見出し画像

東北紀行1日目

出発の理由

2年と少し東京の中心部に住んだ。新宿のビル群からすぐの所に。どうせなら新宿の反対側で、冴羽獠のお隣さんでも良かったのだが、やはりとんでもない地域だったので諦めた。
不条理な理由の単身赴任で上京し、それでなんだかんだと言いながらも、新宿は自分のテリトリーの一つとなった。
馴染みの店も増えた。路地裏まで道を覚えた。
しかし、元々東京になんの憧れもないし、その環境に安定しつつある状況に嫌気がさし、私は会社を辞める決断をした。このまま東京に居続けるつもりもない。既に次の会社は決まっていたが、有休消化やらで1ヶ月程休める事になった。
東京から関西に帰るのは、通常大きく2ルート。昔で言う東海道と中山道だ。鉄道なら東海道新幹線が王道、車なら東名を真っすぐか中央道も有り得る。いずれにしても西に向かえば良い。
だが、私は真っすぐに帰るのを良しと思えず、最も遠いルートを考えた。何よりも時間だけはたっぷりある。
思いついたのが、本州を海岸線沿いに太平洋沿いを北上、青森を回って日本海を南下するルートだ。決して家に真っすぐ帰りたくない理由があるわけではなく、せっかくなら人と違う事をしようと思ったまでだ。
紀行文を書いているが、私はツーリングの最中は全く食に興味がない。有名な店が多数ある事を知りつつも、ほぼ全てスルーしている。
食レポはほぼないので、ご期待には沿えない部分もあるかと思います。

旅の相棒

旅には相棒が必要だ。私は東京での一人時間を持て余していたので、20年ぶりに大型のバイクを買っていた。

スーパーテネレ


ヤマハ XT1200Z スーパーテネレ
並列2気筒1200㏄のエンジンを持ち、23Lのタンクで1回の給油での航続距離は400㎞を超える。ルーツをパリダカールラリーに持った逆輸入ツアラーだ。
現代風にアレンジされ、オフローダーとしての評価は低いが、粘りのある270°クランクとヤマハらしいクイックなハンドリングで高速から狭小な山道まで難なくこなす。
購入から2年足らずで既に5万キロ近くを乗り、癖も知り尽くした相棒だ。
余談だが、都心でバイクをセキュリティも付いたガレージに停めると毎月2万円以上かかる。広さは約1畳ほどのスペースにも関わらず。
お世話になったバイク店に最後の整備を頼み、準備万端。前日に全ての荷物を積んでおいた。と言ってもキャンプはしないし途中で洗濯をする予定だし、男の夏旅行で観光もしないとなると持って行くのは下着類が殆どだ。

出発の日

前日の夕方に住んでいたマンションから荷物を送りだし、近くのビジネスホテルに1泊。朝食を取っていると渋滞に巻き込まれそうだった為、まだ薄暗い時間にホテルを出た。
慣れ親しんだガレージから出て、これまた走り慣れた朝の山手通りを北上。通るたびに椎名林檎の歌が思い浮かぶ。同じような景色を見てたのだろうな、と思い耽る。なお、タバコの空き箱は捨ててない。
山手通りは本当に坂が多い。都内が如何にデコボコした土地なのかを明確に感じられる。都内には神楽坂等、坂がつく地名が多い。因みに坂シリーズのアイドルの名前は一人として知らない。見ても擦れ違っても確実にスルー出来る。
そして山手通りは、なだらかに五反田から池袋に向かって標高が上がっているのも感じられる。平野とは言え、完全な平面ではない。
太平洋に出るには本来、常磐道から茨城県に向かい海沿いを北上なのだが、まだこの時は福島県の一部が原発事故の影響が残り、バイクの通行が出来なかった為、一旦新潟に向かい、東進するルートにした。
山手通りから目白通りに左折、後は関越道の練馬インターまで真っすぐ。このルートも何度ツーリングで通ったか覚えていない位だ。
練馬インターは明確に高速道路の始まりと終わりの形をしているので、珍しいと思う。スロープで一般道に真っすぐ出るのだ。大体のインターはどこかと繋がっていて、ここが終点。と言った形ではない。都内の鉄道も同じく、相互乗り入れで何線か分かり辛い。強いて言えば中央線の東京駅くらいだろうか。
関西の私鉄はそれぞれのターミナルが終端となっているため、何だか似た物を感じたのかも知れない。
始点と終点が明確な方が旅を感じる。当然、始点の看板を見ると旅の始まりを実感してワクワクするし、終点の看板を見ると寂寞と旅の思い出を反芻する。実際には、年中渋滞しているので一番疲れるポイントなのだが…

高速に乗ってしまえば300㎏近くある車重も気にならず、1200㏄のエンジンは余裕で走ってくれる。空力も良く考えられており、100㎞前後ではそよ風程度しか感じない。
冬はこの風防が大いにありがたいのだが、この時は夏。逆に風が当たらずただ日差しだけを感じ、徐々に身体に熱が溜まる。
風を通すメッシュ素材のジャケット、パンツ。そして気化熱を利用して冷やす高機能アンダーウェアを着ているが、風が当たらないのでは大した意味はない。よくある勘違いなのだが、バイクは夏場風を切ってさぞ気持ち良いのでしょ?と言われるが、想像してみて欲しい。
外に出て、ヘルメットを被りジャケットとパンツとブーツを穿き、日向で足の間に火鉢を挟み、扇風機の前に居て気持ちいいと思うかどうか、結果は聞くまでもないだろう。当たる風は外気温と同じだし、日光は全身に当たる。バイクで良かったと思える季節は春、秋のほんの一時期だけだ。
気持ちよさそうに見えているのは、車のエアコンが効いた車内からみているからだ。
夏は灼熱の中を走り、休憩時にヘルメットを脱ぎソフトクリームを頬張る瞬間(ライダーにとって夏のソフトクリームはツーリングの必須事項と言われている)、冬は手を温めながら飲む缶コーヒー。この二つを味わうだけで十分魅力が分かる。反対に、この二つの良さが分かれない人にバイクは向いてない。なお、邪道だが自販機のスープは美味い。特にBOSS。あれは良い。

また、私は頑固に喫煙者だ。普段は電子タバコを吸うが、ツーリングは絶対に紙タバコを吸う。ジッポーとマルボロは手放せない。
これも、休憩になり火を点け一口目を吸う瞬間、そして空を見上げながら一服目を吐き出す瞬間。時代的に味わってみた方が良いとは言えないが、食事より美味い瞬間だ。雨中でもだ。雨宿り出来る軒を探し、濡れないようにしながら溜息交じりに雨を眺めながら吸うタバコ。これも美味い。
電子タバコは、冬の天城峠では使えなかった事も書き添えておく。寒すぎると作動しないのだ。やっぱり紙巻が良い。

関越道

順調に進めば埼玉県では渋滞はなく、時々上越新幹線と並走しながら関越道は群馬辺りで最高温度になり、暑さにへばりそうになるが、2か所程ご褒美タイムがある。赤城高原と関越トンネルだ。
高速は前橋市に向かい一旦下り、そこから一気に高度を上げる。高速道路としてはかなり急な勾配で、トラックは一生懸命に上っているが、相棒はヨーロッパに於いて二人乗りかつ、荷物満載でアルプス山脈を縦断する旅を念頭に置いた設計だ。トルクフルなエンジン特性もあって、余裕でその坂を加速しながら登って行く。気温も高度に伴って上下する。前橋は日本でも有数の最高気温の街だ、当然通過するだけでも暑い。冬は風も強く走りにくい。だが、高原に近づくと気温も景色も一変する。運が良ければ放牧中の牛が沿いに見られる。
遠くに見える榛名山も見どころだ。わざわざ案内の看板が設置されている程である。
赤城高原のサービスエリアで一服し、更に高度を上げて行くと有名な関越トンネルに入る。夏場は涼しく、外気温と10℃は違う。ここで一気にクールダウンを図る。
バイク乗りが時折立ち上がる時がある。特に夏場。あれは邪魔してる訳でも曲乗りをしてる訳でもカッコつけてる訳でもない。
風を当ててるだけだ。特に生命の源辺りが熱せられて使用不能になっては人類に取って大問題なので、積極的に冷やす必要がある。
だから、見かけた時はそっと見守って欲しい。

暑い



関越トンネルは、3月下旬にも通った事があるが、その時は後悔だけであった。昼間にも関わらず気温は1桁であり、風はまだ雪で冷やされていた。
トンネルを出ると上越の昭和遺構とも言えそうなリゾート地を抜け、左手に小さい時にCMで見た駅名、ガーラ湯沢を見ながら一気に高度を下げて越後平野へと続く。
平野に入った途端、一面田んぼとその間に豪邸が続く。その間を高速は真っすぐに貫いている。これ程真っすぐに道を作れるのはやはり、トンネルを切望した県民と田中角栄の力なのかと想像する。
風の中に米の匂いが混じる。ちょっと湿り気のある、青っぽい匂いだ。それが充満している空気を切って走ってる、とも言える。平面が取れる土地全てが田んぼとして活用されている。
日本全国で、未だこれほどの規模で田んぼが維持されている地域は、新潟を置いて他にない。残念ながら需要の減少と共に耕作放置地が目立つ。
高速最後のサービスエリアで、車体チェックをした所出発早々の大問題が発覚。車検証や大切な工具を入れてる鍵付きBOXの蓋が無い…
どうやら走行中に落としたようだ。前も無くしてわざわざ蓋だけイタリアから輸入したのについてない。中身が無事だっただけ良しとしよう。旅にトラブルは付き物だ。

蓋が飛んでった

新潟県入り

米所として最も有名な魚沼で高速を降り、いよいよ一般道で旅となる。
余談だが、新潟ではコンビニで買うおにぎりすら美味い。都会で買うコシヒカリ使用、とか書かれている物とは全く違う。もしかすると本当に出来の良い米は県内にしか流通させてないのかも知れない。
ならば、それを闇米として持って帰りたくなる。
快適な高速の旅も楽しいのだが、やはり下道を通り、その土地を見るのが一番楽しい。

夏旅


国道352号線を通り、南会津に向かうのだが、この国道は洗い越しがある事で有名である。前にも一度反対方向から夏場に走った事があり、今回は事前準備は万端にしておいたが、しばらく山肌に張り付いた道を数時間掛けて抜ける為、水の補給が出来ない。

国道352号


前回はそれを知らず、ギリギリの所まで追い込まれた。
最初の関門は、入り口の奥只見だ。国道の横にほぼトンネルの新しいルートがあるのだが、危険と言う事で2輪通行禁止となっている。わざわざ、狭くて険しい山道に案内されてしまう。車1台がやっとの幅でしかも急角度の道だが、紛れもなく国道である。初心者であれば、この時点で完全に心は折れる。
それを抜けると銀山平、キャンプ場があり前回はここの自販機に命を救われた。誰もいなかったので、それすら無かったらきっとその辺の湧水を飲んだはず。そこから尾瀬までは山肌に張り付く国道を通るのだが、スノーシェッドも多く、冬は厳しい地域なのが想像できる。実際、夏場でも明らかに涼しい。7月でも標高の高い山の北側では残雪が見れる。

7月の残雪

どんなに狭い道や峠が好きでもこの道は、半分過ぎた辺りでいい加減嫌になる。
嫌になっても、次の尾根に道が見える。またそこまで行くとまた次の尾根に道が見えるをアップダウンを繰り返しながら、これでもかと走らされる。しかも、大して展望も名所もない。「ただ」延々と山道を進むのみだ。苦行以外のなにものでもない。洗い越しが珍しいのは最初の数回だけで、後はただの水たまりでしかない。

国道にある洗い越し 谷を通過する度に現れる


尾瀬を越えるとやっと道の駅「桧枝岐」が現れ休憩となる。ここはスキー場の目の前になっており、夏の雪合戦用に雪を保存している。日向なのに、真夏まで持つのだから、積もってる時の量は相当なのだろう。
そこからの国道は道幅も広くなり、会津高原を通り快走出来る。

初めての民宿

初日の宿は会津湯之上温泉の民宿。
民宿は小さい時に行って以来で、大人になって一人では一度も泊まった事がなく不安。そもそもコミュ障なので、衣食住で他人と距離が近いのは苦手なのだ。
小さなお風呂と、セルフで準備の布団。部屋は廊下と襖で仕切られてるだけで、当然鍵もない。
遠回りもしたが、思ったより早く到着したので、周辺を散歩してからちょと寝る。

お散歩中


食事はみんなで大広間で食べる。スタート時間も、準備が出来たら呼びに来るスタイルだった。ソロは私と、常連らしきおじいさんだけだった。
後はファミリーと、老夫婦の計4組。
尚、食事は女将さんが台湾出身だそうで、ほぼ中華と言う珍しいタイプだった。名物とは無縁の家庭の食事だったが、久しぶりの家庭料理は美味かった。暖かい手料理っていつぶりだろうか?

蔵に描かれたアート


シンメトリーが美しい

おじいさんとは度々喫煙所で話しかけられ、身の上話を聞いても無いのに聞かされ、名前も知らない人の半生を知るはめになった。
今後この質問を何度されて答えに困ったのだが、「平日に何日も休んで、何の仕事してるの?無職?何の目的の旅?」
そもそも仕事は辞めてるけど辞めてない宙ぶらりん。目的も家帰るだけだけど、ちょっと方向がおかしい。変な人でしかない。
この御仁は若くから旅の人らしく、この宿にも既に1か月以上滞在しているらしい。金持ちなのか?

夜はエアコン要らずで、涼しくて窓を全開では寒かったくらい。気持ちのいい気候でした。
コミュ障、人と馴染めない性格の割には寝る事だけは平気で、布団だろうがベッドだろうが、どんな枕でも寝れる。敷布団が貧相だったので、2枚に敷きなおしてすぐ寝た。

夏!


やっと旅が始まった。2日目に続く。


1日目の行程 東京→埼玉ログ忘れてた





自己肯定が爆上がりします! いつの日か独立できたらいいな…