長崎からの手紙
そんな旅の「楽しみ方」を私に教えてくれたのは、大学の同級生だった。
旅先から、家族や友達にではなく、自分に手紙を書く。それまで学校の修学旅行以外に旅行らしい旅行をしたことのなかった大学生の私にとって、彼女のその習慣は、ひどく大人びた、特別な楽しみ方のように思えた。
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今でこそ旅先から自分に手紙を出すことは、私の旅の定番になっているけれど、初めて旅先から自分に手紙を書いたとき−−もう10年近く前になる−−はひどくドキドキしたのを思い出す。
そういえば、あの手紙はどこにあったっけ。旅行先で入手したパンフレットやら写真やらをしまってある箱を引っ張り出す。
懐かしい品々を手に取っていると、「ああ、あの時あそこ行ったなあ〜」「このときは寝坊してタクシー使ったんだった…」など、つい思い出の寄り道をしてしまう。
そんな中、お目当のものはしばらくして見つかった。かつて、夏の長崎から投函したポストカード。浦上天主堂の絵。手紙の最後には「長崎でミルクセーキを食べながら」の文字。
どうしてそのとき長崎に行ったのか、今ではすっかり忘れてしまっていたけれど、手紙の内容を見て思い出した。
夏季休暇中の旅行先を探していたとき、原爆が長崎に落ちた8月9日、まさにその日も含め、休みが取れると気づいて、旅行先の1つに長崎を選んだのだった。
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大学でダークツーリズムを研究していた私にとって、長崎はいつか訪ずれたいと常々思っていた土地だった。
「ダークツーリズム」とは何か。
同じく原爆被災地の広島には、それまで何度か足を運んだことがあった。「怒りのヒロシマ、祈りのナガサキ」とよく言われるけれど、本当にそうなのか。現地に行って自分は何を感じるのか。それを知りたかった。
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当時の写真を引っ張り出してみる。写真を通じて、記憶があとからあとから溢れ出すのがわかった。真夏の長崎の太陽と青空。8月9日だからこその風景。
無数の献花と折り鶴に囲まれたモニュメントたち。
長崎に着いた頃には式典は終わっていた。だからだろうか。記憶の中の長崎は、汗ばむような暑さとは裏腹の静寂に包まれている。
宿泊先のホテルで出会った、原爆で兄を亡くしたというご高齢の男性。男性は、今は長崎県外に住んでいるのだけれど、毎年この日は長崎に来るのだと話していた。きっと、そういう人が他にもいるのだろう。
東北出身の私にとって、被爆者の方やご遺族に会うという経験は、広島以外ではそれまであまりなかった。その方との出会いは、「ナガサキ」が体温のある血肉を纏った出来事として感じられた出会いでもあった。
その土地に刻まれた、その土地の記憶。人々が脈々と受け継いできたもの。教科書や新聞、テレビ越しに見聞きしてきた単なる「知識」ではない、生の体験。
豊かな想像力と共感力のある人ならば、わざわざ現場に行かなくても理解できるのかもしれない。
そう教えてくれたのは大学の先生だった。そんな風に、記憶の糸はどんどんとつながっていく。
長崎での、あの暑い夏の日。
記憶の中で陽炎のように揺らめくあの日から届いた自分宛の手紙を、私はきっとこれからも折に触れて見返すに違いない。
ひんやりとしたミルクセーキの味と、旅先で手紙を綴っていた、あの特別な時間のことを思い出しながら。
ありがとうございます。いつかの帰り道に花束かポストカードでも買って帰りたいと思います。