。芯は困惑してしまった。今にも死にそうな猫を前にして、“無力”の二字しか神経に脈打たなかったからだ。声を届けたい。自身の内奥にある、純粋で全うな“救ってあげたい”と強く思う心を届けて励ましたい。

芯は即座にスマホを取り出し、YouTubeを開いた。ワード検索アプリを立ち上げおもむろに『明るい歌』と検索にかけると動画が検索結果にずらぁと出た。その中から適当に選ぶと、スマホを猫の耳にあてた。スマホから流れてくる歌声は女性のものだった。“アブラハムの子”その歌である。一緒に歌って踊るというのが、その動画のコンセプトであり、その作用からか芯自身も徐々に笑顔になり、口ずさみはじめた。瞬間、全くもって動かなかった猫の尾がぴくりと動く。芯は驚きのあまり口ずさむのを無意識に止めてしまった。猫の尾が上下に二振りしたのである。ここだと思った。芯は、猫に一気に話しかけた。
「おい!何している。今、動かないと元気に走りまくれないんだぞ!俺が飼ってやるから、もう一回動け!一人ぼっちになるな!」

ガンジーいわく“明日、死ぬように生きよ。永遠に生きるかのように学べ”

芯は、猫の心を通して自身に話しかけていた。生きる意味とは、その答えを探すよりも大事な“歩く”を感じたのである。今、目の前にいる猫は、確かに生きている。心臓の鼓動も確かにある。死の寸前で“何かをするため”に生きていたのだ。その耳に流れ込んでくるその楽しげな歌声に感化され、己も楽しもうと思ったか。芯はさらに“話し”かけた。「どうせ死ぬなら、生きるように死んでくれ。死んでもなお誰かを励ましてくれよ!」
しばらくして猫は一として命尽きた。

翌日、豊田とともに猫を近くの土の中へ埋めた。

芯は口を開いた。
「豊田さん、僕はとても傲慢です。自分で自分を賢いと信じきって、周囲には無感動だったのです。だけども豊田さんのいった“一人ぼっち”と、この猫の死にざまを見て僕は強く『笑顔を咲かしていく人生にしたい』と思いました。たくさん学びました。感謝しかないです」芯の瞳は、使命感に満ちあふれていた。傲慢な自分―ありのままの自分を殺すことでしか安心できぬ状態だ。ありのままの自分を殺す、それすなわち上限のない欲望に振り回され、人間としてというより弱肉強食に生きる獣と化すことである。芯は思いだしたかのようにスマホを取り出し、昨日みた動画の詳細を確認し始めた。その動画は、バーチャルYouTuberキズナアイの“アブラハムの子”であった。

(第10回終了)

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