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嵐の後には凪が来る。

盆地育ち、海知らず

海に入るのは苦手だ。それでもたまに無性に海が恋しくなる。18歳になるまで、文字通り山に囲まれて育った。実家の部屋の窓からも、小中高の通学路からも、どこにいても山が見えた。初夏になっても、県内最高峰の山はまだ山頂に雪をいただくような、そんな土地だった。

ふるさとの山に向ひて言ふことなし
ふるさとの山はありがたきかな

石川啄木

先人のそんなつぶやきを、きっとみな心のうちでふと口ずさむ。そういう土地で生まれ育ったので、私にとって海は山々の向こうにある、遠い遠い場所だった。強く意識したことはなかったけれど、まだ幼い頃、慣れない海で溺れたときの恐怖も体に染み付いていたのかもしれない。

貧乏学生、瀬戸内海と出会う

そんな私が頻繁に海に触れるようになったのは20歳を超えてからだ。学生時代、広島から東北まで北上一人旅をしていた頃。バスや電車の車窓からは当たり前のように海が見えた。

港町で海からの恵みを糧に生活を営む人々。レジャー目的ではない、主要な交通手段・生活手段としての船やボート。空気を満たす潮の香り。私にとっては特別なものだった海が、そこでは暮らしの一部として息づいていた。

かくいう私自身、肉よりは断然魚介派、しかも刺身には目がない。一番好きなのはホヤの刺身。そういう意味では、私にとっても海は生活の一部だったのだけれど、20歳そこそこまでは、海はどこか現実味に欠ける、間接的な存在だった。

その後、縁あって瀬戸内海の離島で約1ヶ月暮らした。瀬戸内海ど真ん中の小さな島では、どこにいても海が見えた。ちょうど、ふるさとの山のように。大きな自然に囲まれている、という意味では両者は同じで、人工的なビルや無数の群衆に囲まれている状況よりもよほど似通っていた。

そのためでもあるのか、数ある海の中でも瀬戸内海が性質を異にするためでもあるのか、はたまた私が異邦人だったためか、人生初の海沿いでの暮らしは、美しい海の景色と共に今も脳裏に蘇る。「多島美(たとうび)」という情趣に富んだ言葉を教えてくれたのも、瀬戸内海の人々だった。

社会人1年目、横浜。

社会人になってから初めての海の思い出は、横浜・八景島シーパラダイス。社会人1年目の4月最後のこと。イルカの水族館「ドルフィンファンタジー」で、頭上に泳ぐイルカたちをのんびり眺めながら一夜を過ごすことのできる夢のようなイベントに、幸運にも繰り上げ抽選で参加したのだった。

カクテルや食べ物を片手に、トンネル上の水槽の下、まるで海の底にいるかのような気分でイルカたちと一晩を過ごした。……と聞くと「なんてロマンチック」と思う方もいるかもしれない。確かにこれ以上ないと言っていいほどの特別な体験だった。しかも海に入るのが苦手な私が海に入ることなく、イルカの姿を思う存分、近くで楽しめる。

が、しかし。私にとって想定外だったのは、イルカたちが一晩中元気よくハッスルして、それはもうにぎやかに泳ぎ回っていたこと。普段は夜間にこれほど人がいることもないから興奮しているのか、それともイルカは元々夜行性なのか、当時は知る由もなかったが、館内に特別に設けられたベッドに横たわり目を瞑っても、ガラス越しに元気よく泳ぎ回るイルカの気配がして落ち着かない。「共生」とはこういうことも含めて共生なのだな…と思いながら、翌日は寝不足だった。

眠い目をこすりながらも「これはぜひとも」と思い参加したのが、八景島シーパラダイスから朝日を拝みに行くオプショナルイベントだった。

朝の5時前から太平洋をじっと静かに眺めながら、太陽を待つ。薄闇に包まれた世界がだんだんと光を帯び始める。大海原の中から顔を出し始めた太陽は、はじめは海と空のキャンバスの中のちっぽけな点に過ぎなかったのに、そこから溢れ出す光はあっという間に空を白く染め、海面を淡いオレンジ色に塗りかえていった。

海。海から昇る太陽。何百年も何千年も昔であっても、夜明けを海辺で過ごしてきた人は、きっと同じような景色を見てきたのだろう。私がそれまで山際から昇る太陽を日々何気なく見て過ごしてきたのと同じように。ハッスルイルカたちのおかげで重いまぶたをこすりながら、ただそれだけを思った。 

社会人1ヶ月目。上京1ヶ月目。ビルと人に囲まれて気持ちの余裕も時間の余裕もなく過ごしていた自分。そんな中、海辺で手にした穏やかな気持ち。ところがそれは瞬く間にかき消え、私はまた「忙しさ」という怪物に負けて、余裕なくその後の日々を過ごすことになる。

そして、沖縄。

その次の海の思い出は、八景島から2年近く後、心身ともにボロボロになった状態で逃げるように訪れた沖縄の海だ。二泊三日だったか三泊四日だったか、うろ覚えだけれど、ざっくりとした予定しか決めていなかった私が出会った海は、タクシーの運転手さんが連れていってくれたカフェの窓から眺めた夕暮れの海だった。

オフシーズン、というものが沖縄にあるのかは知らないが、私からするとオフシーズンなその季節も店内は人で賑わっていた。外国人観光客と思しき人たちのおしゃべりと、開け放された窓から聞こえる波の音。目の前の海には小舟が浮かんでいた。波に流されるでもなく、波に抗うでもなく、小舟はただ静かに揺れて海に浮かんでいた。

流されるでもなく、抗うでもなく。それがどんなに難しいことか。それから、どのくらい海を眺めていただろう。静かに打ち寄せる波と、波音に体を預ける、ただそれだけのことで、混乱し、疲弊し、昂り、荒れ狂っていた気持ちが凪いでいく。「凪ぐ」という感覚を私が本当に理解したのは、この時だった。

「凪ぐ」心を求めて

沖縄を後にし、日常に戻ったあとも、私はよく旅に出た。宮城の松島、東京の諸島、鎌倉・江ノ島、紀伊半島沿い、島根にある日御岬、福岡は宗像市の大島…。幸運にもほとんどの場合、海は穏やかで、その度に私は束の間、「凪ぐ」心を与えてもらった。あるいは私は無意識のうちに、荒ぶる気持ちを鎮めてもらいに海へ足を運んでいるのかもしれない。


荒ぶる海。穏やかな海。奪う海。与える海。ただ、すべてはきっと主観に過ぎない。海も山もただそこにあるだけ。それでも私はこれからも「凪ぐ」心を受け取りに海に足を運ぶだろう。

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ありがとうございます。いつかの帰り道に花束かポストカードでも買って帰りたいと思います。