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私にヨガの先生はできません!【第十二話】過去と今のココア

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【第十二話:過去と今のココア】

 翌日、私は仕事終わりにカフェ・くじら座へと向かった。
 扉を開けると、カウンター席のところにカレンの背中があった。その向こう側にいる一ノ瀬いちのせさんがこちらを見て、笑顔でアイコンタクトをしてくる。
「カレン。ごめん、待った?」
 三日ぶりに会うカレンの隣にゆっくりと腰掛ける。
「いや、ぜんぜん、さっき来たところや」
 カレンの声には、いつものような力強さも、テンポのよさもなかった。大人にきつく怒られたばかりの子どものよう。らしくない、という五文字がしっくりくる。それが自分とのやりとりのせいだと思うと申し訳なくなる。
「あ、それ、ココアだよね? 同じのにしよっかな」
 私はあえて明るい声を出して言った。
「かしこまりました」
 そう言ってうなずいたのは、私たち二人の気まずい空気をいつもと変わらない表情で見守っていた一ノ瀬さんだ。
 彼がその場を離れたと同時に、カレンがちらりとこちらへと視線を向けた。
「あのさ……」
「カレン、ごめん! 私、大人げなかった!」
 カレンがすべてを言い切る前に、私は頭を下げる。
「ちゃうやん。悪いのはあたしやで。ごめんな。あの後に考えたんやけど、いと葉がずっと気にしてた過去のことを軽く見てしもたってことやろ? 最悪やん。もう、長い付き合いやのにさ」
「ううん。今ならわかるの。過去のことばかり気にしてたらダメだって。カレンはそういうことが言いたかったんでしょ?」
「せやけど、言い方悪かったなって反省してん。ほんま、ごめんなあ」
 カレンの肩が小さくなる。ショボン、という効果音が聞こえるくらいに。
「もう、いいの、いいの」
「あとな、いと葉に言ってなかったことがあるねん」
「え?」
 そのとき、私の前に注ぎたてのココアがやってきた。
 カップに顔を近づけて、甘く香るココアにうっとりしたいけど、カレンの言葉が気になって仕方ない。
「あんな、あたし三年前に美容院の仕事、辞めたやん?」
「うん。合わなかったって言ってたね」
 私はそう言ってうなずいた。
「あの理由な、嘘やねん」
「ええ!?」
「ほんまはな、倒れてん。仕事してるとちゅうに、バタンって。気い失ってしもてんな。それで救急車で運ばれて、疲労や言われたわ。それで、しばらく安静にしてて、一週間くらいで復帰はできたんや。でもなあ、仕事してると頭痛くなったり、気持ち悪くなったりで、ぜんぜん働ける状態やなくなってんな」
  カレンは当時の状況を思い出しているのか、カウンターの向こう側の壁をぼうっと眺めながら言った。
「そうなの?! カレンが倒れるってちょっと想像つかないけど……」
 だって、バスケットボール部のエースでパワフルで……。
 あ……。私でさえそう感じるくらいなのだ。カレン自身はかなりショックだったはずだ。だから、話してくれなかったのかもしれない。
「せやろ? 自分で言うんもなんやけど、体力には自信があってん。根性だってあるつもりやったし、多少、シフトがきつくてもやっていけると思っててん。でもな、びっくりするくらい体がついてこんかった。前兆みたいなんもなくって、ある日突然、目が覚めたら病院のベッドの上やってん。あたしもやけど、親がほんまに驚いてたわ」
「うん。そりゃ、驚くよね」
「それでなあ、こないだ……いと葉の過去をそんなこと呼ばわりしてしまったやん? あれ、考えてみれば、自分に言いたかったんやと思う」
「自分に?」
「……これも、人にはじめて言うんやけど、あたしな、雑貨のネットショップ作ってみたいなって思っててん」
「へえ!」
 初耳だ。でも、カレンに似合う。おしゃれな雑貨や可愛いアクセサリーが揃っているショップ。自分のことじゃないのに、なんだかわくわくする。
「副業でやってみようって思ってたんやけど、今の仕事もあるから体的な負担は増えるわけやん? そやから、また、気が付いたらベッドの上、みたいなことになってたらどないしよって思ってずっと踏み出せんかったんや。また倒れたら、今度こそ、親も呆れるんちゃうかって思ってな」
 最後の一文のところで、カレンの声は小さくなっていった。
「あ……。なんか、過去のことが気になって前にいけないって、ちょっとだけ私と似てる? かも?」
 私が言うと、カレンがうなずく。
「そやろ。こないだ、いと葉がここから出て行った後に思ってん。人に過去を気にするなって偉そうに言うといて、自分はどうなんやってな。むしろ、あの言葉はあたしにこそ必要やろって。だから……ごめんな」
「もう、いいってば」
「ちゃうねん。これは、あたしだけ過去のこととかなーんも話さんと、悩みなんてありませんみたいな顔して、いと葉の辛い話だけちゃっかり聞いたお詫びや」
 カレンの瞳がまっすぐにこちらを見てくる。
「うん。でも、ほんとにもういいよ。そのネットショップさ、できたら教えてね」
「そりゃあ、もちろんやで。いと葉も無理せんときや。あたし、これでも応援してるからな」
「ありがと。頑張れそう!」
 私たちは、目を合わせたまま笑い合った。
 すぐに妙な気まずさがやってきて、照れを隠すようにカップに手を伸ばす。その行動がカレンとシンクロしたものだから、今度はケラケラと声を上げた。
 それから少し冷めてしまったココアをちみちみ飲んだ。
 ふと、学生の頃によく購入していた紙パックのココア飲料を思い出した。付属のストローを差して飲む、二百五十ミリリットルのやつだ。あのときのコンビニのココアはあっさりしていて、爽やかな風味。喉が渇いているときは、スポーツドリンクかってくらいにごくごく飲めた。私とカレンは教室の窓辺で「これ、少なない?」「うん、夏はすぐなくなるよね」って言って文句を言いながらも、やっぱりそれを買い続けた。
 学生時代の二人のお気に入りドリンク。
 でも……。
 カフェ・くじら座のカウンターに並んで飲む、一ノ瀬さんのココアも最高だ。濃厚な香りとリッチな甘さ。そしてほのかな香ばしさ。
 あれ?
 これまでも何度か注文していたはずなのに……。

 今日のココアはなぜだか大人の味がした。

第十三話:「新しい扉の向こう側」へ

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