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父の仕事人生を初めて聞いてみた話

 私はこの春キャリアコンサルタントの資格を取った。それは自分自身のやりたいことがあったからなのだが、それについては、この段階では省略する。
 受験のために学ぶなかで印象的だったのは、シニアのキャリアの悩みだ。たとえば定年が見えてきた中で役職定年となり、モチベーションが低下する。このままいっそ早期退職を選ぶべきか……しかし早期退職をしてまでやりたいことがない。今の仕事に限界が見えてきた一方で、人生が80どころか100歳まで続くとなったときに、この先の展望が見えない。
 キャリアの良い終え方、そしてその後の家庭生活、趣味人としての生活――そういったものを、これまで考える機会がなく、仕事だけに邁進してきたシニアは数多くいるらしい。その典型例が、今年定年を迎えた我が家の父だった。

 私は今実家を離れているが、帰省のたびに見かけるいつも父は一人、部屋でごろごろとテレビを見ている。母は父と同い年ではあるが、パートタイムで働きに出て、貯めたお金で、よく友人達と年に一度は海外旅行に行く。さらに私の妹達と一緒に旅行やライブ、観劇にも行き、仲も良い。
 父がなんとなく家庭内で少し浮いているのはもうずっと前からのことだったように思う。父は優しい人ではあった。私が子どものころ、遊びに連れて行ってくれたのはいつも父だったし、いろいろな話を聞いていろいろなものを買ってくれた。ただ父が家庭内で浮く理由もわかる。
 たとえば父はよく家族に、惣菜やデザートを買ってきていた。しかし普段料理をしたり家事をしたりしない父は台所事情がわからない。それにこまめに連絡を入れるといったマメさもないため(十年程前まで、文明に縛られたくないというこだわりを持ちスマホや携帯を所持していなかった)、たとえば母がもう夕飯のおかずを用意しているにもかかわらず、その献立と不釣り合いな賞味期限が近いものを買ってきてしまう。それで家族の反応がイマイチだとすねるのだった。
 他にも印象的なエピソードがある。子どもだった私を遊びに連れて行ってくれた父が、電車内で声を荒げる若い男性同士の喧嘩を止めていたことがあった。自体は事なきを得たのだが、帰宅後、父がそのことを母に得意げに話したとき、母は私も連れているのに、そこでもし喧嘩に巻き込まれていたらどうするつもりだったのかと、父を叱責していた。大人になった今、私は母の言い分に共感をする。つまり父はそういう人なのである。
 もともとはあるスポーツの競技で国体で優勝をしたこともある父。働き始めてからは、その指導者としての顔も持ち、若手の育成に尽力していた。しかし、より給与の高い仕事に就くためにスポーツ自体をやめ、順調に出世し、最高役職にまでつき重役出勤が許されるようになった。そうして生まれた時間を、母に勧められたジムに行くか、家でごろごろとテレビを見るか、唯一家族の中で父に無条件に愛情を示してくれる愛犬と散歩に行くか。そうやって過ごして定年退職を迎え、今は再雇用先で働きつつ、今まで以上に時間に余裕のある生活を送っている。

 漠然と、このままでいいのかという考えは、私も母も持っていたように思う。そして何より、父自身が長い人生の中で消化しきれないものをずっと積み重ねて、ここまで来てしまったのではないか。
 私が今年資格取得したキャリアコンサルタントとは、相手のキャリアに対する思いや考えに寄り添って、自分自身が前向きな選択をしていくことを支援する役割である。このキャリアコンサルタントには、多重関係と呼ばれる、コンサルタントとカウンセラー以外の関係を結んだ相手にはカウンセリングを施してはいけないという倫理要綱がある。それは公平な目で見れなくなるからであり、家族という関係は最たるものだろう。一方で、資格学習の中では、人の話を聞く傾聴の仕方を学んだ。正式なカウンセリングでなくても、自分の父親の話を娘として聞く位には役に立つだろう。

 そう考え、今年のある休日、私は実家を訪れた。父の定年退職をねぎらい、今まで一度も聞こうとしてこなかった父の話を聞くことにしたのだ。
 あまり、「あなたの人生を心配している」という感じを出しすぎると頑なになって話してくれなくなる可能性がある。そして私自身が近年父とあまり話をしていないため、どう接すればいいかわらかない。だから冒頭で述べたようなシニアのキャリアの問題について、今仕事で研究をしているということにして話を聞くことにした。
 両親の寝室の奥側のベッドに転がって、父はいつも通りテレビを見たり、スマートフォンをダラダラと眺めていた。私は母のベッドの方に座り、あくまで私の研究として先程の話を説明しながら、こともなげに聞いた。

「パパはどうだったの? 今までの仕事とかで特に印象に残ってることとか、これがやりがいだったなぁっていうこととかかある?」

 目も合わせず、明後日の方向を見ながらさりげなさを装いつつ聞いたので、明らかに挙動不審である。しかし父は、たまに帰ってきた娘が話しかけてくれたのが嬉しかったからか、口角を上げ、そうだねーと、もうツルツルになり顔と頭の境目がわからないあたりをなでたりしながら何かを考えていた。

「やっぱり人の役に立つっていうことが嬉しかったかなぁ」

 父はそう言って、定年退職の時に部下から貰ったという手紙を取り出した。嬉しくて、枕元にずっと置いていたらしい。一日の大半を過ごすベッドの上にその手紙を置いて眺めている父を想像すると、なんとも居心地の悪い気持ちになった。

「(手紙をくれた)その人が自分の下に着いた時、仕事の仕方を教えてほしいって、いつもお昼誘われて行ったんだよね。毎日お昼を一緒に食べながら仕事の仕方とか、トップダウンではなく、本人の自主性を重んじることが管理職として大事っていう、パパの管理職としての考え方とか、そういったことを話していたんだよね」

 家族の意向を確認せず惣菜やスイーツを買って帰ってきたときのように、好意の押し付けをしていたのではないかと心配に思った。しかし手紙の中には、『自分が今まで出会った中で、もっとも尊敬できる上司です』といった言葉が書かれていた。

「あとはスポーツの先生をしていた時のことなんだけど、その時教えていた子が問題を起こして補導されたんだよね。それで少年院に行くことになって……結局その子の学校の卒業が遅れてしまったんだけど、少年院にも会いに行ったし、補導された時も何度も話を聞いてたりしていたんだ。そしたらどこで連絡先を探してきたのか、数年前に突然その子から電話がかかってきて。『自分は昔すごくひねくれていたけど、今は就職して今度子供も生まれることになった。だから自分自身のけじめとして、あの時はお世話になったからお礼を言いたくて電話をした。あの時言えなくてすいません』って、言ってもらえたことも印象に残ってるかな。『先生は、優秀で目立つ子だけじゃなくて、自分たちみたいなタイプも気にかけてくれた』って」

 そうして父は、自分が一緒に過ごしてきた人たちに感謝を伝えられたエピソードをいくつか話してくれた。

「誰かに評価されるとかじゃなくて、ちゃんとその人のことを見て、役に立ちたいと思ってやってきたことが返ってくるんだなぁ、伝わってるんだなぁ。その人も自分を見てくれているんだなぁって思えると、やっぱり報われたっていうのかな。そういうふうに感じるよね」

 そんなふうに父は語っていた。
 子供のころよく遊びに連れて行ってくれた。今はもうなくなってしまった近所のデパートの屋上で、お腹が空いたと言った私のために1階まで降りてハンバーガーを買ってきてくれた。中学生のころ、ストーカーにあって毎晩のようにその相手から電話がかかってくるので困っていた時、電話に出て、相手を叱ってくれた父。高校生の時にテストの採点にミスがあり、とても低い点になってしまった。配布された時に確認していなかったから、もしかしたらこの低い点数で成績が付けられてしまうかもしれないとなったときに、父は先生に相談をしてくれた。そのおかげで点数は正しくつけてもらうことができた。
 こうして父の話を聞いて、少しでも父が前向きに過ごせるようにと動かされたのは、もしかしたら20年以上経った今、父にしてもらったことを返したいと思った結果なのかもしれない。
 父は今、再雇用で働いている。給与は私よりも低い。働く時間も短いが70歳までは働くことができるらしい。今後の時間をどう過ごしていきたいのかを聞いた。
「やー、まぁ趣味とかはねぇ。それよりもやっぱり犬の世話があるし、まぁジムとかもねぇ……行ってもいいけど……」
 今後のことについてはやはり煮え切らない。ごろごろしている状態に慣れてしまって、現状を変えたいという気はあまりないのかもしれない。それか案外、のんびり過ごすのが性に合っているのかも。
 私が父を変えようとするのは傲慢だし、今までほとんど話していなかったのにこの一度だけで何かが変わると思うことも、良い影響を与えられると思うのも思い上がりだろう。だけど、父の中には語れる物語がいくつもあった。
 父との対話は、早く散歩に行こうと急かす犬の声によって遮られた。
 散歩から帰ってきた父は、「散歩しながら聞かれたことについてもっと考えてたんだけど」と言い、遮られた話の続きをしてくれた。
「やっぱり誇りかな。誇りを持って仕事をしてきたって思えるよ」
 今は、この可愛い命を一生懸命守るという役目に誇りとやりがいを持っているのかもしれない。娘と違い、与えた愛情の分以上のものを、常時、今、生きているだけで、その可愛さで返してくれるのだから。


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