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よいと思うものを、じっくり味わいながら、”少量”消費するということ。


2080年には、コーヒーを楽しめる人はごく一部の裕福な人間に限られるか、さもなくばすでに絶滅し、思い出のなかの嗜好品だろうと予測されている。大手コーヒー関連企業の上層部ですらその懸念を口にし始めている。というのもその予測はぼんやりとした未来予想図というものではないし、下り坂は既に始まっているのだ。(「世界からコーヒーがなくなるまえに」(p205-206))


「世界からコーヒーがなくなるまえに」という本を読んでいる。ノンフィクションライターと、コーヒー業界に20年携わってきたコンサルタント、2人のフィンランド人がオーガニックで持続可能なコーヒー栽培についてブラジルの農園を取材し、書き表した本だ。

日本語訳版はセルボ貴子さんが翻訳して去年の11月に出版された。noteでフォローしている「北欧語書籍翻訳者の会」でフィンランドの書店の現状について詳細に書いていたセルボさんに興味を持ち、彼女の翻訳本を調べたらこの本が見つかり、コーヒーには元々関心があったので購入した。


あらすじ

この本の著者のラリ・サロマーさん(ラリ)とペトリ・レッパネンさん(ペテ)はフィンランド人の男性で、ラリは20年間コーヒー業界で働いた経験があり、ペテは出版社に勤めるノンフィクションライター。2人は学生時代のルームメイトで、多くのフィンランド人同様、コーヒー好きだ。物語は2015年、ヘルシンキのメキシコ料理屋で、「大量に消費される安価なコーヒーを普通のコーヒーだと思っているフィンランド人の意識を、どうすればサステイナブルな方向に進めることができるのか」を2人が話し合うところからスタートする。

世界一コーヒー消費量が多い国から2人が向かった先は、世界一コーヒーの生産量が多い国、ブラジルだった。かつては質の悪い豆が多いと批判されることも少なくなかったブラジルに、土壌を大切にし、アグロフォレストリーでコーヒー豆を育てるファゼンダ・アンビエンタル・フォルタレザ(FAF)農場がある。オーガニックなコーヒー栽培の伝道師でもあるFAF農場の親子らを、著者の2人は実際に農場に足を踏み入れながら取材していく。


サステイナブルなコーヒー生産の難しさ

本によれば、コーヒー栽培には多量の水分と土壌の養分が必要だが、収穫の効率化のためにコーヒーの木をまっすぐな畝に植えると邪魔な木をすべて切り倒すことになり、自然の多様性が損なわれる。またコーヒーの木にとっての木陰がなくなり直射日光にさらされるため根が吸い上げる水分も、地表近くでは得られにくい。そのため、大量の灌水が必要になる。

さらに、土壌が豊かな火山灰地がコーヒーの生産に適しているが、気候変動によりさび病などの病害が出やすくなってきている。

FAF農場のマルコスさんによると、土壌に手をかけたとしても、同じ場所は70年しか使えず、一定期間土地を休める必要があるという。化学肥料を使用したり、収穫の効率化のために他の作物を切り倒してしまった場合には、当然、より短い期間しか使えなくなる。

一方で、他の作物を日陰として、あるいは枯れたあと堆肥として使うなど、植物の多様性を生かした有機農法では手積みになるために、豆の収穫量は少なくなってしまう。


毎日飲み続けていい?

好きな人間からすれば毎日飲みたくなるコーヒーだけれど、この本を読んでいくうちに果たして毎日何倍も飲んでいいのかという疑問が出てくる。ぼくは、飲まない日もあるけれど、平均して1日あたり2~3杯はコーヒーを飲んでいる。カフェで飲むこともあれば、家でハンドドリップや、インスタントのコーヒーをカフェオレで飲んだり、仕事の日はコンビニのコーヒーや、最近はめったに飲まないが自販機の缶コーヒーを飲むこともある。

4杯以上飲むとカフェイン取りすぎな気がするので、これでもセーブしているほうだけど、コーヒーの未来のことを考えるとそれでも飲みすぎなのかもしれない。


たまに飲むからおいしいと思える

カフェイン中毒気味だと感じたときにしばらくコーヒーを飲まない期間を設けることがある。しばらく間を空けて久しぶりに飲むと、やっぱりいつもよりもおいしく感じる。食べ物も娯楽も、なんでもそうだろうけど、毎日摂取することによって、好きなものを当たり前にしてしまうのは、実は少しもったいないことなのかもしれないし、コーヒーという楽しみを50年後の人類にも残しておくためには、良いものを時々、あるいは少量ずつ飲むことを意識するべきなのかもしれない。


少ない消費量で満足するために

新型コロナウイルスのために、家で過ごす時間が多くなった人も多いと思う。外出して外で遊んだり、買い物をする機会が減ったことで、今あるものを使って、家で何かを楽しむ時間が増えた人も多いかもしれない。

コーヒーに限らず、これから地球環境がますます危機的になり、それに伴って環境保全が重要視されていくなかで、誰しもが消費について考えることになり、全体的に、好きなものの購入や消費を減らしていく方向に進んでいくんじゃないかと感じている。

好きなものの消費量を減らさないといけないからといってその分不幸になるとは全く思っていなくて、コーヒーに関していうならば、飲み方にこだわってみたり、ゆっくりハンドドリップで淹れて飲む前の時間も楽しんでみたり、豆の産地やコーヒーの生産について学んでストーリーを理解することで知的にも満たされる、というようなことをすれば、1日3杯飲んでいたところを1杯にしても同じくらい満たされるんじゃないだろうか。量を減らした分、少し高い、「オーガニック認証かつフェアトレード」の豆を選ぶことで、「好きなものを大事にしている」という、いうなれば「愛する喜び」のようなものも得られるだろう。

コーヒー以外でも時間をかけて、好きなものをじっくり味わったり、楽しみ方を増やすことができれば、たとえ量が少なくても満足するできるはずだ。

自分が消費しても問題のないもの(サステイナブルであったり、希少価値が高くないもの)を問題のない量だけ消費するという制約のなかで、いかに満足感を得ることができるか。それがこれからの消費者に試されているのなのもしれない。




たまには遠くを眺めてぼーっとしようね。