2月日記|哲学のある公園−Jとの往復書簡
■アメリカからの友人と旅人
2月某日、アメリカ在住の友人Kが一時帰国するというので数年ぶりの再会。数年ぶりでも、久しぶりという感覚はほぼなかった。お互い、今以上にもっと未熟だった学生時代に出会い、相手の赤裸々な一面を良くも悪くも知り尽くしているから、ということもあるかもしれない。
私が人生に弱気になっていたときにKに本気で怒られたときもあるし、Kに対して私が烈火のごとく怒り狂い、絶縁予告をしたこともある。そんな仲なので、昨日も会っていたかのように軽口を叩き合いながらお酒を飲み交わす。
お店は、外国人のお客さんでにぎわっていた。その中に、Jがいた。彼女は日本に来るのは初めてで、北海道と東京に滞在したあと、翌日には成田空港からアメリカに戻るのだという。普段は、アートやデザイン、建築関連の仕事をしているらしい。
Jは初の来日を通じて、日本文化に相当興味が湧いたようだった。「侘び寂び」がなんたるかを聞かれて、英語はおろか日本語でもうまく説明できなかった自分が恥ずかしい。少ししてから、英語も堪能なお店のマスターが「侘び寂び」の説明を紙ナプキンに書いて、Jに手渡していた。かっこいいとは、こういうことだ。
■Jの探しもの
Jは都内で「Rock Garden(石庭)」を探していた。石庭なら絶対に京都の龍安寺に行くべきで、もしまた日本に来るならぜひ京都に、とKと私は熱心にすすめた。
とはいえ、今回Jには時間がない。よくよく聞くと日本庭園自体、行ったことがないという。彼女の滞在場所、そして成田空港への移動を考えて、Kと私が出した案は駒込にある六義園だった。
その晩は、3人でいろいろな話をした。互いのルーツやアイデンティティーの話、Jが日本で訪ねた場所のこと、日本酒の味わいや好み、日本という国の多様性、日本人のもつ自然観、漢字の意味…。「師」という言葉は「先生」や「専門家」を意味するのだと教えると、Jはその漢字をいたく気に入ったようだった。
連絡先を交換しようということになり、「FacebookとかTwitterとか、何かSNSはやっている?」と尋ねると、Jはひどく顔をしかめて言った。
Jらしい。会って数時間しか経っていないのに、Jの一挙一動から彼女の哲学を感じていた私は、その言葉を聞いてなんだかうれしくなった。自分なりの美学や哲学を持っている人に心惹かれるのは私の性分で、それは昔から変わっていない。
メールアドレスを交換して、私たちは別れた。また出会えるかどうかはわからないけれど、出会えてよかった。そう思える出会いだった。
■東京のど真ん中で見つけた、「死」への心構え
それから数日後の早朝、Jからメールが届いた。彼女は翌日、本当に六義園に行ったらしい。そこにはこう綴られていた。
まるで一編の詩を贈られたような気持ちだった。あまりにも慣れ親しみすぎてうまく言語化できない自文化は、Jの眼から見るとこう見えるのか。こう表現されるのか。
人生は常にバラ色では、決してない。不意に暗転するときもしばしばある。それでも、日常に潜むこういうすばらしい瞬間––たまたま行ったお店での偶然の出会い、遠方の友からの便り、一杯のコーヒー、ラジオから流れてきたパーソナリティーのひと言、何気なく見上げた夜空に輝くオリオン座––はその一日を、あるいはその後の人生を美しく彩ってくれる。
■不完全さの先に––金継ぎ、そして「This is Me」
すばらしい便りをもらったお礼とともに、私はすぐにJへの返事を書いた。
ミュージカル映画『グレイテスト・ショーマン』をあえてひと言で表現するなら、世の中の「はみ出しもの」が、人生を切り開いていく物語だ。現代以上に「人と違うこと」が「悪」で、差別も嘲笑も許容された世界の中で、生き抜く登場人物たち。
私はこの映画を2回映画館で鑑賞し、2回ともぼろぼろと泣いてしまった。そして、大好きな曲「This is Me」のビハインド動画を見て、またもや泣いてしまった。
この曲のメインシンガーであるキアラ・セトルが初めて生歌を披露したワークショップ。マイクの前に出ることを怖がっていた彼女が、前へ、一歩前へと踏み出してこの曲を歌い上げた奇跡のような瞬間。
歌詞の一部はこうなっている。
「傷」というキーワードを通じて、私が伝えたことはJにはどう響くのだろうか。Jのことだから、流行りものの映画は観ないのかもしれない。たとえそうだとしても、私はJの感想を楽しみにしている。
(終)
ありがとうございます。いつかの帰り道に花束かポストカードでも買って帰りたいと思います。