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文化人類学視点の自己紹介note

学問バーKisi本店の1日店長になります。

きたる2023年9月30日(土)18:00-23:00、学問バーKisi本店さんにて、1日店長をやらせていただくことになりました。

新宿、歌舞伎町の片隅。ありとあらゆる年齢層の人や娯楽、ネオンがひしめく夜の街を通り抜けてたどりつくのは、バーやレストランが所狭しとひしめくビルの5F。

扉を開けると、そこは「お酒を片手にアカデミックな会話を楽しめるバー」。様々な専門をお持ちの方が日替わりで店長としてあなたを待っています。

今回、私がお話するテーマは「古今東西のダークツーリズム|文化人類学の現場から」。

大学時代に専攻していた観光人類学×災害人類学についてお話します。

人はなぜ、広島の原爆ドーム、沖縄のひめゆりの塔、NYのグラウンド・ゼロ、アウシュビッツ強制収容所といった場所にわざわざ足を運ぶのでしょう?人類はどんな「ダーク」なものを観光対象としてきたのでしょう?そもそも「観光」とは?皆さんと一緒にゆっくり語らう夜になればうれしいです。

観光人類学と出会うまで

登壇するからには、少し詳しい自己紹介を、とも思いましたので、こちらのnoteにまとめます!


  • 小波季世

  • 30代。

  • 猫と旅と日本酒が好き。

  • 東京の片隅で、書いたり読んだり編んだりしながら暮らしています。

  • 大学時代、文化人類学(中でも観光人類学×災害人類学)を専攻。

  • 東日本大震災と災害ツーリズムに関する論文で第二回 杜の都人類学賞受賞。

  • 文化人類学は、「文化を通して人を考える学問」。主な研究方法は、長期に渡るフィールドワーク(現場に赴き、現場で起きていることを観察する手法)。「文化」の定義や学問の歴史など、関連情報は膨大にありますが、このnoteでは一旦、この説明に留めておきます。


私が学生の頃は、観光立国推進基本法が制定(2007)、観光庁が設立(2008)されてから数年経ち、国を挙げて観光を盛り上げて行こうという機運が高まっていました。その流れを目ざとく見つけた私は文化人類学の中でも観光人類学を……というカッコイイ話では全然ありません。笑

大学では留学生との交流の機会も多かった中、彼らの多くが想起する、あるいは「行きたい!」という日本の観光地は、大体がKYOTO、TOKYO、HOKKAIDO。大学は仙台でしたが、「留学が決まって初めてSENDAIという場所を知った」という留学生も少なくない状況。

生まれてから18年間ずっと東北地方のとある県で暮らしていた私は、地元の地名やイベント名がこれっぽちも候補として出てこないことにショックを受けていたのでした。(まさに井の中の蛙気分…笑)

そんな折、文化人類学の授業の中で、「観光人類学」という分野があることを知り、興味を持つように。なぜ人は旅を、観光をするのか?なぜ特定の場所が「有名観光地」となるのか?その流れの中で、「VISIT JAPANキャンペーン」(2003年開始)を知り、日本という国がどんな「日本(らしさ)」を外に向けてPRしているのかを調査していました。

なんでもない土地が「被災地」に、そして「災害観光地」になった。

そして、2011年3月11日(金)14:46。仙台にある大学のキャンパスで、春休みの英語講習を受けていた時。のちに「東日本大震災」と名付けられる災害の発端となる地震が発生。

私にとっては慣れ親しんだ、しかし国内外では認知度の低い広大な地域は、「TOHOKU」あるいは「『FUKUSHIMA』とその周辺の地域」として皮肉にも一躍、世界の注目を浴びることになりました。20歳の春でした。

2011/3/12の空

東北は「被災地」となり、それから数年、あるいは多くの人の記憶の中で忘れ去られつつある2023年の今でも、「災害観光地」としての側面を帯びるようになりました。昨今の東京電力・福島第一原子力発電所の処理水海洋放出をめぐっては、再注目されているともいえるかもしれません。

東北を「災害を経験した地域」として見るか、「災害抜きにしても観光で訪れる価値のある地域」として見るかは、個々人や時代によって変化するものでしょう。

ちょうど、原爆被災地である広島や長崎、911同時多発テロの起きたニューヨークが、そこで起きた負の出来事のあった土地として記憶されていると同時に、食や景観、歴史、娯楽の面で魅力ある土地とされているのと同じように。

広島・長崎・ニューヨークが今のような状況に至るまで多くの論争・葛藤があったと同様のことが、東日本大震災被災地でも起きていました。

なんでもなかった土地が突然被災し、多くの人がそれを「見る」心構えのないままにメディアを通じてその状況を目撃し、それ以上に「見られる」心構えのできていない市井の人々が突如、無数の視線に晒される事態が。

そうして、住んでいる土地が突如「被災地」、のちの「災害観光地」として人が押し寄せる場所になった私は、「災害人類学」ひいては、人類の負の側面を対象とする「ダークツーリズム」という概念に出会うことになったのです。

「負の出来事を経験した土地」を巡った学生時代

その後、フィールドワークや個人旅行、大学や自治体主催のプログラムなどで、私は各地の「負の出来事」を経験した土地を歴訪。

国内では岩手・宮城県内の地震・津波災害の大きかった地域に加え、広島の原爆ドーム、広島平和記念資料館、長崎の浦上天主堂、長崎原爆資料館、沖縄にある「平和の礎」、ひめゆり平和祈念資料館、神戸の阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター。

長崎 浦上天主堂遺壁(2014)
沖縄 「平和の礎」(2015)

海外ではニューヨークにあるグラウンド・ゼロ、ロサンゼルスの全米日系人博物館、ホーチミンにあるベトナム戦争証跡博物館、台湾・嘉義県阿里山郷来吉村(2009年8月の台風で大きな被害を受けた。台湾では「八八水災」と呼ぶ)、シンガポールの戦争記念公園内にある日本占領時期死難人民記念碑(「血債の塔」とも呼ばれる)。

ニューヨーク 9/11 MEMORIAL(2012)
シンガポール 日本占領時期死難人民記念碑の礎(2012)

個人的に望んで訪れた、というよりもそれらの場所の多くはプログラムの主催者側によって訪問場所の一部として選定されていました。(福島を訪問していないのは、機会がなかったということに尽きます)

「そういえば自分も行ったかも」–旅の記憶を呼び覚ます夜に

思えば、日本の修学旅行でも戦争の歴史を学ぶために、広島や長崎、沖縄、あるいはそれぞれの地域で戦争に関連した施設・場所を訪れたり、経験者のお話を聞いたりするのは当たり前のようになっています。

その背景にあるのは、「人間は負の出来事を忘れてはならない」あるいは「負の出来事から何かを学ばねばならない」という考えがあるからでしょう。

きっと皆さんの多くもこうした「ダークツーリズム」「負の経験からの学びの活動」に参加した経験があるのではないでしょうか。

「あれってどういうことだったんだろう」
「今ならどう感じるかな」

今回の学問バーでは、そんなことをゆるゆると考える時間をお届けできれば、と思っています。

9月最終日の土曜。途中参加・途中退出可能ですので、ご興味のある方はぜひふらりとお越しください。皆さんの「旅」の記憶や思い出もぜひお聞きできるとうれしいです。それでは。

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ありがとうございます。いつかの帰り道に花束かポストカードでも買って帰りたいと思います。