![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/141374482/rectangle_large_type_2_84e4b42d90e4bea7a61248cf6333fd29.jpeg?width=800)
私にヨガの先生はできません!【第二十話】自信がないのなら
やるしかない、とあらためて思ったのは本社の最寄り駅のプラットホームで電車を待っているときだった。
雨はついさっき止んだものの、空は雲に覆われ、いまいちすっきりとしない。
「うう……」
会議では目立たないように大人しくしているつもりだった。それがどうしてもできなかった。
自身のレッスンの集客もままならないのに、仕事を増やしてどうするのだ。時折、聞こえる新幹線のブレーキ音が、そう責めてくるように聞こえる。
そうだ、そうだと、賛同するもう一人の自分を頭の片隅に追いやるように首を振る。
でも!
ここで物販を成功させれば、過去にやらかした失敗を挽回できるかもしれない。会社からの信頼を回復できるかもしれない。
そう言い聞かせる。
「あ、笹永さん!」
ふいに、背後から名を呼ばれる。
この声は……。
「片井さん?」
私は振り返る。
「やっぱり! 笹永さんだ。先ほどは本当にありがとうございました」
片井さんは勢いよく頭を下げた。「びしっ」という効果音が背後に見えそうなくらいに綺麗な礼だった。
私はそこでまだ一度も彼に、正式に名乗ったことがないことを思い出す。
「あ、いえ。すみません。私、以前にも名刺を渡してませんでしたよね。笹永いと葉って言います」
「いいんです、いいんです。会議室で笹永さんって呼ばれていたから、きっとそうなんだろうなって思ってましたから」
彼はそう言って笑った。
「よろしくお願いします。多分、また近々連絡することになるだろうと思うんで」
私が言うと、彼は大きくうなずいた。
「いやあ。笹永さんがいてくれてよかったです。僕、取引先の本社にまで出向いて、大人数の前で営業するのが初めてだったんですよ。もともと、先輩の仕事だったんですけど、急遽、バトンタッチしてみないかと提案されてひやひやでした」
片井さんがそう言ったとき、思い出したのは進行役の言葉だった。
たしか、もともとはレッスン中に飲めるドリンクを提案されていて、却下の結果、ルイボスティーになったとのこと。
それって……。
上手くいく見込みがほとんどなくなったから、後輩の片井さんに放り投げたってこと?
そう思うものの、口にするのが失礼だということくらいわかる。
「それにしては堂々としてましたよね。自信ありげに見えました」
私は言った。
「まさか! 笹永さんは、僕がああやって話するの苦手ってこと、知ってますよね?」
ふいに、レンタルスタジオで練習する彼の姿が頭に浮かんだ。
「まあ。でも、やってみようって思えたんですよね? それってやっぱり自信があったからじゃないんですか?」
自分でも引くくらいに食い気味になっている。
「あー。……リアルなことお伝えすると、自信がつくの待ってたら、僕、一生、個人担当者への営業しかできないと思うんです。だって、怖いじゃないですか」
片井さんの視線が下がる。
彼の手元にある傘の露先からは、ぽたりぽたりと水滴が落ちている。
「怖い、ですよね」
私は、ヨガのインストラクターとしてデビューする前のことを思い出した。
あのときは、最終的に、怖さを乗り越え「よしっ」と気合いを入れて、一歩踏み出せた。でも、それは、人前でインストラクションをすることへの自信をつけたからだ。
実際のことなんてちっとも知らなかった。
こんな風に集客で悩むことがあるなんて、考えもしなかった。
「だから、とにかくやってみて、今の自分が出せるパフォーマンスを出せればいいやっていう感覚でいることにしています。うーん。結果に対する自信というより、ちゃんと、目の前の人に向けて仕事をやりきる自信っていうのかな? あれ? 自分でも何言ってるのかよくわからなくなってきました。あはは、すみません」
片井さんは首をひねり、照れ臭そうに笑う。
彼の一文は私の頭の中をぐるぐると巡りながら、ゆっくりと大きくなっていた。
……そうか。
「いや、よくわかりました」
「あ、本当ですか? よかったです」
私の脳裏には、橘さんの言葉がよぎった。自信なさげなレッスンに対する苦言と共に、彼女はこう言った。
「あのね、今、参加してくれた人たちは、あなたの状況なんて、知ったこっちゃないんだからね」
たしかにその通りだ。
一方、堂々として見えた片井さんは、たとえ初めての環境でも、目の前の人に向けてパフォーマンスを出すことに意識を向けている。
「なるほど」
頭のどこかにつっかえていた何かが、喉元を通りお腹の底に落ちていくような感覚を覚えた。
「え? なにか言いました?」
片井さんが尋ねてくる。
「いえ! ありがとうございます! おかげさまで色々わかりました。また、物販のことはあらためて店舗からお電話しますね」
「はい! よろしくお願いします」
片井さんは深々と頭を下げると、くるりと背を向けて去っていく。
彼の背中は、数か月前にレンタルスタジオで見たときよりも、大きく見えた。
ちょっと、わかった気がする。
私は、レッスンの参加者が増えれば自信がつくと思っていた。それもきっと間違いじゃない。でも、それだと、人が集まらないときにはどうすればいいんだって話になる。
まさに、今がその状況だ。
「たぶん、逆なんだ」
はっきりとした口調で呟いた言葉は、周囲のざわめきにかき消される。
もちろん、ダメなところはちゃんと直さないといけないし、えりかさんに教えてもらったような地味な行動も大切だ。
でも、まずは、目の前の人たちに受けてよかったと思ってもらえるレッスンを提供しなきゃ。
そして、そんなレッスンをやりきるための自信を持つこと。
これならできる気がする。
私はなんとなしに顔を上げた。
遠くの空では、分厚い雲の隙間から光が顔をのぞかせていた。
この連載小説のまとめページ→「私にヨガの先生はできません!」マガジン
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?