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「挨拶」再考

珍しく、連続投稿しているこむらさきです。

皆さん、挨拶してますか?私は出来るだけしようと心掛けていますし、皆さんもきっと挨拶をごく当たり前のように行っていると思います。しかし、最近自身の専攻している人類学について理解を深めていくうちに「挨拶」という行為は決して簡単なものではないのではないかと思うようになりました。ということで、思いがけなくシリーズ化しまった考察シリーズ第二弾では「挨拶」について私自身が考えたことを相変わらずだらだらと語っていきたいと思います。

(良ければ第一弾のこちらの記事もご覧くださいませ。)

(語調がですます調でなくなりますがどうかお気になさらず...)

では、どうして「挨拶」というごく日常にありふれた行為が難しく感じるようになったのか?そのように感じたのは遡ること約一年前、とある人類学の授業でのことである。

挨拶することは難しい

授業中にとある課題文を読んで、この十文字を見た際、自分が困惑を覚えたと同時にどこか府に落ちる部分もあったことを覚えてる。(著名な言語学者ということまでは覚えているが、どなたが執筆されたかまでは覚えていない...) 

挨拶といえば私含め、皆さまの多くが何気なく行っている行為に対し、「難しい」という感情を抱く方がかえって「難しい」ことだと思われる。他方で「そういえば、数年前に住民同士の挨拶禁止にしたマンションがあったな...」ふと、そんなことを思い浮かべた。恐らくこれが自分の中でも府に落ちた理由だと思うし、挨拶という行為が「難しく」なりつつあると(自分なりに)考えた要因のひとつであるようにも見えた。

「挨拶禁止?はぁ?」そのマンションに関する記事を読んだ際、ふとそのような感情がわいてきた。何故なら、挨拶という行為は私自身一マンションの住民であるが普段から行っているものだし、ご近所様も、そして家族も自分と同様にやっていたからである。但し、不審者という曖昧な定義が拡大しつつある風潮の中でそのようなルールを設けることは決して不自然なことではないし、そのマンションもマンションなりの事情があってそうしたのだろう。

唐突ではあるが、今年の夏休みに人類学の実習の一環として様々な方にZOOMを使ってインタビューする機会があった。noteの読書である皆さんがご存じないことはないとは思うが一言で言うとPCやスマートフォンのカメラを用いたビデオチャットアプリの一つだ。(恐らくZoomよりかはSkipeの方がこの手のアプリは知られていると思う)

この手のアプリで困ることは、親しい仲ならまだしも初めてお会いする方とどうラポールを築くかである。(ラポールというのは調査者と調査される者(インフォーマント)との親密・信頼関係の形成のことである)このラポールと呼ばれる関係をどこまで調査者とインフォーマントとの間で築けるかによって、調査の質が変化すると人類学者の間では言われている。対面でインタビューを行う場合とオンラインで行う場合において一番異なる点はいきなり調査者とインフォーマントの目が合った状態から始まる点にある。よく、日本では「相手の目を見て話しなさい」とは言われているが実際どれほどの人が初対面である相手の目を見て話しているだろうか?私も挨拶する時も含め相手の目を凝視することはないし、寧ろ、仮に相手の方からされたら警戒してしまう。私自身相手に心理的プレッシャーをかけないようにするためにも出来るだけ目合わせるよりかは胸元辺りに視線を置くように気を付けているつもりではある。

話をZoomでのインタビューに戻そう。先に述べた通りオンラインでのインタビューは対面でのそれと比べた際に大きく異なるのはお互い目が合った状態から開始されることである。加えて、その状態がどちらかがアプリを停止するかカメラの画角内から出ない限りその状態が維持される。そのためZoomを用いた会議は対面で行うよりも心理的負担が大きく、Zoom Fatigue (和訳Zoom疲れ)と呼ばれるものがあるぐらいだ。

では、このZoomでのインタビューと「挨拶」の難しさはどう関係してるのであろうか。それは再度に渡って述べてきたいきなり目が合った状態から始まるというアプリのシステムに所以する。対面でインタビューしかり、日常生活で相手に対して「挨拶」する際、相手をある程度の距離から視認した状態から始まる。なので「挨拶」をするこちらも、そして「挨拶」されるあちら側もお互いの様子を(立ち振る舞い等から)ある程度は察しがつくし、その相手が仮に初対面であったとしても服装や出で立ちを「挨拶」する前に観察することである程度構えることができる。他方でオンラインで「挨拶」をする場合、いきなり目が合った状態からしなければならない。それ故、相手に対して事前情報なしにどの程度の距離感を保てばよいのか互いにわからないまま始めなくてはいけないのである。

先の例はZoomでのインタビューというある程度(調査の一環という名目や事前にメールでやり取りしているという意味で)調整された空間における「挨拶」という行為であったが現実の空間でもその様な状況が起こりつつあると感じることがある。そう、アレが登場したことによって。

最近(というよりここ数年)電車に乗る機会がめっきりへってしまったが、それでも電車に乗るたびスマートフォンと睨めっこしている乗客を見ることが殆どだし、かく言う私自身もその一人である。ここ数年に渡り歩きスマホと呼ばれる行為が問題になるほど、身近になったスマートフォンであるが、私自身含め多くの人がスマートフォンの画面に映る世界に隙あれば逃避できるようになってしまった。そのため、相手の顔を見るどころか自身の存在すら消し去ろうとしているといっても過言ではないだろう。ここで、Zoomでのインタビューを振り返ってみたい。Zoomなどオンラインでのインタビューは相手と目が合った状態から始まるとしつこいほど書いてきたがそれは調査者がいる空間とインフォーマントのそれをボタン一つで無理やり接続する行為そのものである。これをスマートフォンを使った状態での現実空間での「挨拶」に置き換えてみよう。私(もしくは相手)がスマートフォンを使っている相手(ないし私)に対して「挨拶」という行為をすることは言い方は悪いが

私と相手という現実空間スマートフォンの画面上における私的空間

を無理やりつなげることそのものである。これが最近「挨拶」という行為を難しく感じさせている要因なのかもしれない。私自身、自分の空間に入り浸っている際に他人から干渉されることを快いとは思わないし、相手のそれをわざわざ自分から侵入していこうとも思わない。しかし、それは健全な状態であるといえるのであろうか?(これをどう思われるかは読者の皆さんに託したい)

と勝手に思った今日この頃であった(しらんけど)

p.s.なんか雑な終わり方ですいません。次回こそスコッチの続きの記事だしますので何分お許しを…


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