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私にヨガの先生はできません!【第二十話】自信がないのなら

第十九話「ルイボスティーは売れない?」はこちら
第一話「無理です!」はこちら

 やるしかない、とあらためて思ったのは本社の最寄り駅のプラットホームで電車を待っているときだった。
 雨はついさっき止んだものの、空は分厚い雲に覆われていて、いまいちすっきりとしない。
「私、今、ピンチかも……」
 会議では目立たないように大人しくしているつもりだったのに、それがどうしてもできなかった。
 自身のレッスンの集客もままならないのに、仕事を増やしてどうするんだ。時折、聞こえる新幹線のブレーキ音が、そう責めてくるように聞こえる。
 そうだ、そうだと、賛同するもう一人の自分を頭の片隅に追いやるように首を振る。
 いや! ここで物販を成功させれば、過去にやらかしたポスティングの失敗を挽回して、マイナスになっているであろう会社からの信頼が回復する可能性だってある。
 そう言い聞かせる。
「あ、笹永ささながさん!」
 ふいに、背後から名を呼ばれる。
 この声は……。
片井かたいさん?」
 私は振り返る。
「やっぱり! 笹永ささながさんだ。先ほどは本当にありがとうございました」
 片井さんはシュッと姿勢を正すと、風を切る音が聞こえそうなくらいに、勢いよく礼をする。
 そこでまだ一度も彼に、正式に名乗ったことがないことを思い出す。
「あ、いえ。すみません。私、以前にも名前を伝えていませんでしたよね。笹永いと葉って言います」
「いいんです、いいんです。会議室で笹永さんって呼ばれていたから、きっとそうなんだろうなって思ってましたから」
 彼はそう言って笑った。
「よろしくお願いします。多分、また近々連絡することになるだろうと思うんで」
 私が言うと、彼は大きくうなずいた。
「いやあ。笹永さんがいてくださってよかったです。僕、取引先の本社にまで出向いて、大人数の前で営業するのが初めてだったんですよ。もともと、先輩の仕事だったんですけど、急遽、状況が変わったからと、バトンタッチされてひやひやでした」
 片井さんがそう言ったとき、思い出したのは進行役の言葉だった。
 たしか、もともとはレッスン中に飲めるドリンクを提案されていて、却下の結果、ルイボスティーになったとのこと。
 それって……。
 上手くいく見込みがほとんどなくなったから、後輩の片井さんに放り投げたってこと?
 そう思ったけど、口にするのが失礼だということくらいわかる。
「それにしては、堂々としていて、自信ありそうに見えました。なんていうか……。安心して聞いていられる感じです!」
 私は言った。
「まさか! 笹永さんは、僕があんな風に話すのが苦手ってこと、知ってますよね?」
 ふいに、空っぽのレンタルスタジオで、一人練習する片井さんの姿が蘇ってくる。
「はい。一生懸命に練習されていましたから。でも、それでもやってみようって思えたってことですよね? それって、やっぱり自信があったからじゃないんですか?」
 自分でも引くくらいに、彼に対して食い気味になっている。
「あー。……リアルなことお伝えすると、自信がつくの待ってたら、僕、一生、個人担当者への営業しかできないと思うんです。だって、怖いじゃないですか」
 片井さんの視線が下がる。
 彼の手元にある傘の露先からは、涙が流れるように、ぽたぽたと水滴が落ちていく。
「怖い、ですよね」
 思い出したのは、ヨガのインストラクターとしてデビューする前のこと。あのときは、最終的に、怖さを乗り越え「よしっ」と気合いを入れて、一歩踏み出せた。でも、それは、人前でインストラクションをすることへの自信をつけたからだ。
 実際のことなんてちっともわかっていなかった。こんな風に集客で悩むことがあるなんて、考えもしなかった。
「だから、とにかくやってみて、今の自分が出せるパフォーマンスを出せればいいやっていう感覚でいることにしています。うーん。結果に対する自信というより、ちゃんと、目の前の人に向けて仕事をやりきる自信っていうのかな? あれ? 自分でも何言ってるのかよくわからなくなってきました。あはは、すみません」
 片井さんは首をひねり、照れ臭そうに笑う。
 彼の一文は私の頭の中をぐるぐると巡りながら、ゆっくりと膨らんでいく。
「あ……」
「あれ? 笹永さん?」
 片井さんは、突然フリーズした私に首をかしげる。
 たちばなさんの言葉が頭をよぎる。
 自信なさげなレッスンに対する苦言と共に、彼女はこう言った。
「あのね、今、参加してくれた人たちは、あなたの状況なんて、知ったこっちゃないんだからね」
 たしかにその通りだ。
 一方、堂々として見えた片井さんは、たとえ初めての環境でも、目の前の人に向けてパフォーマンスを出すことに意識を向けている。
「なるほど!」
 頭のどこかにつっかえていた何かが、喉元を通りお腹の底に落ちていくような感覚を覚えた。
「え? なにか言いました?」
 片井さんが尋ねてくる。
「いえ! ありがとうございます! おかげさまで色々わかりました。また、物販のことはあらためて店舗からお電話しますね」
「はい! よろしくお願いします」
 片井さんは深々と頭を下げると、くるりと背を向けて去っていく。
 数か月前、レンタルスタジオの廊下で見送ったときに比べて、彼の背中は一回りくらい大きくなっている。
 私の目にはそう映った。
 ちょっと、わかった気がする。
 ずっと、私はレッスンの参加者が増えれば自信がつくのだと思っていた。これも間違いってわけじゃないけれど、それだと人が集まらないときにはどうすればいいんだって話になる。
 まさに、今がその状況だ。
「たぶん、逆なんだ」
 はっきりとした口調で呟いた言葉は、周囲のざわめきに吸い込まれていく。
 ダメなところはちゃんと直さないといけないし、えりかさんに教えてもらった、地道な行動も大切だ。
「でも……」
 なにより意識しなきゃいけないことは、目の前の人たちに受けてよかったと思ってもらえるレッスンを提供すること。
 そして、そんなレッスンをやりきるための自信を持つこと。
これならできる気がする。
 私はなんとなしに顔を上げ、遠くの空を眺めた。
 立派な雲の隙間からは光がまっすぐに差し込んで、雨上がりの街を照らしていた。

第二十一話:「物販って大変だ!」へ

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