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東北紀行2日目


2日目出発

2日目は爽やかな空気の中目覚めた。
空気は淀みなく澄んでいて、なんとなく周りの住宅から朝の忙しさが伝わってくる。美しく整備されたリゾートも快適だが、土地の人の息吹が伝わってくるのも良い宿だと思う。

冷たい空気を運んでくれる


「朝ごはんだよー」と宿の息子さんが廊下で皆を呼ぶ。
ダウン症のお子さんなんだけど、家のお手伝いを一生懸命やっててすごく可愛らしい。あっちへこっちへ忙しそうに動き回る。時々お客さんと話もしたりして、お母さんに止められてるけど、お客さん側は結構楽しそう。
エアコン無しでも、開け放たれた縁側から入ってくる風は冷たく、扇風機がこちらに向かうと一気に涼風が来て、夏休み感が心地よい。
おじいちゃん、おばあちゃんの家に行きました。って言うイメージはこんなだよな。
出されたのは、和食と中華のミックスな朝食。美味しかったけど、ほんのちょっと重たいかも。
でも、全部きっちりお母さんが作ってて、豪華だけど冷凍や既製品を使う宿より好感度が高い。ここで一生懸命働いて、一生懸命生きてて、なんだか幸せな家庭なんだろうなってしみじみ感じた。
旅先で感じる一期一会の人生の一端が、旅の醍醐味の一つ。


静かな街並み

食べ終わったら早々に準備を整え、出発。
ちょうど小学生の登校の時間らしく、私のバイクを見てすげーとか、おっきいーとか言ってくれてちょっと嬉しくなった。
賑やかな小学生達が行ってしまうと、急にシンと元の静かな住宅街に戻り、ノーマルマフラーとは言え、重低音の排気音に気を遣う。
バイク置き場の横がちょうどあのおじさんの部屋で、また話しかけられながら荷物を固定し、準備を整える。
暖気もそこそこに、エンジンを掛けたらすぐに出て、大通りの交差点へ。
泊まった宿は猪苗代湖にもほど近いが、前にも行った事があるので今回はスルー。その時は、初雪が今日か明日か?みたいな日で、夜は氷点下、朝の出発は遅らせたけど3度くらいだった。湖にはもう白鳥が来てた。
私の旅のスタイルは、先に凡そ3-400㎞毎に宿を決めて、道は前日の晩に決める。道を決めて、その周辺を散策する。事前情報はなるべく少なくして、素直な感想を大事にしたいと思っている。何があるのかもなるべく見ない。
完璧な旅なんてつまらない。
誰かの言葉を借りると「旅は不完全だからまた行きたくなる」だそうだ。

会津若松ー喜多方

国道121号を北上し、会津若松を通り更に北へ北へと向かう。今日のゴールは太平洋だ。山から海へと両方を味わう贅沢な一日。
途中、鶴ヶ城の横を通る。ここも前に一度来た事があるので、止まらずに眺めるだけにする。美しい城だ。「八重の桜」が大好きな私は、脳内に綾瀬はるかを思い浮かべながら、ならぬことはならぬものです!と独りニヤニヤしている。
今さら気づいたのだが、綾瀬はるかは長州藩の出なのに、あのドラマ良くやれたな。かつての敵もあの美貌なら許されるのか。
そりゃそうか。綾瀬はるかにお願いされたら、何でもしちゃうね。
市内はとても綺麗に整備されており、流石は城下町と言った風情だ。冬は寒さ厳しい所なのだろうが、住んでみたいと思わせる良い所。

市内を抜けると高速のようなバイパスを通り、一路、ラーメンで有名な喜多方へ。バイパスや高速はなるべく使いたくないのだが、この道は大変美しい。右に磐梯山を眺めながら走る事が出来る。一面の田んぼのお陰で遮る物もない。流れは通勤時間が終わったのでスムーズだ。
少し喜多方市内を外れると、もう道路脇にはなにもなくなり、山々と森が広がる。この辺りからどんどんと標高が上がってゆく。
次の米沢市まで峠を越えて行く為だ。今は立派な国道が貫いているが、馬の時代なら正に隣国なのだろう。何日もかけて行くしかない。冬は互いに閉ざされたのだろう。別名も「大峠道路」となっており、名前の通りの長い長いダイナミックな道。
最後に長い「大峠トンネル」の途中で山形県に入り、米沢市に向かって下って行く。

米沢

米沢市内も綺麗な街だ。さすが上杉家の城下町。昔から栄えていたんだろうなーと感心。本来なら喜多方もスルーしたのだし、この辺りで肉を食うのが筋なんだろうけども、興味なし。
だけど、せめて一泊してみたいと思った。
旅好きの方々に良く地元の物を食べ歩かないで、何が楽しいの?と言われたりするのだが、大体宿の夕食は地元の食材や、有名なメニューが入っているので、事前にプランで入れておくか、出る事を期待して昼は余り食べない。
前に伊勢に行った時に、夜は伊勢海老尽くしで2泊して、昼に食べる物がなくなった覚えがある。そして、意外と旅を長くしていると、ずっと夕食が和食ばかりになるので、昼はハンバーガーやパンを食べたくなったりするのです。
121号から13号に変わり、まだまだ北上を続ける。
基本的に数字の小さな国道は歴史が古く、基幹国道だ。綺麗で道幅も広く、真っすぐだったり高架道路だったり。
ツーリングとしては面白くないので、出来る限り避けたい所ではあるが、街から街へと移動するには便利この上ない。
国道沿いに会社はチラホラあるが、基本的には広大な田んぼが左右共に広がる。大昔の人は飛行機もないのに、この土地を見つけて開墾して田んぼ作って、って人力なのに凄い。

山形方面

南陽市を抜け、また上り坂になっていくと山肌にたくさんのビニールハウスが見えてくる。
ぶどうが有名らしく、あっちもこっちもブドウ畑と直売所だらけだ。
かなり魅力的なのだが、持って帰るわけにもいかないので泣く泣くスルー。
食に関しては、基本食べられない物はない。果物は水分の多い物が好きだ。梨、ぶどう、桃など。反対に好んで食べないのが柿など。出されれば食べるけど、買ってまでは食べない。
上山市方面に向かうと、有名なタワマンが見えて来る。東北には基本的にタワマンなどないのだが、ここには唯一と言って良いマンションがある。
売れるのか?と言う単純な疑問が湧くのだが、地元の人曰く年寄には雪かきの必要がないのと、光熱費がかなり抑えられるメリットがあり、それはそれで便利だそう。
なお、日本で一番安いタワマンらしい。
そして、意外と埋まっているらしい。

異様でもある(借り物写真)


なるほど…
そう言われると移住先としてちょっと魅力的だ。
そして市内から外れて、今日のメインに向かう。

蔵王

蔵王エコーラインを駆け上がり、有名なお釜に向かう。
さっきまで平地ではあれ程暑かったのに、カーブを曲がる度に気温が下がって行く。幾分進んだ所で「樹氷」の看板を見て、相当寒い場所だった事を思い出す。
ついでに大昔に同じ名前のお酒もあったな…と昭和おじさんの記憶が蘇る。
お釜に到着して、ゲートでお金がかかる事に気づきアタフタする。
バイクに取って、現金払いは本当にめんどくさい。どこもかしこもETCにして欲しい。

レストハウスからの眺め


レストハウスに到着、風がきつくまあまあ寒い。そりゃ樹氷も出来るわけだ。ただ、日差しは夏だし太陽に近い分、それなりに暑い。
ゆっくりと散策しながら写真を撮っていると、行き先に怪しい雲が見え始めたので、出発する事にした。

蔵王のお釜と近づく雲


案の定、下り始めた瞬間に雲に捕まり、アッと言う間に前が見えなくなる。
山の天候は本当に変わるのが早い。
こう言った名所と呼ばれる場所に行くと、昭和には繁盛していたであろうレストハウスの廃墟が良く見られる。
確かに、小さな時は両親と旅行に行って、途中で休憩したりお昼を食べた記憶がある。ハンバーグとクリームソーダは、どこで食べても同じ味がした。
ハンバーグに至っては、家でレトルトを食べても同じ味がした。
多分、コンビニと道の駅の台頭によって徐々に廃業したのだと思うが、最盛期は夏も冬も儲かったのだろうな。
エコーラインは、富士のスバルライン等と一緒で森林限界のラインが分かる。明確に低木に変わる。そして展望が一瞬にして広がる。
こんな道を走っている時は、バイクで良かったとつくづく思う。例えオープンカーでも全身に感じる空気や、木や土の匂いまでは感じきれない。
バイクなら頭のてっぺんから足まで、全てが周りに溶け込む。
そして、北に向かうほど白樺の木が増えて行くのが好きだ。地方によって緑の色が微妙に違う。東北は全体的に緑が薄い。濃緑色と言うのは余り見ない。そして、人の手が入っていない山が多い。
きっと人間が一歩も踏みこんでいない場所がたくさんあるのだろう。人間に触れられていないからこその景色がある。

さっきまで山の上で涼しくて、ジェラートの看板などには目もくれなかったが、平地に降りた瞬間、涼しさに慣れた身体が暑さにまいり、コンビニでアイスを食う。
西日がジリジリと照り付けていて、日陰もない。顔が焼けるのが分かる。
右に大きな釜房湖の公園を見ながら走る。とても綺麗に整備されていてきっと春先や秋は相当綺麗なんだろうな、と思いつつ。

仙台ー松島ー石巻

ちょっとお釜でゆっくりし過ぎたのもあり、今日の宿に向かって行く。仙台を横切る形になるが、市内は車も信号も多いので南側を掠めて海に出る。
ここからは津波被害の地域であり、ちょっと特別な思いで走る。震災地域について思う事は長くなるので、別の記事にしようと思う。読みたくない方は飛ばして頂ければと思います。
多賀城、塩竃は時間がなく高速で通過。松島手前で降りて国道に入る。ダンプが相変わらず多い。ちょっと脇道に入って陸前富山駅で一服。

電車が走っているのが感動


駅前にあった雑貨屋さんで飲み物を買う。プレハブの仮店舗のままだった。周りの家も新築がチラホラと、空き地だけ。沿岸を中心に復興工事を眺めながら走る。

8年過ぎても未だ途中


牡鹿半島に入り、宿はもうすぐ。峠道のアップダウンを楽しみながら向かう。宿は金華山の向かい側だ。
3年続けてお参りすれば、一生お金に困らないと言う言い伝えがある。とてもじゃないが3回は来れそうにないので、3分の1程困らないよう手前からお願いしておいた。
宿はちょっと昭和の香りのする感じだったが、のんびり露天風呂もありゆっくり休めた。トップの星空写真は、夜に出かけて撮ったもの。星空も美しかった。

宿まであとちょっと

旅の途中で

誤解は承知なのだが、私は旅の途中で一番見ているのは他人の家だ。勿論、中に入る訳ではないし、止まって眺めるわけでもない。
全く知り合いでもないし、多分生涯で一度も会う事もない。表札も知らない。
ただ、そこにある生活を垣間見る事が好きだ。
詳しくは見ないが、洗濯物があり家の前に自転車があったり、田舎では家の周りに綺麗な花がたくさん植えられていたり。
今はどんな年齢で、どんな人が住んでるのだろう?
普段、自分が仕事をしていたり、全く違う場所で過ごしている時間と並行しながらここにも人生がある。
私が学校に行く時に、いってらっしゃい、いってきます。をした様に、きっとこの家にもそんな歴史がある。
人が生きてる証がある。
前を数秒通るだけの一期一会だが、そんなどこにでも、誰にでもある人生が並行して存在している事が感じられる。
今日、その時私にとってもその家は存在し、生活と人生が重ねられているのだが、通り過ぎた後もまた同じ様に続いている。
それを思うと不思議な感覚になる。
今、この瞬間もそこに時間は流れている。
泣いたり笑ったりしながら、この家の中ではどんな人がどんな人生を送ってきたのだろう?
そして、私はこの家に生まれずどうして今の人生なのだろうか?
比較的都会に生まれ育ったが、もしここで生まれ育っていたら自分の人生はどう変わったのか?
ここに生まれたら、自分は今何をしてるのだろう?絶対に分かれもしないことだけど、いつもそんな事を思いながら走ってる。
そして、本当の一期一会に触れる事が出来た時に感動する。

話かけられた青森の漁師さんご夫婦 お元気だろうか
移動距離 317km

3日目に続く


自己肯定が爆上がりします! いつの日か独立できたらいいな…