「学校、辛いなら行かなくていいよ」は優しさなのか

学校行かなくてもいい、辛いなら休んでいいんだよ

個人的に今まで生きてきてここまで無責任で怖い言葉はないと思います。
あくまでも今思えばなので、不登校が始まったばかりの時は気持ちが楽になってありがたかったこの言葉。

そもそも学校に通っていなかったら、今の友達もいないですし、勉強もわからなくて面白くないですし、もうほんと何もできないただのニートかつネット廃人確定だったと思います。私の場合。
今幸せならいい。今楽しければいい。みたいなのって若いうちはダメな考え方な気がします。周りが生涯その子のことを養えるという場合を除いて。

不登校からひきこもり、ニートに移行して行く臨床事例は数多く見られるそうです。学校に行かなくなったことで対人関係が減ったり、ネットにはまったりしている場合は特に要注意する必要があります。

私が思っていたこと

学校に行かないと少なからず社会との関わりが減ってしまうと思います。
ですから、普通に学校に行っている子よりも社会に馴染むことが難しくなると思うんですね。学校行きたくないから行かないが社会になって通じるのか。仕事行きたくないから行かないで誰が生かしてくれるのか。

「今、学校に行かなくていいよ」と言っている親に一度考えていただきたい。その子がこれからどう生きていくのか。
両親自身も、不登校自身も学校に行かないことで進路の選択肢が少なくなることは知っていますか?
それを承知の上で学校に行かせていないのですか?

将来のことを考えさせる大切さ

私「お母さん私家でたい。こんな家いれるわけない」
母「出たらいいじゃん。働きなよ」

私はずっと家を出たかったです。なぜなら、両親が私の楽しみを破壊してくるからですね。ネットも本も音楽もラジオもゲームもあらゆる楽しみを全て奪いました。学校に行っていないからですね。
そこで中卒で働くことを考えたんです。
母もハローワーク連れて行ってあげると協力的でした。
でもそこで自分で調べて中卒の給料の低さと直面しました。そんな進路に悩む中、学校で地域みらい留学という希望を見つけました。
「ここにいくには自力で学校に行かないといけない。親元を離れて学校生活を送るには自立しないといけない。」そう思えたことが学校にいく日数を多くするきっかけになったと思います。
今は通信高校などの進路もありますから、学校に行かなくても高校には進学できます。
ですが、私の通っているN校の先生が「通信高校は2年生からの方がいい」と言っていたんですね。これが何を意味するか、私は人間性を高めるためには普通の全日生高校の方が優れているということだと思いました。実際、通学コースにも通いましたが高校一年生の頃通っていた全日制高校の友達しかいません。通信高校で友達は全くと言っていいほどできませんでした。「やりたいことがある、目標がある、どうしても他の人より時間が必要なんだ。」そう強く思えないと高校一年生からの通信高校は私もおすすめしません。

行かなくていいよという言葉は学校に行かないことで生まれる壁を把握してリスクも受け入れた人が言っていい言葉だと私は思います。
それかその子の将来を保証できる人だと思います。

軽い気持ちで行かなくていいと言わない方がいい

これが私の伝えたいことで最も重要なことです。
行かなくていいと言う言葉に頼って選べる進路が狭くなってしまったその責任は誰が取れるのでしょうか。
一緒に考えて今を受け入れて、その中で作れる将来を考える。そしてその将来が作れるように、今から逃げないで一緒に自分自身と戦う。
それが本当の優しさや、愛なのではないでしょうか。

諦めないで戦い続けることは、親も子も大変なことですが私は実際に家族と一緒に不登校の自分と戦い続けてよかったと思います。
家族同士仲良くなったと思いますし、あの時ぶつかったから本音で話せるようになったと思いますし、親が私を本当に助けようとしてくれていることがわかって愛を感じました。

辛い中頑張ってくれてありがとう。


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