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死んだら海に骨を撒いてくれ


 お布団にうつ伏せになって潜っていた。寝る時に着るもこもこの服にはフードがついていて、それはいつの間にかすっぽり私の頭に被さっていた。

 外から継続的な、パタパタという音が聞こえてくる。私のからだは眠っていたけれど、脳は覚醒し始めていた。モヤがかかっている頭で、これはなんの音だろうと考えていた。

 雨が降っている。雨の雫がベランダの手すりを叩く音だ。
新居に越してからほとんど雨は降っていなかったし、遮音性の高い建物を選んだので、思ったより大きく響くその音がなんの音なのか、すぐに判断できなかった。建物の造りが理由なのか、それとも雨の雫の形がそういう種類のものだからなのか。
 まだ早い時間だと思った。5時くらいだと予想した。

「雨が降っている?」

 私は目を瞑りながら言葉にした。

「え、なんで見てるってわかったの?」

 1Rの部屋に母が泊まりに来ていた。隣に布団を敷いて眠る母に私は尋ねたのだ。
暗闇の中目覚めた母は、私の眠っている顔を見ていたらしい。

「いや、なんか起きてそうだなと思って話しかけた。見られていることは気づいていなかった」

「あんたなんか変な格好で寝ているね。アイマスクがマスクみたいになっている」

「フードもいつのまにか被っている。
寒くなく、眠れた?」

 布団が1組しかないので、シェラフや電気毛布を使って寒くないように工夫していた。

「あったかくて気持ちよく眠れた」

「それはよかった。
良い家なんだけど、内見の時から気になってたニオイがなかなか消えないんだよな...」

 内見の時から、古い建物特有のニオイが気になっていた。私はだいぶ慣れてきたけれど、母は初めて来た日、外階段を上る時から気になっていたと言っていた。
エアコンの配管が壁の中央を這っていたり、洗濯機置き場が小さすぎて3.3kgのサイズしか置けなかったりと、いろいろと気になるところはあるものの、私は概ね新居を気に入っていた。
かねてから住んでみたかった町に住むことができたことが私の中で大きかった。

私は東と北の二面彩光の窓を心から気に入っていた。北の窓に向かい合わせになるように作業用のデスクを置き、作業に疲れたら決まった時間に走り抜けていく電車を眺めた。今日も人々は暮らしを営んでいると思った。

「お香を焚くといいんじゃない?使ってないの、お母さん持ってるよ」

「お香、いいね」

 脳裏に、先日訪れた狭くて薄暗い、人々の熱気が充満した小さな店の映像が映った。

「この前、尾道の古本屋が東京に出張で来ていて、3日間だけ臨時の店をやっていて、行ってきたんだ」

 半ば眠っている気分で、私はボソボソと話し始めた。

「ちょっと変わった本屋で、尾道で深夜に、23時から27時に営業している。それでその臨時のお店に行ったら、狭い薄暗い店内をもくもくとお香の煙と香りが漂っていた。お客さんがひしめいていて、すごい熱気だった。
初めてお目にかかった店主も独特の雰囲気を持った方だった。SNSで見ていた感じとそれほど印象は変わらなかったけれど、いかにも深夜に店を営業している人、という感じがした。私は他にそういう人に会ったことはないけれど。
家に帰ったらコートと買った本に香りが移っていることに気がついた。まるで尾道の匂いがうちまでやってきたみたいだなって思った」

 その時は喋れる感覚があった。普段母といる時は私はほとんど聞き手に回るのだが。
夜と朝の間だったからか、はたまた、まだ半分夢の中に半身を入れたままだったからなのか、言葉は続いた。

「店主が尾道に帰ったら、尾道のお客さんに、東京でたくさん儲かったからって東京に行くなんて言わないでよぉって言われたらしい。
それに対して店主は『僕はこの町と心中するつもり』って、つまり東京に移るつもりなんてないって、SNSで言っていた」

「いいね」

 母は大層いいと思っている声でそう言った。
母とは、私が新卒で福山に住む前と私が住んでいるときに、何度か尾道を訪れた。
母は町を闊歩し、時に人と共に、時に彼らの社会で暮らす猫たちをいたく気に入った。

「ゆうか、尾道に骨を埋めたいって言ってたよね」

 母は、初めて一人で尾道に訪れ興奮して帰ってきた私の様子を思い出していた。
同じ時、その映像は私の頭の中でも再生されていた。

 あの時の興奮は、今思えば本当に不思議だなと思うのだが、それでもやはり自分のことなので、理解できるとも思っている。
ただ、その時私の中で起きていたことを、誰もが閲覧できる場所で詳らかに書く予定は私にはなく、書くとしたら自分のために書くときだと思っている。
私は他者からの影響を受けやすいタイプなのだけど、このことに関してはあまり人の影響を受けたくなかった。まあとにかく確かにここだ、ここに埋めてもらおう、と思ったのだ。まだ若かった。当時21歳だった。

「今はどこに埋めたいと思っている?」

 母は訊いた。

「海に撒いてほしい」

 それからなんとなく私は、地面に埋められるより、海に撒かれて世界を漂うのがいいんじゃないかと思うようになった。海洋散骨というらしい。

「お母さんは?」

「沖縄の海がいい」

 母も海洋散骨を望んでいるらしかった。

「沖縄の海のどこ?」

「古宇利島(こうりじま)の周辺がいい」

「どうして縁もゆかりもないのにそこがいいの?」

「だって好きな場所に撒かれるのがいいんじゃない、きっと」

「ふうん。忘れそうだから、遺書かなんかに書いておいて」

「わかった」

 しばらく沈黙が続いた。
 私はこの会話、なんかいいなと思っていた。
いや、沖縄の古宇利島だって?そんな初めて聞いた島の海に骨を撒いてほしいなんて、変な人だなとは思ったのだが、それと同時に、やはり私たちは親子なんだな、とも感じていた。

 たまにこういう会話も必要なのかもしれない。冗談なのか本気なのかわからない話を茶化さないで真面目にする。
そこには、お互いにとって丁度よい距離を2人で探る感覚があった。

 時刻はまだ6時前だった。
私は母に電気をつけていいか確認した。

「なんで?」

「なんか文章を書きたくなったから」

 そうして私はこのnoteを書き始めた。
エッセイを書くのは初めてのことだが、書いてみるとえらい書きやすいものだなと思った。



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