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「カフェラテの意識」でNPOのボランティアを語ってみる



歴史のおもしろさを伝えるpodcast "COTEN RADIO"を僕はよく車の中や散歩中などに聞いているのですが、3人のメンバーが番外編で語る自身の考え方に共感したり、気付きを得たりすることが多くて、番外編も毎回必ず聞くようにしています。

5月27日配信のCOTEN RADIOの番外編で、樋口さんがpodcastの配信方法や番組制作のコツについて伝えるオンライン塾を無料でやっている理由を深井さんに聞かれて、「その人ができないと思っていたことができるようになるのが感覚的にすき」、「人が何かから自由になれるようなことをしたい」という話をしていました。

それを聞いて、自分が本業の傍ら携わっているNPOのボランティアがおもしろいと思うのも似た感覚かもしれない、と思ったんです。今回はそのボランティアの話をします。


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僕がこれまでやってきたそのボランティアは、「目の前の人の話を聞く」ということから始まります。その人が暮らしている場所にお邪魔して、その人が普段なかなか話すことができないような困りごとや生活のニーズを聞く。なかなか本題には入らずに、久しぶりに友人に会ったときのようにひたすら雑談をしてくれる人もいれば、まとまらない思いを、どうにかわかってもらおうとして一生懸命伝えてくれる人もいます。

普段、周りにゆっくり話を聞いてくれる人があまりいなかったり、そもそも「自分の気持ちを素直に話してもいい」とすら思っていなかったりもするので、話をしてくれた時点ですでに、「できないと思っていたことができるように」なっているのかもしれません。話すことに喜びを感じてくれている、その表情を見るだけで、ここに来て良かったなと感じます。

その人の希望を聞いて、普段の暮らしを希望に近い形に整えていったり、別の環境に移ったりすることを、普段その人の周りにいる人たちとも話し合いながらサポートしていくのが、僕が関わっているNPOが取り組んでいるボランティア活動のひとつです。

「できないと思ってたことが、実はできるかもしれないことだったんだ。」

「自分の暮らしをこんな風に変えていきたいって主張してもいいんだ。」

と知ってもらうことは、福祉の分野では権利擁護(アドボケイト)と呼ばれるものに含まれ、当事者がニーズを主張していくための最初の段階として大切です。自分の正直な気持ちに気づいてもらわないと、やりたいことを主張していくことはできません。


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ここまで読んできて、僕がどんな場所でボランティアをしているか、なんとなく想像がついた人はいるでしょうか。医療関係者や、福祉の仕事をしている人は、もうわかったかもしれません。



僕がボランティアで訪れるのは精神科病院で、話を聞きに行っているのは精神科病院に入院している方たちです。

精神科病院は本来、精神疾患を抱えた人たちが治療を受け、療養する場所です。だけど日本では、病院が閉鎖的な環境であること、スタッフの人員配置に余裕がないこと、その他さまざまな理由から、長時間の身体拘束や過度な行動制限、何十年にも渡る長期入院など「人権侵害」と呼ばれることが今も起きています。


風通しの悪さや、「管理」の考え方が強すぎるために人道的に問題な事件が起きている点などは、最近よくニュースやテレビ番組で取り沙汰されている入管の問題とも共通した部分があると感じています。

精神科の課題についても、多くの方々や団体が状況の改善に向けて働きかけているのですが、抜本的な改善が起きるまでには、まだ遠いようです。

そして多くの支援団体に共通する課題が、資金不足や人手不足による運営の難しさです。僕が面会活動をしているNPO法人大阪精神医療人権センターも、ボランティアや資金が不足している状況です。



ところで、「精神科病院」とか「人権侵害」というワードを読んで、皆さんはどんな印象を持ったでしょうか。少し心理的なハードルを感じませんでしたか? もしかしたら、途中で読むのをやめてしまった、あるいはスクロールする手が一旦止まった、という方もいるかもしれません。

”精神病”というものに対して強い偏見があった時代はさほど昔ではないですし、今でもネガティブなイメージを持っている人はきっとたくさんいるでしょう。子どものころから精神病が身近な存在だった僕にはその境目がわかりませんが、うつ病は自分もなりうる身近な病気、と捉えられるけど、統合失調症はよくわからない怖いもの、だったりするのでしょうか。


日本の精神科病院(クリニックと違って入院病床のある病院)は一般の人が自由に出入りするのが難しいところが多いです。だから、知り合いや家族に入院した人がいて見舞いに行く機会があれば別ですが、縁のない人たちにとっては謎な世界なんじゃないかと思います。

多くの人にとって、精神科の中、というのは想像のつきにくく、そしてとっつきにくい世界なのかもしれません。

(精神科病院の中に入ったことがない方で、気になった方はぜひ一度こちらの映画の予告編を覗いてみてください。大阪の堺市にある精神科病院の内部の実際の様子が、「オキナワへいこう」というドキュメンタリー映画に映し出されています。)


そして”閉鎖性”や”とっつきにくさ”が、精神科病院が抱える様々な問題の要因になっていることも、おそらく事実です。

たとえば精神科病院がもう少しオープンな、外の人にも開かれたものになって、内外の人が交流する機会が増えれば、入院患者さんが病院の外の地域の人たちとのつながりができるかもしれません。そうすれば、外で暮らすときに頼りになる人が見つかって、身寄りのない、長期入院の患者さんにとっても、退院という選択肢が現実的なものになる可能性だってあります。もちろん、興奮した状態の方が気分を落ち着かせるために、刺激の少ない閉ざされた環境も、精神科のなかに必要ですが。

精神科病院の内部での人権侵害は、とても大きな問題だし、できるだけ早く解決されるべき問題だから、多くの人に知ってほしい、関心を持ってほしいとずっと思っていました。だけど「精神科病院の人権侵害」という言葉の”とっつきにくさ”が、僕自身が周りの人たちに向けて発信することの大きなハードルにもなっていたんです。

だからこそ、このnoteでは、精神科に入って患者さんの話を聞くことのおもしろさを、面会ボランティアの魅力を最初に伝えたいと思いました。


タイトルに書いた「カフェラテの意識」というのは、最近オンラインショップをオープンしたバリスタの友人が、以前、noteに書いていた言葉でした。


ぼくたちはさまざまな段階の中で何を伝えるべきなのか整理し、理解しなければならない。

受け手を選ぶような伝え方はできるだけしたくない。
受け手に学びがなければ伝わらないこともしたくない。
喩えるならそれはカフェラテのような存在で、コーヒーが好きになるきっかけだ。まずはお店にまた来たいと思ってもらうことが大切で、他に伝えたいことはその後でいい。”


カフェラテは、コーヒーの苦さが苦手な人にも飲みやすく、おいしい。多くの人にとって、コーヒーが好きになるきっかけになってくれる。


熟練のバリスタが一番おいしいと思うブラックのコーヒーでなくても、初めての人に喜んでもらいやすいものを提供して、直感的に「いいな」って思ってもらうこと。

これは自分の店のおいしいコーヒーを多くのお客さんに試してほしいカフェにとっても、関わってくれる、寄付してくれる人を増やしたいNPOにとっても、大事な考え方なんだと思います。

店舗を持つコーヒー屋さんなら、店舗の雰囲気や外観を整えて、初めてのお客さんにお店に入ってきてもらう。そしてその店のコーヒーを好きになってもらって、再び店に足を運んでもらうこと。

NPOなら、まず課題に興味を持ってもらった上で、魅力的な活動だな、自分もやってみたいなと思って参加してもらう。あるいは活動に参加できなくても、小額でも寄付して役に立ちたいな。と思ってもらうこと。そして、活動や寄付をまた続けたいなと思ってもらうことが大事なんだろうと思います。


こうしてnoteに書くのは初めてですが、精神科の課題は、ずいぶん前から僕の関心事でした。丁寧に考えながら発信することを、これから少しずつやっていきます。良かったらまた、読みに来てください。


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