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なぜ、1+1は2ではいけないのか

何言ったって、いろいろどうこう言われるし、言われるお仕事なので、仕方ないなって思っているんですけども。私は、こんなたとえ方して伝わるか分からないですけど、1+1が2なんて誰が決めたんだ、って話なんですよ! 私、ただのバカです。数学ができないバカです。だけど、そういうことじゃないんです。人生はそういうもので計ってほしくないんです! だから私は、1+1は、100にしたいと思います!(寺田蘭世/アンダーライブ2016日本武道館)

かの有名な通称 "炎のスピーチ" だ

寺田蘭世さんの逸話の中ではたぶん1番有名なものであり、アイドル寺田蘭世の熱さを象徴する一幕とも言われるが……、実はここに1つ疑問点がある

なんでこんなこと言ったんだろ、この人

おまえ何年ファンやってんだよって言われそうだが、実はまあまあ長い間これが引っかかっていた。このスピーチにはイマイチ "フリ" がない。ニュアンスとしてはなんとなくわかるのだが、それ以上のことがわからない。よくよく考えると、なんで急に蘭世さんがこんなこと言ったのか微妙に判然としない部分がある

炎のスピーチ全文

なんで足し算なんだろう。1はわかる。1は。ゼロやマイナス以外の整数の中で最も小さいのが1なので、最弱のアンダーセンター=寺田蘭世を例える概念として数字の1を出したのはよくわかる。たぶんそれで合ってる

なんでわざわざ足し算したんだろう。直接、この1を100にします!ではダメだったのだろうか。自分の他にアンダーメンバーがその場にいたからだろうか。個々人で高まる話にも聞こえるし、みんなで高まる話にも聞こえるが、その答えは……いや待て待て。そういうことじゃない

私がこのときホントのホントに気になったのは、寺田蘭世さんが実際どういうつもりで言ったかよりも、あの土壇場でこれをぶん投げてくるその女(ひと)の、唯一無二の在り方だったのだ。世の中いろんな例えがある中、あの言い回しが一番しっくりくるような人間とは? 1+1が2じゃダメな人間とは?

今回はそれを考えていきたい

そしてその為には寺田蘭世という人間を過去から遡ってじっくり考える必要が出てくる。具体的にどこまでかというと、今回は乃木坂加入時まで遡る

丁度一年前の私は勉強頑張ったって皆には勝てない 運動したって駄目駄目 本当に何も出来なくて周りの皆にも飽き飽きされていました。「何もできない」焦りからかこればかりが頭の中にありました。14歳ながら真剣に今後の人生について悩みました。なら私は普通の子にはできない事をしよう そう思いました。その時出会ったのが乃木坂46二期生オーディション 私にはこれしか無い! 確信しました(寺田蘭世/2014年1月10日/乃木坂個人ブログ)

進路を考えだす中学2年の終わり頃に、運動神経も頭もよくないから、周りの子たちに『何するの? どこに行くの?』みたいに言われるのがすごくイヤで。そんな自分に納得いかなくて、"みんなにできないことをするんだ!" って思ったときに、たまたま見つけたのが2期生のオーディション募集だったんです(寺田蘭世/2018年5月/blt graph vol.31)

このエピソードは寺田蘭世検定でも初っ端に出るやつで、私自身、いろんな媒体で10回ぐらいは聞いた覚えがある。ほぼ寸分違わず同じことを言っていた

寺田蘭世さんはいわゆる "弱キャラ" だった。幼い頃から個性的で周りから浮きがちであった一方、学校のものさしで測ると小さくて弱かった。その、何もできないという自分自身への無力感をバネにして、我が身1つでオーディションに突撃したのが寺田蘭世という人だ。そしてそう聞くと、当然1つ気にかかる

みんなにできないことってなんだ?

オーディションを通過してアイドルになった時点でまあまあレアな人生だが、そこで満足する人間でもない。ある意味、極めて貪欲なのが寺田蘭世だ

絶対に 乃木坂46のセンターを目指します!(寺田蘭世/2013年8月14日)

みんなにできないことをすると啖呵を切った以上、(乃木坂46に入ったあの当時の段階では)最も直感的なこの大目標を掲げるのは必然だったのかもしれない。元より「やるからには最高を目指す。ただそれだけだ」という宝塚の言葉を敬愛する蘭世さんだ。ただ、私はその奥にある動機も気になっていて……

いずれせよ、アイドルグループで何かを成そうと志すなら、人々の視界に移るほど輝かなければ何も始まらないのが現実だ。そしてそのためには、

 自分の "個性" をアピールしていく必要がある

そしてここでの個性とは、人目を惹き付け、誰とも被らないような、世の人がこぞって求める素晴らしい個性であることが望ましい

……ん?

よくよく考えると、それがまず大きな問題だった。オーディションの日からいくらか時間が経過した2013年5月6日、遂にお披露目の日を迎えた寺田蘭世。そしてその日、乃木坂1期生がしのぎを削るイベントがあった

プリンシパル

簡単に説明すると、昔のスポ根漫画だった頃の乃木坂46の偉い人が考えついた、人の心をどこかに置き忘れたありがたい成長イベントだ。数多くのメンバーが舞台に対してトラウマを抱き、その後、別の舞台でトラウマを払拭して成長を遂げている。酸素の薄い高山地帯でしばらくトレーニングを行うと、下山してからマラソンのタイムが伸びる理屈とだいたい同じだ。たぶん

今でも新人研修の一環として開催されているが、過去のそれは黎明期特有の大雑把さがあったようだ。その第2回に蘭世さんは居合わせて、そして、

そこには怪物がいた

乃木坂46でも最強と名高い人であり、先日、卒業を発表した生田絵梨花さん。(このテキストの趣旨がブレないようなるだけ短めに説明すると、)幼少期から異常な密度で習い事を積み上げ、アイドル界ではズバ抜けた音楽能力を筆頭に、幾多の武器をその身に宿した凄い人だ。しかも精神力もすごい

技術力は勿論のこと、持って生まれたキャラクター性も乃木坂随一。何かに成功しても失敗しても盛り上がる方向に話が進む。しかも精神力も凄い。

生田絵梨花さんがライブの中心に立つと、時空が歪んでグランドピアノと楽団一式が召喚されるのだから堪らない。天気も変わる。文句なしの強キャラであり、寺田蘭世さん自身も深く尊敬している人だ。しかも精神力も凄い

プリンシパルで無双していた生田絵梨花さんを筆頭として、乃木坂46には個性的な人達がゴロゴロしていた。数年後、天下を取るのだけのことはある。

その上、乃木坂46には齋藤飛鳥さんがいた。後の超売れっ子であり、いくつかの要素がだだ被っている。しかも飛鳥さんの方が遥かに器用であり、優秀なオールラウンダーだった。それゆえ寺田蘭世さんの(アイドルとしてなら価値を持つ)体型や挙動においてすら、後から来た者には厳しい環境だったと思う

 個性を武器とするアイドル界の中にあって、寺田蘭世さんの初期装備は貧弱と言わざるを得なかった。 "特技はない" で始まるアイドルはそれなりにいるが、その中でも筋金入りなのが蘭世さんだ。後のMVでは、水筒1つをぶら下げてドラゴンを追っかけた寺田蘭世。その初期装備はフラフープと輪ゴム芸だった

水筒の方がマシじゃね?

水筒の水は喉をうるおせるし急場では鈍器にもなる。一方、フラフープと輪ゴム芸が世間でハネるとは微塵も思えない。私は蘭世さんのフラフープや輪ゴム芸もホントは好きなのだが、激弱と言われたら反論する気は特にない。後は宝塚要素もあるにはあったが、あくまで "憧れ" の域に留まっていた感がある

そもそも寺田蘭世さんは、先の2期生募集オーディションでは "特技はありません!" と堂々言い放ち、何の因果かそのまま合格しちゃった人なのだ。特技という、技術や体力でパッケージ化された個性の投げ合いで勝てるハズもない。そこで勝てると自信満々な人間ならそもそもオーディションには来ていない

事実、寺田蘭世さんは2015年6月14日の乃木坂工事中にてフラフープを披露したのだが、フラフープ大喜利を始めた1期生に見るも無惨なレベルでわからされていた。その後、別の番組で改良型のフラフープコール(フラフープしながら "らんぜの勢いとまらんぜ" をみんなでやる)を披露したのだが、盟友・中元日芽香さんのひめたんビームでワンパンされて爆発四散。輪ゴム芸の方も、おはスタ出演時のCM前後に一瞬映ったぐらいで、特にハネた記憶はない

そしてプリンシパル。2014年5月、寺田蘭世さんは第3回を迎えたプリンシパルに出場した(残念ながら、そのときの光景が一体いかなるものかを私は直接観ていない)。ただ当時のブログを読む限り、爆発四散どころの騒ぎじゃなかったのは伺える。寺田蘭世さんは愚直な真っ向勝負の末に全戦全敗。齋藤飛鳥さんに支えられ、号泣しながら舞台袖に消えていったそうだ

寺田蘭世さんはその後、「プラスに取れば唯一2幕に出れなかったメンバーです」という、もはやポジティブなのかどうかもよくわからない名言を残している

オーディションのときから 皆特技とかあったり、歌上手かったり、ダンス出来たり 才能のある子達ばっかりだった 今いる2期生だって皆それぞれ凄くって 自分は何で選ばれたんだろうって でも、選んでくれたって事は私にも何かあるって事だと思ってます まだ、お馬鹿さんな私には自分で自分の事気付けてないだけでもっと色んな事経験して自分なりに頑張ったその先何かがあるんだと思います(寺田蘭世/2014年6月17日/乃木坂個人ブログ)

元より、取り柄のない自分の現状を憂いて、乃木坂46のオーディションに特攻したのが寺田蘭世さんという人間だが、アイドルになったからといって瞬く間に問題が解決するわけでもない。個性の火力不足という問題が依然として存在する。こうして遡っている間に、なんとなくあたりがついてきた

いっぺん話を戻そう

なぜ、1+1が2ではいけないのか

1+1=2に満足できない人間とは何者なのか

仮説①:自分のことを「1」の集合体だと思っている人

世間一般のものさしで計ったとき、当時の寺田蘭世さんは "1" が多かった。単体で "10" や "50" になる強い個性が幼少期から露わになっていたなら、それを武器として振り回せばいい。わざわざ足し算に文句を言う必要などない。個々の数字が大きければ大きいほど、単純な足し算にすることが有利に働くからだ

人にはそれぞれ、気に食わない常識というものが1つや2つある。広く「常識に囚われるな!」と主張する人でも、そのとき例示する常識で何かが垣間見える。それこそ1+1=2を引き合いに出す人には、1+1=2という定義に対して何かしら愉快じゃないなって感じる瞬間があった筈だ

自称 "数学ができないバカ" こと寺田蘭世さん自身が、何をどこまで意識していたのか。それはわからない。ただ少なくとも、あの土壇場であの発言に至る人は、1と1を足してさも当然のように2になる世界に決して満足していない

寺田蘭世は死ぬまで満足しない。そして、自分を諦めない

寺田蘭世さんは自分の個性を大事にしている人だ。その一方で、中々、自分に胸を張れない人物でもあった。この相反した状況の中、寺田蘭世さんは "寺田蘭世" を決して諦めなかった。当時の発言の数々から、出来の悪い自分に嫌気が差していたのは伺えるが、蘭世さんは決して自分を諦めなかった

寺田蘭世さんは一筋縄ではいかない人だ。今いろいろ書き綴っている私としても、100%の自信を持って「この人はこうなんだ!」とは中々言い切れない。それでもただ1つ、自信を持って言えることがあるとしたら、それは、

寺田蘭世は寺田蘭世を諦めなかった

生きていく中で、何かを諦めないといけないことは蘭世さんにもいっぱいあったハズだ。むしろ人一倍あったのではないだろうか。ただ、寺田蘭世が寺田蘭世として生き抜くことは決して諦めてない、そんな風に感じられるのだ

そしてこのことはもう1つ。先程の「1+1=2では満足できない人間とは?」に対する、もう1つの見方にも関わってくる

仮説②:自分の中で足し算を試みている人

あの土壇場で足し算への異を唱える人は、元より何らかの足し算をする気のある人間なのではないか。もしそうなら、その足し算とは何なのか

寺田蘭世さんは個性を大事にする人であり、ひいては多様性を大事にする人だと今まで言及してきた。多様性。これは人と人との間のみならず、寺田蘭世さんという1人の人間の中であってもそうだった。この8年半の間、自分の中の多様性=様々な側面を1つ1つ、切り捨てずに生きている人だった

人は誰しも自分の中に様々な個性、特徴、側面を有している。そうすると、その中から自然とセンターな個性が生まれる。主力と呼ばれるフロントがいる。虎視眈々と上を狙っている2列目がいる。局地戦で必要とされがちな3列目もいる。中々スポットライトを浴びない中で奮闘するアンダーな個性もある。そしてそれらが混然一体となって輝くからこそ真に魅力的な存在になる

寺田蘭世46だ

寺田蘭世さんは自分の全てを大事にしている人だった。世の中が自分の一側面しか見ていないと気づくや、角度を変えて自分の様々な側面を万華鏡のように映し出していく。寺田蘭世という人は、1つ1つの自分の個性を大事にしていて、それら全てを足し合わせた人間の全体像を魅せることに尽力していた

それゆえに、

仮説③:1人の人間として丸ごとぶつかっている

気づいたのが、可愛い人は世界中にいるし、歌が上手い人もダンスが上手な人もいるじゃないですか。でも、性格や内面は絞られるし、私はそこを一番大事にしたいと思っているんです。オーディションのときもまわりの子は「ピアノできます」「バレエができます」と特技を披露していたけど、私は取り柄がないからこそ中身を見てほしいと思っていました(寺田蘭世/2018年3月/月刊エンタメ)

前回のおさらいになるが、寺田蘭世さんは自分の本心を隠さない人であり、中身を示していく人であり、魂でぶつかっていく人だ

先程の仮説①と②も "自分の中身を示す" という発想への繋がりがあるように思える。①については「特技がない」⇒「内面を示す」とシンプルだが、②についても私はそう思う。一口に中身を見せると言っても内面の個性は直接目には映らない。しかも内面とは揺れ動くものであり一色で語れるものでもない。そしてだからこそ、1つ1つ、自分の多彩な在り方を外に見せるという行為そのものが、 "中身を示す" ことに直結していた。突出した個性を1つ推し続けるのと比べても、自分の中の多様性を示した方が心の輪郭が見えてくる

寺田蘭世は隠さない

「本来、人間にはこんな部分もあるだろうな」という性格を隠していないだけなんです(寺田蘭世/2019年10月/OVERTURE)

個性にこだわる寺田蘭世は、究極的には人間にこだわる人だった。アイドル云々を超えて人間としてぶつかりたいからこそ、人間としての魅力を隅から隅まで絞り尽くす。単純明快と言えばあまりに単純明快だが、寺田蘭世さんのそれは一事が万事徹底していた。生真面目の一言では名状しがたいものがある

寺田蘭世という人はバカなんだと思う。野球バカ、役者バカ、料理バカがいるように蘭世バカがいて、そして人間バカだった。1人1人違う人間なのだという、当たり前であって当たり前じゃない事実に誰よりもこだわっていた。たとえちっぽけであったとしても、その可能性を決して諦めなかった

個性を大事にして生きる、多彩な自分を表現する、本心で語る、中身を見せる、魂をぶつける……、それらは全て一本の線で貫かれていた。時に熱く、時に優しく、時に勇ましく、時に迷っていて……etc.  その複雑な内面から生まれる多彩な言動の1つ1つが、見る者の頭の中で混ざり合い "寺田蘭世" となっていく

あらゆる自分を1人の自分として共存させることに関して言えば、寺田蘭世はびっくりするほど精度の高い人物だ。寺田蘭世の言動に繋ぎ目はない。全身全霊の直球勝負。人ひとりの中身がどれだけ愉快であるかを示していく。かつて、自分は何もできないやつだと途方に暮れていた人の、たった1つの戦い方

寺田蘭世は内から外まで丸ごとぶつける道を選んだ

私がこの仕事をやろうと思ったのも もっと自分の在り方について私みたいに悩んでる人が居たら 個性は大切、悩まなくていいよって示せる人になりたかったからというのも一つあります。(寺田蘭世/Instagram Stories)

潰しが効く特技がなくて、ホントは怖がりで、自分を信じきれてないのに、寺田蘭世が寺田蘭世であることを決して諦めない。自分と同じような悩みを持つ人、現状を変えたいと願っている人、その想いさえも背負い、寺田蘭世さんは "蘭世" というたった1つの武器を無数の個性として映し出してきた

その1+1が2であるわけがない

そして少しずつ、寺田蘭世さんは自由になっていく。乃木坂46の制服を越えた世界。幼い頃から大事にしていて、組み合わせで成り立つ個性の表現。それこそがお洒落だ。寺田蘭世1st写真集『なぜ、忘れられないんだろう?』でも存分に表現されている、寺田蘭世本来の領域。蘭世はオシャレさんだ!

ただ、残念なことに私はファッションに詳しくない。なのでまず段階を踏んで、寺田蘭世さんが個性を育む際の在り方について考えていく。寺田蘭世はいかにして高まってきたのか。次回のテーマは #貫徹#直感

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一口にセンターを目指すと言っても、その動機は人それぞれいろいろある。真ん中で輝きたい、単純に目立ちたい、人の上に立ちたい、お金を稼ぎたい、テレビで憧れたあの人のようになりたい……それ自体は別になんでもいいと思う。大事なのは、その意思を糧にして何を示していくかだ。そして寺田蘭世さんは、センターを目指す過程の中で、いくつかのことを念頭に置いて活動していた

寺田蘭世で生きる人生は1度きりだからたくさんの事を経験したいっと言うのも1つの理由でした。ですから、今年はもっと色んな事を経験したい!更にいろんな世界を見ていきたいです(寺田蘭世/2016年4月8日/乃木坂46個人ブログ)

「あれがしたい、これがしたいというものが色々とあって、それを全て実現する」には、センターになることが必要だと寺田蘭世さんは語っていた。その意味で、センターは目標であると同時に何かへの入り口だった。もとより、自分の人生を拓くためにアイドルになった人だ。そしてもう1つ、

私がこの仕事をやろうと思ったのも もっと自分の在り方について私みたいに悩んでる人が居たら 個性は大切、悩まなくていいよって示せる人になりたかったからというのも一つあります。(寺田蘭世/Instagram Stories)

自分の個性に迷っていた寺田蘭世だからこそ、自分の個性を拓いてきた寺田蘭世だからこそ、みんなに言いたいことがある。言えることがある。私のような自分に自信のない人間からすると、その営みには何よりも重みがあった

#つよがりヒロイン の「ヒロイン」は、「ヒーローの横にいるかわいい女性」じゃなくて、そのものズバリ「女性のヒーロー」だった

残念ながら、寺田蘭世さんは選抜のセンターにはなれなかった。ただ、寺田蘭世さんを長らく観てきた私の心は少し軽くなった。一期一会の人生を全うし、唯一無二の自分を貫く。その生き方にちょっとでも近づきたくなった。そんな人間が私の他にも幾人かいたのなら、それはきっと、寺田蘭世の勝利なのだと思う

寺田蘭世1st写真集『なぜ、忘れられないんだろう?』


前回⇒なぜ、嘘っぽい言葉はいらないのか

次回⇒なぜ、その女(ひと)はその女(ひと)なのか


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