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自動思考の裏側

前の続きです。長くてすみません。

認知行動療法の本から、①出来事からおこる自動思考②その原因③そこからどうしたいのか=どんな行動を選択するかを探るワークをやってみました。

今日のカウンセリングで、ワークで書いたものを先生に見てもらったのでした。
先生からは、とある出来事について、原因が深掘りされてないのはどうしてだろう?という問い。
もしかしたら、そこに触れて傷つきたくないからあえて深掘りしないのでは。
ぎく。図星でした。。

心の奥を探るというのは、心をえぐることと同じ。触れると傷つくのが分かっているから、みんな蓋をして気がつかない振りをする。それは悪いことではないし、辛いのも分かる。
でもあえて見て見るのいいのかも。

そんなやりとりがあって、さらに深く探りました。探りに探って石油でもでてくるんじゃないかと思ったらやっと見えてきました。

私の自動思考の型については2つのパターンが大きいようです。
①問題の個人化。
②自己犠牲。←本には無いけど先生に言われて追加した。
の2つ。

①の「問題の個人化」は全てを私が〇〇だからこうなったなど、問題の原因は全て自分のせいにしてしまうこと。
個人化が起こるのは2パターンあるらしいです。
・幼少期に状況の原因が分からず、全部自分が何かしたからこうなったのではないかと思うことで納得させてきた
・相手を傷つけないことで、自分も傷つけないようにする

②の「自己犠牲」は自分がどうしたいかより、相手がどうしたいかを優先してしまうこと。
相手を立てることで自分を守ろうとしているから起きる。

私は結局自分を守りたい、傷つけたくないんだなあって思ったのでした。その手段として他人を守る、傷つけないというやり方を身につけているのだと思う。
そういえば、カウンセリングで最初に気がついた「誤解されたくない」というのも、自分を守るためだ。
感覚的にも自分が傷つきたくないっていうのはすごく実感しているので、腑におちます。

先生曰く、自動思考は否定してはいけないとのこと。またその裏側の自分がどうしたいかの部分も、良いも悪いもなく、ただそういうことと受け入れてあげるのがポイントだそうです。
自動思考は考えの「クセ」ではなく、「習慣」であり、自分が今まで生きていく中で必要な「手段」。そのおかげで助かった部分もあったこともあったはず。。確かにそうかも!

それにしても、「自分を守りたい」という思いが、「自分を守る」に直結してれば、こんなにいろいろ悩まないのにー(ちくしょー)私は何でこんなに面倒くさい人間なんですかね。って、先生に聞いてみました。

先生曰く、それだけ一つ一つ考えて、細かく所もよく気がつくということ。そういう人は大変そうに見えけど、他の人が見過ごすような小さい幸せにも気がつく才能があるとのこと。

例えば、山に登って、あまり気がつかない人は目の前のアルプス山脈の景色に見とれて、そこにまっすぐ行こうとする。けれど、周りの草花の美しさに気がつかない。でも、よく気がつく人は周りの小さい草花や空気の違い、水の音も感じることが出来る。
もしかしたら、そのまま道に迷ってしまうかもしれないけれど、その分山の良さを堪能出来る。
迷わないでまっすぐ行く人もいないとダメだし、日が暮れないうちに早く行くのも大切。
どちらがいい悪いはなくて、役割が違うだけ。
せっかくだから今しか見えない景色を堪能するのも悪くないのかもしれない。いろいろ大変だけど、それも良かったと思う時が来るのかな。。

こういう風に自分の心を探ると、作り物の物語の世界よりも、生身の人間の心の方が、摩訶不思議だなぁとしみじみ思ってしまいます。考えと行動が全部直結していたら、ロボットと同じになってしまうから、心がちゃんとあるんだよって人間に分からせる為に、あえて神さまはこんな不完全なものにしたのでしょうか。ドラえもんも、ネジが一本ないからいいんだよねー

あちらが立てばこちらが立たずで、またいろいろことが気になったりして、ワケが分からない心を抱えてますが、焦らずにやっていきます。

帰りに食べたむさしの森珈琲のパンケーキ、とろふわでおいしかったです!

追記 「誤解されたくない」というのは、それ自体が自動思考の根本というより、「自分より他人の言い分を優先してきた」結果、自分の中に押し込めたモヤモヤした部分が溜まり、症状が引き金になって顕在化したものなのかなと思います。
ややこしいけど、分析してみると全部同じ方に繋がっているのが、面白いです。
いろんな人というか、ほとんど全ての人に、こういう自動思考は起こっていると思うので、モヤモヤしたら分析してみると、自分の心をより深く知ることが出来るので、おすすめです。