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私にヨガの先生はできません!【第三話】もしも、インストラクターだったなら

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【第三話:もしも、インストラクターだったなら】

「あ、入会に興味ある方、いらっしゃいました。私、まだ手続きできなくて……。お願いできますか?」
 天野あまのさんはそう言いながら、カウンターに視線をやった。
 そこには、ダークグレーのニットワンピを着た二十代後半か三十代くらいの女性が座っていた。
 カウンセリングシートへの記入が完了したようで、あたりを恐る恐るうかがうように天井や壁へと視線を向けている。
「まかせて。あ、あと三十分くらいで遅番のスタッフ来るからね」
 基本は、三人体制での運営だ。たまに、シフトの都合上二人になるタイミングもあるけれど、なんとかやっている。

 私は天野さんからバトンタッチを受けて、お客様対応に入る。
「お待たせしました。担当いたします、笹永ささながです」
 私が明るい声で話しかけると、女性は手に持っていた四つ折りチラシを見せてくれた。
「あ、あの、これがポストに入ってて、ちょっと見てみたいなって……」
 女性がおずおずと言った。
岩倉店長が、うんうんと唸りながら、広告代理店の担当者と作っていたデザイン。
 ポスティングチラシだ、とすぐに理解する。
 私たちスタッフや専門の業者さんが、マンションや一軒屋のポストに一枚一枚チラシをいれていく販促方法。ネット広告がメインの時代だけれど、ここらのエリアじゃまだ紙媒体も反応があるからダブルで取り入れている。
 ちなみに、お客様がもってきたチラシが綺麗に四つに折られているときはポスティング、二つ折りのときは新聞折込の可能性が高い。
「ありがとうございます! ちょうど、もうすぐレッスンが終わるので、実際にスタジオ内までご案内しますね」
「あ、見れるんですね。嬉しいです。ホットヨガしたことなくて、スタジオがどのくらい温かいのか、気になってたんです」
 女性はうつむきがちなまま、囁くように言った。長い髪が顔にかかり、表情がよく見えない。
「そうおっしゃる方、多いです。先に、ご説明からはじめますね」
「はい、お願いします」
 女性の名前は夏川《なつかわ》さん、職業は会社員、年齢は三十四歳。私はカウンセリングシートに書かれた内容に沿って、聞き取りをしていく。
「もしも、通われるとしたら、目的は健康とストレス解消なんですね」
「……そうなんです。もう最近、ぜんぜん運動してなくって。疲れやすくなったような気もするし、なにか、運動はじめたいなって」
 相変わらず、小さな声だったがちゃんと答えてはくれる。
「いいですね! ご不安なことは……、柔軟性ですね」
 わかる、と思いながらうなずく。
 私もだけれど、入会される方の半数近くが似たようなことをご心配されていたから。
「はい。ヨガって体柔らかくないとできないイメージがあって、私にできるのかなって不安なんです」
「大丈夫です! 柔軟性を気にされる方、多くいらっしゃいますけど、皆さん通われていますよ」
「ほんとですか?」
 夏川さんの視線が、うかがうようにカウンセリングシートからこちらへと向けられる。
 かと思えば、すぐに目を逸らされる。
「はい! ヨガのポーズには、軽減法があるんです。例えば、「手を床につけることが難しいときは、足首に触れましょう」みたいな感じです。無理のないように、ちゃんと先生が教えてくれますよ」
 私が伝えると、夏川さんを取り巻く空気がほんの少し軽くなったような気がした。
「そうなんですね」
「はい。それに、ヨガは続けてると柔軟性もアップします。私も、ここのスタッフになってからレッスン参加するようになったんですけど、体柔らかくなりましたよ」
 これは嘘じゃない。
 でも、ヨガのインストラクターができるほどじゃない。
「へえ」
 夏川さんは、感心したように声を上げる。
「あ、ちょうど、レッスンがおわる時間ですね。スタジオ、ご案内しますね」
 私はイスから立ち上がり、夏川さんをロッカールームへとお連れした。
 レッスンが終わった会員さんのほとんどは、すぐにシャワーエリアへと向かう。そこにあるのは、ずらりと並ぶ十六個のシャワーブース。レッスン参加者が定員の三十人だったとしても、二回転で全員がシャワーを浴びることができる。
 ロッカールームが混雑していない今がチャンスとばかりに、私はシャワーエリアとお手洗いの場所を案内していく。
「そして、こちらがスタジオです」
 私は少し重たい扉を開けて、スタジオ内に入るように促した。
「あ、すごい」
 夏川さんがぽつりと呟く。
「温度が三十五度から三十八度、湿度が五十%から五十五%です。他のホットヨガスタジオに比べると少しぬるめで、ほんのり温かい感じです」
 インストラクターの定位置、正面の真ん中にスポットライトが当たっている状態から一転して、スタジオ全体が暖色系の光に包み込まれる。
「このくらいの温かさ、私にはちょうどよさそう」
 夏川さんが呟く。
「はい。暑すぎるのが苦手な方でも、ヨガをしやすいと思います」
「なんか、床もあったかくて柔らかい? ですよね」
 黒いタイツに包まれた足先で小さく足踏みしながら、夏川さんが言った。
「そうなんです。ヨガのポーズをとるときに、膝をつくことがあるんですけど、そのときに痛くないように、クッション性の素材を使ってます。あと、温かいのは床暖房です。足先からもぽかぽかするので、温活にもぴったりですよ」
 私は話しながら、しゃがみこみ、指先で床を押してみせた。つるりとした表面がほんの少しだけ凹んですぐに戻る。
「凄い」
 夏川さんは私と同じように姿勢を低くし、そっと床に触れた。
「あとは見ての通り、正面と左右の壁は鏡張りです。ポーズをしっかりチェックしたい方には、鏡の近くが人気なんですよ」
 私が説明すると、夏川さんはこくりとうなずいた。それから、あたりを見渡して「いいな」と声を漏らす。素敵なものを見て、うっとりするような声色だった。
 多分、入会してくれるな。私は嬉しく思った。
「それでは、一度フロントに戻りましょうか」
 私たちがスタジオからロッカールームに出ると、ちょうど、シャワールームエリアから、会員さんたちが、ずらずらと列をなして出てきたところだった。
 さっと汗を流すだけの人たちは、ホットヨガ後のシャワータイムも早いのだ。
「お疲れ様です」
 私は笑顔で声をかけていく。
 そのまま、夏川さんをフロントまでご案内して、さあ、コースのご案内をしようと思ったときだった。
「あの……」
 夏川さんは手元のチラシを見つめたまま、小さな声で言った。そこには『秋になったらホットヨガ! 温活ならスタジオベガ!』というキャッチコピーがでかでかと書かれている。
「はい」
 私は元気よく返事する。
 なにか、質問だろうか。
「やっぱり、私には向いてないかも」
 夏川さんは小さな声で言った。
 え? と声が漏れそうになるのをぐっと堪える。いったい、どうしたというんだろう。
 今までの流れからはちっとも想像がつかない。
「なにか、気になることがありましたか?」
 私は落ち着いた口調で尋ねる。
「みなさん、若くて綺麗で……。こんなおしゃれな空間にいると、浮いてしまいそうです。ヨガが得意ならまだしも、私は運動神経もよくないし、柔軟性もありません」
 夏川さんは、さっきロッカーで他の会員さんたちとすれ違ったことで、自信をなくしてしまったようだ。
「年齢は、二十代から五十代の方までかなり幅広いですよ。一番多いのは、三、四十代の方です」
 私は夏川さんの不安をひとつずつ、取り除くことにした。
「そうなんですね」
「はい。今の時間帯、夕方から夜にかけてはお昼に比べると年齢層が少し高くなります。あと、ほとんどの方がヨガ初心者さんなので、上手さというのは気になさらなくても大丈夫です!」
「ほんとですか?」
「はい! もっといえば、皆さん、ご自分のポーズに集中しているので、人のことはあまり見られていませんよ。スタジオ内も、レッスン中は薄暗いのであまり人の目は気にならないかなと思います」
 これは、一回ホットヨガのレッスンを受けてみればわかる。
 もっと大雑把に言えば、誰も人のことなんて気にしていない。
「たしかに、あの暗さじゃ見えにくいかも」
 夏川さんの表情が少し和らいだ気がした。
「それから、おしゃれな空間だと言っていただけてありがとうございます。でも、夏川さんがここの空間で浮いているだなんて、まったく感じませんよ」
 私は語尾を強めた。
 ちゃんと伝わるといいなって思った。
「うーん」
 夏川さんは、最初にそうしていたように、カウンターや、壁や、照明にちらちらと視線をやった。そこら中のいたるところに不安の欠片がちらばっている。そんな様子だった。
「あ! もしよければ、一度体験レッスンを受けてみませんか?」
 私が提案すると、夏川さんは少し黙ったあと、妙にしんみりとした口調で「お願いします」と言った。
 結局、その日は、入会手続きには至らず、三日後の午後十八時から初心者向けのビギナーヨガの予約を入れることになった。
 私も出勤している日だから、レッスン前後のフォローもしやすい。
 なにかあれば、いつでもご連絡ください、と伝えてエレベーター前まで見送る。夏川さんは申し訳なさそうに、小刻みに頭を下げて去って行った。
 なんとなく消化不良な気分だ。
 スタジオでのやりとりを思い出す。
 夏川さんの本心は、ここでホットヨガをはじめてみたいのだと伝えているような気がした。でも、不安や気がかりが、やってみたいという気持ちを押し殺しているような……。
 すごくもったいない感じ。
 もっと、他に良いお声掛けがあったのかな。
 つい、考え過ぎてしまうのは、私の悪い癖だ。いけない、と思い首を左右に振る。後日、体験にいらっしゃるのだから、そのときにフォローすればいい。
 私はそう思い直した。

 三日後、夏川さんの体験予約はキャンセルになった。
 急用が入ってしまったと、昨日の夜に公式サイトのお問い合わせフォームからメッセージが届いていたのだ。
「夏川さん、キャンセルか……」
 私は思わずぽつりと呟いた。
「ああ。先日、いと葉が見学対応した方ね。あらためて予約してくれるといいわね」
 こちらの独り言にも、えりかさんは丁寧に反応してくれる。
「はい。だといいんですけど……」
 なんとなく、もう会えないような気がした。
「なにか気になるの?」
 えりかさんが尋ねてくる。
 私は夏川さんのご案内をしたときのことを話した。
「そう。ここでのヨガに興味はありそうなのね。きっと、来てくれるわよ」
「……はい」
 夏川さんがキャンセルした理由はわからない。本当に忙しいのかもしれないし、何かが引っかかってイヤになってしまったのかもしれない。

 もしも……。
 私がインストラクターだったなら、こう伝えられたのだろうか。

「このレッスン、私が担当しているんです。もし、よければ一緒にやってみませんか」と。
 そうしたら、夏川さんの不安はほぐれて、楽しくレッスンに参加してもらえたのかもしれない。
 初めての環境でも、知っている人がいれば、心強く感じると思うから。


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