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私にヨガの先生はできません!【第十一話】ぬぐえない不安

第十話「トラブルと信頼」はこちら
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【第十一話:ぬぐえない不安】

 翌日、小さな更衣室で私服から制服に着替えてスタッフルームの扉を開けると、フロントからのSOSのコールが鳴った。
「あ、私行きますね」
 私はえりかさんに声を掛けて、すぐにフロントに出た。
笹永ささながさん、コース変更希望の方がいらっしゃったんです。私、手続き入りますね」
 アルバイトスタッフの天野あまのさんが言った。 
 私は彼女に代わってフロントに立ち、会員様がスマホのアプリ画面を開き、専用端末にバーコードをかざしていく様子を見守る。システム上、チェックイン・アウト業務は自動でできるけれど、たまにイレギュラーがある。
例えば、支払いが未納になっている方がいらっしゃったり、予約していない方がチェックインしようとされたり、いろいろだ。
 そのときは、スタッフがお声掛けして対応する必要がある。
 先日にやらかしたことがまだ頭の中に残っているけど、ここでぼんやりとして新たなミスをするわけにはいかない。
 私はチェックイン・アウト用のパソコン画面に視線をちらちらを向けながら、会員さんに笑顔で挨拶をし続けた。
「あのう、四月からって、レッスンのプログラム変わりますよね? いつわかりますか?」
 馴染みの会員さんが尋ねてくる。
「はい! 変わります。三月の中旬には新しいプログラムが出る予定です」
 レッスンプログラムは、三ヶ月ごとに変更になるのだ。
「たしか、ネットでも見れますよね?」
「はい! 店内の掲示の他、公式サイトやSNSからも確認できますよ」
 そう答えながら、はっとする。
 新しいプログラムは、現状の集客数や外部のインストラクターさんの都合などをふまえて、一ヶ月半~一ヶ月前くらいから準備していたはず。
ということは、えりかさんはすでに四月からのレッスンプログラムを作り始めていることになる。
 本当は、私がデビューするかどうかという意思を、もっと早く確認したかったんじゃないだろうか。きっと焦らせないようにギリギリまで待っていてくれていたんだ。

「あの、えりかさん」
 レッスンがはじまり、忙しさが落ち着いた頃を見計らって、先輩に呼びかける。
「ん?」
「あの、四月からのレッスンプログラムってもう作ってますよね?」
「ええ。来月の半ばには出さないといけないからね。さっき、いと葉の名前入れてみたところなの。見てくれる?」
「はい。もちろん」
 えりかさんは、私からパソコンが見やすいように座っている椅子をずらした。
 画面には、まだ編集ができるエクセルファイルのままのレッスンプログラムが表示されている。
「いと葉はね、火曜日の十四時半からのビギナーヨガ、木曜日の二十一時からのハタヨガ、金曜日の十四時半からのリラックスヨガの週三本を予定しているわ。時間帯とか問題なさそうかしら?」
 まだ編集中のプログラム表を見ると、それぞれの時間帯のところにレッスン名と担当インストラクター名が記されている。
「はい。大丈夫です」
 今まで、なにげなく見ていたレッスンプログラム。そこに「笹永」という名前がのっていることが不思議な感じだった。
 本当に四月からでデビューするんだと、あらためて実感する。
 春から、私にとって新しいステージがやってくるような気がした。
 それは、ワクワクすることだけど、やっぱり怖い。身近な人たちと一緒に踏み出す進級や進学、入社とは違う。
 一人きりで、巨大な扉から飛び出すような……。私はやっと腹を括り、扉の前にやってきた、と思う。
 あとは扉に手を伸ばし、思い切って開けるだけだ。
「デビュー、もうすぐね」
 えりかさんが言った。
「はい。……あの、えりかさん。ひとつ、聞いてもいいですか?」
「ええ」
「レッスンの途中に流れを忘れてしまったり、ミスしたりしたら……。と思って、怖くなることはないですか? ……正直、私、それが恐ろしくてずっと踏ん切りがつかなかったんです」
 今も引っかかっていることだ。
 こんな弱気なところ、見せない方がいいってわかってるけど、聞かずにはいられなかった。
「今はないわ。もしも、流れを忘れたのなら、違うポーズをすればいいだけよ。用意した構成の通りにしなきゃいけない決まりなんてないもの。それに、ミスしたとその場で自覚したなら、すぐに訂正すればいいの。あ、右でなくて、左でしたって」
 えりかさんは少しも考えるそぶりを見せずに言った。
 まるで、大したことではないかのようだ。
「えりかさんも、間違えることありますか?」
「あるわよ! さすがにしょっちゅうじゃないけれど。新人の頃はね」
「へえ」
 私はまぬけな声を上げる。
 意外だった。
「そのときは、なんとかとりつくろったんだけど、かなり落ち込んだわ」
「えりかさんでも落ち込むんですね」
「ちょっと! あたしのこと、なんだと思ってるのよ」
「なんでもできる女性、ですよね?」
「ええ?! そんなわけないでしょ! でね、そのとき、岩倉店長に言われたの。プロのインストラクターだからミスをしないってわけじゃない。ミスをしたときに自然にカバーできるスキルがあるからこそレッスンを担当できるんだって。プロとしてもっと大切なのは、会員さんのニーズに応えること。うちの場合は、美容や健康、リラックスなんかを目的に入会される方が多いわよね」
「はい」
「会員さんからしたら、いかにヨガを通して希望を叶えられるかが重要なことなの。もちろん、ミスが多くて、レッスンがスムーズに進行しないのは問題よ。集中どころじゃないからね。でも、流れが少し飛ぶくらいなら、いくらでも自然にカバーできるわ。あと、慣れるにつれて、そんなことすら起こらなくなるわよ」
「そう……ですね」
「あと、いと葉が最初の頃に気にしていた柔軟性も同じよ。問題なくお手本のポーズはできているでしょう? だから、大丈夫。今以上の能力を求め続けるのはいいことよ。でもね、会員さんからすると、あなたのスキルよりも、自分がここで目的を達成できるかどうかってことに興味あるものなの」
 えりかさんに言われると、なんだか大丈夫な気がしてきた。
「あの……。私、昔、弁論大会に出たことがあるんです」
 えりかさんからすると突拍子もない話だと思う。それでも彼女は表情を変えずに、大きくうなずいてくれる。
 私は過去のできごとを一通り話した。
「なるほど。それで、人前に立ってレッスンを進行することに対しての怖さが膨らんでいるのね」
 えりかさんが言った。
「はい。昔のことだってわかってるんですけど」
「ねえ。これは仮の話よ? もしも、その読まなくてはいけない文章が飛んだとき、いと葉がうまくとりつくろって、原稿にない言葉でラストまでつないだとしましょう。結果はどうなっていたと思う?」
 教卓の上で生徒に質問を投げかける先生のように、えりかさんは言った。
「それでも、入賞はできなかったと思います。原稿はあらかじめ提出してあって、その通りに暗記しているかどうかも、評価基準らしいですから。よほど、他の部分で飛びぬけてないと、難しいですね」
「あたしもそう思うわ。学生時代ってなにかと、その通りできることが求められるもの。それで、いと葉は今ほどではないにせよ、やっぱり落ち込んでいるでしょうね。どうして忘れてしまったんだって」
「そうなると思います」
 そのIFを考えてみても、どんよりとした表情の自分が浮かび上がった。
「でもね、ここでのレッスンは違うわ。忘れたのならカバーすればいい。さっきも言ったけど、大切なのは、予定通りに進行することよりも会員さんのニーズに応えること」
 えりかさんは、はっきりとした口調で言葉を続けた。
 今、どこからかひっぱってきたんじゃない。自ら経験して、常にその意識が頭の中にあるからこそ、出てくるアドバイスだと思った。
「私、考えてたのが、自分がこうなったらどうしようってことばかりでした。忘れたらどうしよう。ミスしたらどうしようって」
 これじゃ、会員さんのことを真剣に思っているようなふりして、実際には自分の心配をしているだけじゃないか。
「思っていたよりずっと、会員さんの方を向けてなかったって、今、わかりました。うん。……もう、大丈夫そうです」
 私はそう言って、うなずいた。
「ふふっ」
 えりかさんは、ふいに視線を逸らすようにして笑った。
「ええ? 今の笑みはなんですか?」
 思わず突っ込む。
「いと葉のことを笑ったんじゃないの。懐かしいことを思い出したのよ。今の「会員さんの方を向けてなかった」って言葉でね」
「それって、えりかさんのことですか?」
「そう。種類は違うけど、おんなじことがあったの」
 ちっとも想像がつかない。なんてったって彼女はキラキラしたステージの上で歌って踊る元アイドルだ。注目を浴びることも、人前で堂々と振る舞うことにもなれっこで、私みたいになさけなく、恐れることなんてないはずだ。
「本当ですか?」
「あはは。あたしはね、デビュー前、先輩にさんざんいわれたの。「それじゃ発表会だって。誰も有栖さんを見たいわけじゃない」ってね」
「発表会?」
 それは、もう長いこと聞いてもいなければ、口にしたこともないワードだった。
「そう。知らずのうちに、自分の姿を見せることがメインのようになっていたみたいなの。この美しいポーズを見て。綺麗なスタイルを見てってね。もちろん、自分では意識してなかったのだけど、今思うとたしかにって感じね」
「でも、お手本を見せるのは、インストラクターの仕事ですよね?」
 私には、その系列店のスタッフがえりかさんの美貌に嫉妬してチクチク、ネチネチ、意地悪を言ったかのように思えた。
「その通りよ。でも、それは会員さんが正しいポーズをとりやすくするためよね。決して、インストラクターが柔軟性やポーズを見せつけるためじゃない」
 えりかさんの声は力強かった。
「そう思います」
「そのときのあたしには、そういった意識が抜けていたの。たしかに、もっと魅力的に見せるにはどうすればいいのか、なんてことばかりを考えていたのよね。言われてはっとしたし、今も、話しててちょっと恥ずかしいもの」
「へえ」
「ごめんなさい。あたしの話になっちゃったわね。とにかく、いと葉は大丈夫よ。なにか困ったことがあれば、相談してね」
 えりかさんはそう言って微笑んだ。


第十二話:「今と過去のココア」へ

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