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河合隼雄氏の愛弟子が綴る衝撃と感動のドキュメント。

「いまから母を殺しに行きます」
 
やや上気した表情でわたしにそう告げて、バッグからナイフを取り出し、この女性は立ち上がった。向かいに座るわたしを見下ろし、「いいですね」、と。

何もいえなかった。これまでなんどもなんども、くり返し、母親への憎しみを語ってやまなかったこの女性のこころの内を慮ると、応えることばがなかった。「やめなさい」などとはよもやいえなかった。そういおうものなら、「先生はわたしの苦しみをわかっていない!」と、なじってくるだろう。その姿が目に浮かんだ。

いや、正直にいえば、殺したいと思っても不思議はないだろう、そう感じる自分さえいた。しかしもちろん、それを認めるわけにはいかない。いったい、どうすれば良かったのだろう。

ある日、上司から突然手渡された原稿は、こんな書き出しで始まった。著者は、心理臨床学の泰斗・河合隼雄氏から、40年以上にわたる薫陶を受けてきた臨床心理士の皆藤章氏。

相談の主である女性は、すでに成人を過ぎており、まだ幼い頃、工事用の土砂が山と積まれた家の近くで遊んでいたとき、事故に遭って、生涯消えない傷を身体に負うことになったのだという。近所の人と世間話に興じていた母親の目が離れた隙に起きた事故だった。

決して消すことのできない過去と母親への憎しみを背負って、20年近い人生を生きてきた女性が発した冒頭の言葉に、臨床の専門家は一体どんな答えを返すのだろう。息を呑む思いで読み進めていったが、結果は予想だにしないものだった。

ナイフを手にしたこの女性に見下ろされながら、これまでの道往きが走馬灯のように浮かんでは消えていった。

いつしか、わたしの目から涙が溢れてきた。その姿を見せまいと堪えるのだが、呻き声とともに、涙は零れていった。そんな姿を、この女性はどんな思いで見ていたのだろう。きっとわずかな時間だったにちがいないのだが、途方もなく長く、苦しく感じる時間だった。そのうち、ナイフをバッグにしまって椅子に腰掛けたこの女性は、静かにいった。
 
「もう二度としません」
 
嵐の海が凪いだようだった。そんなことばが、いったいどこから生まれてきたのだろう。この女性になにが起こったのだろう。わたしにはわからなかった。おそらく、この女性もどうしてそんなことばを口にしたのか、わからなかったのではないだろうか。

衝撃のプロローグに引きずり込まれるようにして、私はその晩、原稿をめくる手を抑えることができず、深夜2時30分までかかって一気に最後まで読み終えた。何ものかに取り憑かれたかのようだった。読むことを中断することは決して許されない、そんな緊迫感で、しばらく胸がドキドキしていた。

前述した通り、本書は河合隼雄氏の愛弟子である著者が初めて挑んだ一般書である。脱稿までに丸5年。恩師から学んだ心理臨床の実践を、専門家ではない人たちにも理解していただきたいという思いから世に出したものだという。

20年に及ぶ編集者人生の中でも、味わったことのない圧倒的な読後感を抱きながら、この本は、読んだ人を必ず救うものになると確信した。一人でも多くの方に届けたいと強く感じた。

ただ、巷に溢れるノウハウ本のように、ここには何かの解決策が示されているわけではなく、即効性が期待できるものでもない。しかし、だからこそ、この本を埋もれさせてはならないという熱い思いで、いまこの文章を書いている。

たったひとりでいい、
あなたのことをほんとうに
わかってくれるひとがいれば、
あなたは生きていくことができる――。

本書に記されたこの言葉が、誰かの胸に届くことを心から願って。

『それでも生きてゆく意味を求めて』