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なぜ、その女(ひと)はその女(ひと)なのか

私は私だから目立つよ(寺田蘭世/乃木坂46のANN)

寺田蘭世さんのセンター曲にそのひとという曲がある。ちょっと変な女性を歌った曲だ。一風変わった独特なテンポの曲で、最初はある種攻撃的で格好いいパフォーマンスを見せていた。しかしそれが時を経て、なぜか曲中にハンドアートを行う何かになり、最終的には、ライブ中に突然そのひとが召喚されて愉快に無双する曲になった。私はそんなそのひとをいつしか好きになっていた

たぶんきっと、寺田蘭世さんが真ん中にいたからだと思う

寺田蘭世さんもまた "ちょっと変な大人の女性" だ。常識はある。良識もある。いわゆる頭のイカれたヤバいやつではない。しかし、変わらずちょっと変な人だ。悪いことも曲がったことも決してしないが、何やらごちゃごちゃとしている

寺田蘭世さんはごちゃごちゃしている

1つの前提として、寺田蘭世さんは人並み外れて芯が太い人であり、それでいて多彩な人間である、というのは第3回で述べた。今回はその "多彩" に該当する部分の深掘り……ではあるのだが、多彩は多彩でも何やらごちゃごちゃとしている

具体例を1つ

寺田蘭世さんの言葉遣いにはちょっと変な箇所がいくつかある。その最たるものの1つとして、そのひとは生粋の東京人でありながら関西弁でちょくちょく喋る。 しかも、"時々怪しい関西弁を使う" 以外に関西要素は微塵もないと言っていい。それではなぜ、そのひとは似非関西弁で時折喋るのか。わざわざキャラ付けの為、口調を捻じ曲げる人間とは思いがたい

実は小学校低学年の頃 転校してきた子が大阪の子で 楽しいときとか気持ちが高まってるとよくその子に影響されて大阪弁が出てしまうようになりました(寺田蘭世/2014年8月1日/乃木坂46個人ブログ『ツインテールはまだ辞めない』)

当時、寺田蘭世さんには友達が中々できなかったそうだ。そんな時期できた友達が転校生なのは中々趣深いものを感じるが、その当時に覚えた言葉を今でも使っているという。実に寺田蘭世濃度の高い逸話だと思う。寺田蘭世さんは確かにごちゃごちゃしているが決して無軌道ではない。常に背景のある人だ

変ってイメージがつきすぎて、実はそこまでいけない、って思う時は結構あります(寺田蘭世/2019年/乃木坂46新聞)

変と言えば変であり、独特と言えば独特だが、徹頭徹尾へんてこりんではない。常識も良識もあり、ごくごく普通のことを普通に言う普通の人でもある。ただ、そこにちょっとずつ凸凹があって常に奥行きがある

【ごちゃごちゃのほんの一例】

・蘭世という名前(⇒1回ではわかってもらえない)

・血液型不明(⇒血液型占いで決めつけられない)

・左利き(⇒左右の判別用に左手に猫ちゃんブレスレットをつける)

・一人称(⇒私、うち、我、寺田……など時期によって変わる)

・フラフープ(⇒友達がいないから1人で校庭を1周した)

・似非関西弁(⇒当時のほぼ唯一の友達から受け継いだ)

・タピオカが好き(⇒ちょい前のブームの前からずっと飲んでる)

・トマトが好き(⇒水をあげない方が甘くなるド根性精神)

・宝塚が好き(⇒ "やるからには最高を目指す。ただそれだけだ" )

・古着が好き(⇒お洒落は自由に誰にでも楽しむ権利があるのが魅力)

・ひょろひょろくん(⇒23年間ずっと連れ添ってきた唯一の理解者)

・前世はヴァンパイア(⇒朝よりも夜の方が好きで、トマトジュースが好きで、賛美歌を小さい頃に聴いたとき拒絶したことがあるから)

人は移り変わっていくものなので、今はそうでないものもいくつかあると思う。それはそれとして、寺田蘭世さんの個性には子供のおもちゃ箱のようなごった煮感がある。それでいて一事が万事、妙なしっくり感もそこにある

そして、寺田蘭世さんが最もこだわっているお洒落にもそのような趣がある。 "赤" が好きだと何度も公言している割に、そのひとInstagramはそこまで赤には染まっていない(この件については後述する)

なぜ寺田蘭世さんはごった煮で成り立っているのか。これまた第3回で言及したように、寺田蘭世さんには太い芯があるようだ。だとすれば、枝分かれした1つ1つの言動にも電気ケーブルの如く1つ1つの芯が通っていて……

何が言いたいのかというと、

今回は、前回の続きであると同時に第3回の続きでもある。芯が太くて振り幅の大きい寺田蘭世さんが、いかに自分を貫いて、いかに自分を広げて、いかに自分を高めてきたのか。1+1=100を成す上で必要なこととは。それを考える

その為にはまず、寺田蘭世さんのスタートラインについて改めて考えていく必要がある。例によって例の如く、幼少期の寺田蘭世さんを観れば何かがわかる

①昔の寺田蘭世には大人びた部分がある

寺田蘭世という人は、幼少の頃から "ちょっと変な女の子" だった。本人の話を聞いても、家族の話を聞いても、ちょっと変な逸話が飛んでくる。(第5回でも言及したように)おぎゃあと生まれてたったの3年でパーマをキメに美容院にカチコミかけるのは、 "ちょっと変な女の子" か、あるいはそれ以上かもしれない

3歳でパーマをかけると言って、店の方も小さい子が2時間美容院でジッと座っていられる訳はないと、不安がっていたのに、微動だにせず、パーマを掛けていた事……。小学生の頃、小さい妹が上級生に意地悪をされた時にも、ビシッと文句を言った事…。それでも、反抗期などは一度もなく、いつも家ではムードメーカーでずっとお喋りしています(寺田蘭世の母/OVERTURE No.020)

寺田蘭世だ。これが寺田蘭世だ。そのひとが何者なのか、日々頭を悩ましてきた分際で言うのも難なのだが、寺田蘭世さんは昔から寺田蘭世だった。誰もがみんな同じ服を着ないといけないことに怒り、誕生日ケーキのネームプレートが間違っていたことに怒り、給食を食べられない者が残されることに怒り……。今より若干尖っているような気がしなくもないが、寺田蘭世の幼少期と言われると納得せざるを得ない。現在へと繋がる強度がある

貫徹。この精神は寺田蘭世さんの個性を語る上で大きな説得力となる。

幼稚園とか小学生の時も、周りから第一印象は「怖そう」とか言われてたんですけど、でも何年か掛けて本当の自分をだしつづけていたら「こいつ、本当に包み隠さず言ってたんだな。最初っからこういうヤツだったんだな」って印象に変わって、最終的に「お前いいヤツだな」って言われるようになるんですよ(笑)(寺田蘭世/2016年4月/別冊カドカワ)

石の上にも三年。最初の1回ではわかってもらえずとも、2回3回、2年3年と変わらず繰り返していけばそういう人間だといつかはわかってもらえる。寺田蘭世さんは幼少期からそういう戦いを続けてきた人だった。この貫徹精神そのものが寺田蘭世さんの大きな個性の1つだ。寺田蘭世は決して途切れない

蘭世さんは切れるというよりも、時々その線が細くなる。細くなって見えなくなっていくけど、消える前にまた復活する。だから生命力が凄いなって思うんです。途中で途切れないから。波はあるけどずーっと保ってるっていう(久保史緒里/2018年2月10日/MARQUEE)

元々、打たれ強い人ではないと思う。しかし寺田蘭世さんには、自分が自分であるということへの断固たる意思がある。だからきっと、こっぴどく倒れてもカウント9で立ち上がる。昔から今へと寺田蘭世を積み重ねることで、土壇場で踏みこらえる力が湧くのではないか。そしてそれは、逆も然りである

②今の寺田蘭世さんには子供っぽい部分がある

ここで取り上げる "子供っぽさ" とは、夢を追う若者特有の青臭さとはまた違う。そのひとにはそういう一面もあるのだが、今語りたいのはそれじゃない。ホントのホントに子供っぽい一面だ。親戚のおばさんから「年はいくつ?」と聴かれて「しゃんしゃい!」と答える、そういう次元でのシンプルな子供っぽさ。あの生真面目な寺田蘭世に限って、果たしてそんなことが有り得るのか?

ある

ラジオ中、東京ドームでのライブの話になったときのことだ

どーむだ、どーむだー(寺田蘭世/乃木坂46のANN)

あれはひらがなだった。完全にひらがなだった。時に神経質なほど生真面目で、いわゆるぶりっ子ムーブには過度のアレルギー反応を示すような人なのに。急に全てが吹っ飛んだかのようにほんの一瞬だけ幼くなる。かわいい

発動条件としては、気を許している者同士で固まっている状況だと考えられる。そういう時の寺田蘭世さんは、ちょくちょく大きめにハメを外す。かわいい

みり愛ちゃん大好き! みり愛ちゃん大好き!(寺田蘭世/Team STAR)

あの寺田蘭世が! (少なくとも16年間は)人に甘えたことがないと豪語するあの寺田蘭世が! 人の脚にしがみついてただただ甘えている! かわいい

かつて鈴木絢音さんに対しても似たようなことをやっていたが、いつだったか最初に目にしたときは軽く目を疑った。そもそもが、カメラの前でそういう姿を晒すのに抵抗がないこと自体、ちょっとした意外性かもしれない。かわいい

寺田蘭世さんは日々成長している人だ。だがその一方、時々妙に幼く映る瞬間がある。この怪現象について、実際に甘えられた方々は「怖い」「邪魔」「面倒くさい」など、心温まるコメントを残している。かわいい

8年半に渡る乃木坂46での活動の中、時には人に頼ることを覚えた節のある寺田蘭世さん。しかし、その甘え方は一種独特だ。時を遡ること2018年、乃木坂46版美少女戦士セーラームーンの舞台に臨んでいた時期などは、不思議な甘えっぷりが噴き出していた。毎朝メンバーに「おは丸水産」と言うことを求めたり、ひたすら眉毛の状態が昨日と同じか聞いてきたり、なんだかよくわからないあだ名で呼んできたり(eg.梅ぴよピーナッツ)、なんなんだ一体。かわいい

本人曰く、ジンクスやルーチンの類らしいが、なんというか、こう、おまじないと呼んだ方がしっくりくる。子供の頃、お母さんがいつもやってくれないと安心して眠れないやつ。なんかあれっぽいのだ。かわいい

これの他にも、過度に動揺したとき、ファンサービス中に機嫌が良い?とき、稀によく急に幼くなる。ガクたびで卵焼きを焼くときもそうだった。かわいい

ひたすら、かわいい!かわいい!していると話が一向に進まないので、そろそろ真面目に考えるが、なぜ寺田蘭世さんはこんななのか。正直、ちゃんとした解答は思い浮かばない。ただ、そういう一面が在り続けることには心当たりがある

子ども心を忘れないことってすごく大切なんです(寺田蘭世/日経エンタテインメントアイドルSpecial2018年春)

初心忘るべからず。子ども心を持ち続けることで日常が刺激的になり、チャレンジ精神を忘れずにいられると、寺田蘭世さんはこのとき語っていた

ある種の子供っぽさを幼稚の一言で切り捨てず、もし本当に子ども心を忘れぬまま今の今まで生きてきたとしたら。すくすく成長して大人の常識や作法を身に付けていく一方、童心がしっかり残っているとしたら。ふとした瞬間、そういう何かが吹き出す瞬間があっても不思議ではないかもしれない

今の寺田蘭世さんには子供っぽい一面が混ざっていて、昔の寺田蘭世さんには現在に直結した要素が色濃くある。この連続性こそが寺田蘭世体験であり、1つ1つの逸話の面白さ以上にガツンと来るものがある

すなわち、

③寺田蘭世は今も昔も変わらない

三つ子の魂百までという諺がある。昔に遡っても、今を追っても、一事が万事いつだって、"寺田蘭世" が浮き上がってくる人だ。生まれてからずっと連れ添ってきたひょろひょろくんと共に、自分の在り方を貫いてきた人だ。捨てない。忘れない。変わらない。それこそが寺田蘭世だ!

そして、

④寺田蘭世は今も昔も変わり続けている

……そろそろ伝わってると思うのだが、私がこの文章一式を書く上で苦労したポイントは大体こういうところにある。他ならぬそのひとが題材でなければ、とっくにぶん投げ家を出て、漫画喫茶でジャンプでも読んでいるところだ。だが、他ならぬそのひとであるがゆえに、タイプする指が一向に止まらない

止まらない。寺田蘭世は常に変わり続けている。そうでなくてはごった煮にはならないから。そのひとの振り幅は日々増え続けている

どんなに月日は流れても人間には学ぶことが沢山あります 完成が無いので 完成があったら面白くない 生きてる意味がない 何かを吸収したいです(寺田蘭世/2016年8月28日/乃木坂46個人ブログ)

寺田蘭世さんにはたゆまぬ成長の意思がある

一口に "変わらない" と言うと、"進歩がない" というニュアンスを含みがちだ。しかし、寺田蘭世さんはそうじゃない。むしろ成長したがっている人だ。元が弱かったからこそ、人一倍の気合を発揮して食らいついてきた人だ。成長を拒む人ではない。その意味では常に変わりたがっている。そこでふと思う。自分の魂を維持したまま変わっていくにはどうすればいいのか

個性や特徴というのは先天的なものが大きいが、後天的に積み上がっていくものも沢山ある。特に後者について、寺田蘭世さんは一体いかなる基準で自分自身を拡張してきたのだろうか。その答えとなりえるのは、

直感

本人もよく口にするこの言葉。寺田蘭世さんは直感を基礎にして活動していた。ジャンルやブランドには囚われない。安い服を買う。高い服も買う。古い服を買う。新しい服も買う。一見すると乱雑で適当にも思えるが、もとより寺田蘭世さんは直感で乃木坂46のオーディションを受けていた。己の直感を信じた人だ

理屈というものは案外もろい。何かと理屈っぽく考えがちな私自身にも経験があるのだが、下手に理屈で考えようとすればする程、自分自身から離れた考えになっていき、自分が求めた結論は本当にこれか?となることがある

それに対し、寺田蘭世さんは "直感" を大きな軸として、その上で貫いたり迷ったりしている。それゆえパッと見では無軌道に見えたとしても、いつもどこか「ああ、寺田蘭世だ……」と感じさせる何かがあるように思える。そういう生き方を貫いてきた結果なのだろうか。寺田蘭世さんの逸話や服装は、奇抜であるときもあれば普通のときもある。そこにかえって私は強さを感じていた

なぜか

四六時中 "奇抜" なのは、完全に世間とズレきってるか、あるいは、常に奇抜であろうとしているかだ。寺田蘭世さんは違う。奇を衒えば良いという人ではない。真っ直ぐ、真っ直ぐ、寺田蘭世として真っ直ぐ突き進んだ結果、外側から見ると独特であったり奇抜であったりする、それだけなのかもしれない

それは自由だ

寺田蘭世さんは自由な心を持っている。自分を貫くとは、自由に自分を広げることでもある。自由を語るときの寺田蘭世さんは何より魅力的だ

自分の好きな事をもっとやりたい。自由に表現したい。自分の好きな物好きな事をしてるときが1番本来の自分をだせるし 心の底から楽しんでいる人間って他の人から見てもキラキラして見えると思います(寺田蘭世/2017年1月3日/乃木坂46個人ブログ)

そして私は、1つのことをふと思った

⑤寺田蘭世は寺田蘭世だった

当たり前の話だ。誰だってそうだ。私は私であり、あなたはあなただ。しかし、寺田蘭世という人間を長らく観ていくと、そういう本当に当たり前のことを考えずにはいられない瞬間がある。変わるとは、変わらないとは何だろうと

変わらず変わり続ける為にはきっと不断の意思が必要なのだ。寺田蘭世さんは、直感で入った道を全うすることで自分の血肉に変えてきた。それは個性1つ1つに芯を通すと同時に、そのひと自身を高めていった。寺田蘭世という大きな柱は、年々大きく美しく面白く、一筋縄ではいかなくなっていった

寺田蘭世を知れば知るほど、私はこんなにも寺田蘭世を知らなかったのだと常々思い知る。むしろその為に考え続けたのでは?と変な思考に至る瞬間すらある。しかし、人ひとりを知るとは本来そういうことだった

寺田蘭世さんは、寺田蘭世という人間を意地でも単純化しなかった。ありとあらゆる自分を真っ向勝負で示し続けた。そうすると何が起きるか。そのひとを観ている私の頭の中で、ばらまかれた1と1が連鎖的に化学反応を起こし、寺田蘭世という存在が心の土手っ腹にぶつかってくる

そこには不思議な実感があった。人ひとりを完全に理解できたとはまるで思えないが、そこにあるんだという実感がある。話が上手いとか、歌が上手いとか、そういうことではなく、寺田蘭世がそこにあると実感する。つまり、

寺田蘭世に代名詞はない。ただの寺田蘭世だ

そんな寺田蘭世さんの写真集こそ『なぜ、忘れられないんだろう?』であるが、当の寺田蘭世さん本人は思い出すまでもなさそうだ。そのひとはきっと、死ぬまでそのひとだ……あ、代名詞だこれ。ま、いっか。またね!

自分のこの瞬間 等身大の姿を綺麗に残してもらうのは誰もが出来るわけではなくて 例えば自分がおばあちゃんになったとき 昔はこんなことしていて 若い時も変わらないでしょって 自慢できる人、作品にしたいなーと思うようになれて こんなこともあったねーって写真集を通して振り返られるのって本当に贅沢だなーって(寺田蘭世/2021年9月11/乃木坂個人ブログ『げんまいちゃ』)

次回は遂に、寺田蘭世さんのお洒落について。テーマは #表現

……

…………

………………

『ブランコ』という曲は、いろんなことを成し遂げていく過程で、いくつもの武器を身に付けていく(2017年4月/BRODY)

寺田蘭世さんのアイドル人生は転戦に次ぐ転戦だった。中々ステージに立てない研究生時代に始まり、2期生として、アンダーとして、選抜として、代打屋として、サンクエトワールとして、さゆりんご軍団として、駆け抜けてきた。そして様々な曲を得て、様々な寺田蘭世を魅せてきた

そしてその中でも、私は『ブランコ』に惹かれていた。寺田蘭世は様々なステージで幾多のブランコを披露してきた。それらはどれも同じものであって、同じものではなかった。常に揺れていた。寺田蘭世さんはいつだか、人間は何らかの感情を得てグレードアップするものだと言っていた。寺田蘭世の生き方を貫く中、ブランコが揺れ動くようにその表情を変えていた

いつだってそうだった

坂を這い上がった2016年武道館のブランコは意思の塊がぶつかってきた

体調不良を押して出た2018年武蔵野のブランコにはある種の儚さがあった

新たに滑走路を得た2019年横浜アリーナのブランコは純白の正統派だった

その後も転戦に次ぐ転戦の中、ブランコは揺れながら積み重なっていた

そして卒業を迎えた2021年、最後のブランコには "全て" が籠もっていた

寺田蘭世1st写真集『なぜ、忘れられないんだろう?』


前回⇒なぜ、1+1は2ではいけないのか

次回⇒なぜ、言葉なんか何もいらないのか


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