見出し画像

「言語化が上手いね」を素直に受け取れない 【雑記】

「言語化したい」と思ったことはあまりない。

「言語化が上手い」とも思ってない。
謙遜じゃなく。

カッコつけみたいになるからちょっとイヤだけど、「言語化が上手い」と言われるとあまり褒められた気分になれない。

内容に触れられず、側面を撫でられている気持ちになる。
同時に内容を褒められる時も勿論あるけど。
内容を褒められたい時の「内容はさておき」って言い方は焦らしに近い。直接「内容はさておき」とは言われないけどさ。

褒められてる部分が褒められたい部分と違いすぎて、ありがたいけどじれったいというか。好きな人にかわいいって言われたいのに、その服の色いいねって言われるのってちょっと違うじゃんか。
早く走れた時に「速かったね」って言われたいのに「走るフォームよかったよ」って言われたくないじゃん。わかんないけど。

理解の「なるほどね」とか共感の「そうだよね」とか感想の「こう思う」とかが欲しいのであって、「言葉にするのが上手いね」と言われたいのではない。「創作頑張ってるね」の時も同じことを思ってしまった。
ありがたいことなのに、どうしてこうひねくれるのか。

当然のようにできることを褒められた時、ナメられた気分になる。
健康に生きているのに「呼吸が上手いね」と言われれば、文脈にもよるがナメた口の利き方になってしまう。
そういう「ナメんじゃねえ」って気持ちがちょっとだけ生じる。

とはいえこの場合、「自分はこんなに上手く説明して文章にできないから尊敬します」という意味合いを含んでいるはずだ。
呼吸をしているのは皆に共通しているが、言語化は意識しないと上手くなっていかないし、わざわざしないことが多い。

「褒めを素直に受け取れない」というのが、この話の本質だ。

この前も年上の人に
「『料理が作れるなんて偉い』って素直に喜べないんですよね、こっちはやりたくてやってるから」
と話したのに対して、
「いやでもそれは『自分にできない技能だから尊敬する』って意味合いを含むだろうし、素直になったほうが自分も嬉しいし失礼がないよ」
と言われて納得した。年上の意見すぎるな。

この場合も、料理を食べて味を評価されたいというのがそもそも褒めてほしい部分だ。実際「料理やってます」と言ったら「え~美味しく作れるの?食べてみたいね」と言われたい。

行為や取り組む姿勢じゃなくて、味を評価されたいという欲が出てしまっている。ちょっと考え方が幼いかもな。

どっちにしても他人には失礼になって歪んでいるから、ネガティブにならず受け取れるようになりたい。謙虚にいこう。



「どうにか言語化したい!」と思ったことも体感ない。

というか、言語化って語彙を手に入れたの自体が5,6年前だ。インターネット的、ビジネス的、学問的な言葉で特殊だと思う。
会話で使ったら不自然じゃんか、「言語化」なんて。
頭がよさそうすぎるしお堅い。ゆる言語学ラジオとかクイズノックとか好きそう。すみません、僕もすきですやっぱ。いいですよね、ゆる言語学ラジオ。別に頭よさそうで悪いことないっスよね。ウス。

あと「言語化しよう!」「言語化は素晴らしい!」もちょっとだけイヤだ。
感じ方を伝えたいか伝えたくないかであって、伝えるのが絶対ではないだろ。良いものは言わなくたって良いもののままだ。

伝えてみたら伝えること自体を好きになれるからオススメです、って言い分はわかるけどね。自分が楽しいからって押し売りはよくない。


ただ、よくよく考えれば「この気持ちをどう説明しよう」と思うことは小さい頃から度々あった。

最初に文を書いたのは「このゲームにおけるこの武器の強みについて説明します」だったから、間違いない。当時中学3年生だった。
結局のところ「言語化」って言葉に違和感を覚えているだけで、客観的に見ると言語化しようとしている。

感じ方の違いを伝えたいから、説明しようとする。
感じ方が人と違いすぎるところがままあって、そのまま切れ端の単語だけを放つと「どういう意味?」と口を揃えて言ってくる。

今回だと「言語化がしたいとは思ってない」→「そんなに書くのにどういう意味?」という感じ。メモに「言語化とはあんまり思ってない」と書いてあり、それがここまで膨らんでいる。説明したいことをめいっぱいに説明したいだけ。

話をしていく途中で違う結論に着地することも多い。発見が多いから、自分なりに説明していくことが気持ちいい。

疑問を放置してもいいけど、少しだけでも伝わった時の快感に味を占めてきた。
「説明がつかない」が「説明がつく」になる瞬間って、それが仮に間違っていても気持ちがいい。自分の中でパズルが解ける。
伝えたくてただ仕方ない、それだけだ。

感じ方ってみんな違うし、それを言えた方が主張はしやすい。
やろうと思ったら時間はかかるけど、誰でもできることだ。
雑談が可能な人は、みんな行為としては言語化ができる。好き好んでやるかどうかの違いだけで。

”好きこそものの上手なれ”ってことわざは、誰でもできるものにこそ更に適用できるのかも。誰でもできるのに好きかどうかが、上手に見えるのに直結するというか。

下手の横好きって言葉も別であるし、好きだから絶対に上手いってものでもないけど。乱文書いてたら高く評価されにくいし、好きじゃなくなる可能性は高い。創作趣味における下手の横好きって相当メンタルが強いな。改善ができてないというか。


そもそも言語化が上手い人ってどういう人なんだ。

「あの雲の形って、ケンタッキーチキンの海岸沿いの石みたいな部位、みたいだね」と言って「うるせ~~~~!」と友人から怒られたことがある。
二重に例えたうえに、題材もわかりにくいし共感もできないしうるさい。二回も読点で息継ぎすなよ。完全に友人の言う通りだ。

「言語化が上手い」って、これをもっと共感しやすくかみ砕いて綺麗に表現できるかだと思う。わかりにくい感じ方を、わかりやすく変換して残していく作業。

ケンタッキーチキンは5つに部位がわかれており、そのなかで例えに使いたかったのは「サイ」という部位だった。(公式の説明サイト)

いや雲の形ってだいたいこんなだし、近い形の部位も2つくらいあるし。今思えばなんなんだ、知識を使いたいだけすぎる。もっとあっただろ。からあげ……いやからあげもだいたい雲の形してるだろ。

言語化したいと思っているというよりは、僕はただひたすらにお喋りで、それを伝わるように説明したいだけだ。

言語化が上手いとはずーっと思ってないし、積極的に言語化しようと意気込んではいない。

思うことを伝えきって、共感されたい。わかってほしい。
動機はわがままだけど、楽しめる趣味のひとつとして言語化を行っているのかもしれない。

そもそも「言語化が上手い」って褒められるってことは、理解ができた、伝わってくれたってことだ。
結局素直に嬉しがった方がハッピーじゃんか。

ありがとう。そんなこんなで雑記がひとつ増えました。


総括としては、「これからケンタッキーは骨ごとかみ砕いて食べましょうね!」ってことです。

こなまるでした。


フォローとスキを求めています