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バズの発生と発祥【雑記】

なぜか、タイトルを決めてからだと筆が進まない。実際に進まないのはキータイピングだけど。

「バズる」という言葉は元々英語の「buzz」から来ている。「buzz」はハチがぶんぶん飛ぶ様子を表していて、一つの話題にハチが群がっているように多くの人が集まっていることを示す。ちなみに英語では、バイラルに広がるという意味の「go viral」と表現される。

Google先生

バズって蜂が飛ぶのが由来なんだ。バズと蜂といえば。

100%パクツイってわけでもなく、文自体の持つユーモアのパワーが高くて忘れたころにやってくる。前者のツイートのスクリーンショットで「笑い止まらんくなってる」系も含めて何回かバズってるのを見た。
これ系は文脈がなくて地力でバズってしまうことがある。

これ、下のツイートに関しては1日後に当該のツイートを見たのち触発されてそのまま「なりたい」と正直に書いたまでだ。こういうバズり方もあるよね。


そもそも「バズらせる人たちの意志の強さ」というタイトルで書こうとしたんだけど、伝えたいことがタイトルで完結していて、全く書きたいことがなかった。こういうことこそTwitterで消化するべきなんだろうけど…。

バズらせに成功した人、本当に成功させるべくして成功している。
ソーシャルメディアでバズだけが目的になっている場合も確かにある、ありまくる。
発信が誰でもできるからこそ確実にバズる要素や文脈は確立されつつある。
方法としては昔から変わらなくて、認められる高クオリティでウケやすい要素で更新が継続されていて監視者の母数が多いことだ。
たとえば曲ならつよつよクオリティアニメMVとかバズりやすい曲調とかウケやすい歌詞とかが確実にあるだろうし。
漫画でもツイートでも動画でも、「見たことある方法だけどクオリティは間違いない」があふれている。

だからこそ本人たちの努力継続と策略なくしてバズることは基本的にない。と思う。言い切れない部分もあるけど。
インフルエンサーみたいな商業的バズらせ屋はまた話変わるのかな。

書いた手前、後者パワワのバズの説明がつかないけども。



あと書くことは変わるが、こと急速に普及した「バズ」って言葉自体、実は新語流行語には選ばれていないらしい。新語流行語大賞が基本的にザルなのはわかっていても、常用になりそうな語は逆に賞に入っていかない…みたいな決まりでもあるんでしょうか。自分ですら最初に知ったの、バズリズムって番組かもしれない。

「エモい」とか「なう」とかが流行語に選ばれて死んでいくのを見た感じ、息が長く代えが利かない言葉は選ばれないのかぁ?と思い始めた。
調べた感じ、「バズる」という言葉の普及にバズを察知する側の新語流行語大賞が追い付いてないだけっぽい。
そういう使われ続ける単語は新語込みの辞書に入っていく印象もある。そういうのあったな~と試しに辞書編みの新語を調べてみた。
これだよこれこれと言いたくなる納得感がある。読み物として面白い。

大賞で言えば2017年の「忖度」とか2019年の「○○ペイ」とか、講評も含めて満足できる内容。流行語と違い、言葉の伝わり方やシンプルな語の変換からして、代えを用意しにくい言葉たちだ。
2023年のこれが「バズる」でもおかしくはない。



たまに、自分の親が若者言葉を取り入れて使い始めた瞬間・使い始めようとするその最初とも思わしき一撃を目撃することがある。
昨日、普段の二倍くらい鳴いてる飼い猫を見て「バズらせよう」と言っていた。ナメんな。
ずっと前だと、親が「知らんけど」や「ワンチャン」なんかの言葉を使い始めててちょっと嫌だった。
悪いことじゃないけど、言葉にし難い嫌悪感・ぞわぞわした感覚がある。多分、親もそれは感づいている。よく見ると親と叔母(関係上姉妹・兄弟)の時だけ使う言葉なんかがあることも最近気づいた。

この嫌悪感はなんなんだ。自分の中の親像が言葉使いだけで急に変化していくのに処理が追い付かないんだろうか。
物心ついた頃から口癖のように使っている言葉ならなんとなくだけど想像がつく気がする。
実際「ヤバい」だの「マジ」だの言ってる時はまだ納得ができる。昔から口に出しているのをそこそこ聞いているし、自分の親年代が口にしていても違和感ない単語だし。
たとえばリビングにコーンフレークを盛大にこぼしたとして、「あーヤバいねぇ」と言われる気はする。自分もやっべ!!!って言ってると思うし。

こういう身内の言葉の変遷に対して、時代に適応しようとする「若作り」と言ってしまえば簡単なんだろうけど。自分の中でなんだかそう断言できない。
仮に服装が若者寄りにガラっと変わっただとか、髪の毛をグっと明るく染めました~とかなら「若作り」って一蹴できるんだろうけど。
言葉だとパッと見は外面に出ないし、言葉は他人の言葉を吸収して仕方なく変わるものだから。無神経に「若作りやめな!」と言えるような変化でもない。無意識だったらどうすんねんという気持ちがある。
たぶん、意識的に変化させたかどうかで相手の受け取り方・傷つき方が違うだろうという予測からか?
故意か事故かで罪の重さが変わるというか。そもそも罪かどうかで言えば罪ではないけど
そもそも外見の変化でも言うべきじゃない、と言われれば仰る通りだ。


そういえば書くことがなかったから最初に日記チックに思ったことを書いていて、下のほうに置いておいたんだった。こういう「とりあえず置いておいて~」みたいな書き方にnoteって強いのか~。

デスク周りをコバエさんがとことこ歩いている。体力が尽きかけているのか習性なのかはわからないが、同じところをうろちょろしている。
個人的に育ってきた環境が汚い寄りだったから、小さな虫の一匹二匹はどうでもいい。いいんだけど、流石に視界外にいてほしい。潰せば一瞬だけど、それすらめんどう。なんか「殺生」が発生するので。心が穏やかすぎて、視界にハエがいる蓄積の不快感と殺生発生のうしろめたさがどっこい。もっとイライラをコバエ自体から貰えば間違いなく抹殺に向かうけど。怒りをもっとくれ、本気になりたいんだ。
いつでも目障りな奴の首を切ろうと思えば切れる偉い人ってこういう気分なんだろうか。

というか怠けているだけでもある。ナマケモノの体にハエが湧いていて処理できない状況と引きこもりの部屋にコバエが湧いていてめんどくさがってる状況、あんまり変わらない。

…殺生発生って読みにくくて存在しない四字熟語みたい。殺生発祥って読みそうになる。殺生発祥の地、ニッポン。

「コバエごときがバズる(ぶんぶん飛ぶ)なよ、と思って殺生が発生してしまいました。」
という一文を書き、消しました。嘘なので。


なんかバズの発生、バズの発祥、バズの殺生の発生の話になっちゃった。
これタイトルにしよっと。
もしかしてこんなに書かなくても良かった…?


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