「無理しなくていいよ」という言葉のあたたかさ
「無理しなくていいよ」
この言葉を、自然と自分に投げかけられるようになるのに、35年もかかってしまった。
それとは反対に「頑張る」という言葉に、違和感を感じるようになるまでにも35年かかった。
それもそのはず。物心がついたときから母親からかけられていた言葉は「何でもやるからには1番になりなさい」だった。
幼少期から頑張ることが当たり前の環境だったけど、今までにいろんな人のやさしさに触れる中で、徐々に心がフラットになっていき、ようやく自然体の自分がわかりつつあるんだなと、感じた。
それと同時に、今まで「無理してでも頑張れ」と自分にかけていた言葉は、無意識のうちに周りの人にもかけていることに気付いてハッとさせられた。
先日、80歳過ぎの食が細くなった祖母に、「タンパク質足りてないからこれも食べなよ」と良かれと思ってかけていた言葉は、あきらかに無理をさせる言葉だった。
お腹が減っている時もあれば、お腹がいっぱいの時もある。
「無理しなくていいからね」
その言葉をかけられるだけで、心がだいぶ軽くなる気がする。
これは、勝手な想像だけど、子供に頑張らせようとする親は、将来、子供が立派な大人に成長して苦労しないように、という親心があるからなのかなと思う。
でも、親の背中を見て、そういう大人に自分もなりたいと思ったら、自然と近づけるように自分で頑張るんだと思う。
言われてする努力は大変だけど、自分から望んでする努力はあんまりキツさを感じない。
「無理しなくていいよ」
この言葉だけで、まわりはちょっと平和になる気がする。
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