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「笑い」を探さずにいられない病 #呑みながら書きました

domo、こんにちは!
更新まばらな幽霊noterですが、楽しげなお祭りに誘われてふらりやってきましたっ。今回もお邪魔します。いつもありがとうございます!

お供はこちらの紅茶↓
ルピシアのセイロン、ディンブラです。クセなく色も綺麗で、[The 紅茶]といいますか、品行方正な優等生タイプ。

ルピシアのセイロンTea,Dimbula


もう年末か〜
この時期はお笑いの大型大会が目白押しですね。私は無類のお笑い好き。先日開催された女性芸人の大会「W」のことも語りたい気持ちはmoutain moutainですが、ちょっとおいといて。(ちなみにAマッソしか勝たん!と思ってたyo)

笑う、という事への想いを熱く語ってみたので聞いてほしいな。

笑うことが好き。
というより日常に転がっている「おもしろ」を探さずにいられない呪いにかかっている。
フェチズム、偏愛?病かもしれない。好きに呼んでください。

大変な事が起こると、パニックを通り越しておかしくなってくるから不思議だ。

たとえば、先月からだを悪くして病院のお世話になったのだけど、


数日の間、飲まず食わずで点滴しか打ってないのに、延々と排出される尿の多さには笑ってしまった。

「どんだけでんねん!!」


頻度は1時間おきくらいにトイレに行くほどで、休みなく働き続けるマイ腎臓を気の毒に思いつつも、つい「ウケる!」とニヤついてしまった。病だ。

すいませんね、汚い話の上にエセ関西弁使っちゃって。(ちなみに関東出身)でもやっぱツッコミは関西弁の歯切れの良さが最&高なんで。

笑いは現実逃避かもしれない。
しんどさを緩和してくれる麻酔のようでもある。


6年以上前、親友Kの夫が脳梗塞で倒れ、意識不明になった。
倒れてから2ヶ月後、奇跡的に意識が戻り、彼は命と引き換えに言葉を失った。後遺症のため筋肉がうまく動かせないので、しゃべる事も体を動かす事もできない。
(初夏に友人の夫が亡くなったのだけど、別の方です念のため。てか、みんな色々ありすぎたよね。。。)

お見舞いに行くのはこちらの自己満足なんじゃないか、
健康な人間の何気ない言葉が相手を深く傷つけてしまうんじゃないか、と
余計な事をごちゃごちゃ考えて勇気が出せず、だいぶ時間が経過してから会いに行くと、Kはあっけらかんと笑ってくれた。


「うちおいで。ごはんたべよう。」

以降、「うちおいで。ごはんたべよう。」は人生で言われて嬉しかった言葉・第1位にランクイン、未だその地位を譲らず燦然と輝いている。

友達の少ない私にとって、こんな風な言葉をかけてくれる人は彼女ともうひとり、この世の中で2人だけだ。
SNSで沢山のイイねをもらうよりもよっぽど心をじんわり温めてくれる。

こんな事を言うのは下世話だけど、働き盛りのお父さんが倒れ、経済的にも、精神・肉体的にもしんどい状況なのは明らかだった。
子供は3人、上の子が中学生、下の2人は小学生。みんな良い子たちだ。
大変な事があったのに、いやだからか、彼女はよく笑った。

「旦那が胃ろうで栄養取るようになってから、肌艶よくなったわ!がはは」
*胃ろう:口から食べるかわりに、胃に穴を開けて直接栄養剤を注入すること

「子供も大きくなったのに、またおむつ使うなんてねー。しかも旦那に。おしぼり代わりに、おしりふき、使ってみる?厚手で良いよ」

「うちの旦那、うまく笑えなくて。爆笑する時は、豚鼻で”ふんが”って音ならすの。おもろいでしょ」

友人の夫Dは、体の右半分の感覚はあるけど、左半分の感覚がない。
左側をいくらつねっても叩いても、痛くも痒くもないんだとか。

「えー、ほんと!?どこが境目なんだろうねぇ」

そういって私はDの鼻をつんつん触りながら”境目”を探す。たまりかねた彼は”ふんが”と豚鼻を鳴らして笑った。

それを聞いて、Kは笑った。
つられて私も笑った。


笑うことが好きだ。先日たまたま読んだ岸政彦さんの記事に、こんな言葉があった。


辛いときの反射的な笑いも、当事者によってネタにされた自虐的な笑いも、どちらも私は、人間の自由というもの、そのものだと思う
(中略)
少なくとも私たちには、もっとも辛いそのときに、笑う自由がある。もっとも辛い状況のまっただ中でさえ、そこに縛られない自由がある

そう、笑うとは「被害者」、悲惨な状況にいる「可哀想な人」というタグづけから自由になれる行為だ。

私の目の前にいる愉快な夫婦は可哀想なんかじゃない。
どんな状況からもオモシロを見つけて、子供のように喜べる素敵な人たちだ

時折涙ぐんでしまいそうになると、必死に頬の内側を噛んでこらえた。
同情なんてできるはずもない
そんな無礼な事ができるほど、自分は偉くない

私は笑う事で大切な友人を肯定したかった。
きっと、彼女たちもそうだったのだと思う。

予測不能なパンデミックだの経済不況だの暴動だの戦争なんかが起きても
私は、オモシロを見つけては笑うだろう。これからも、きっと。

不謹慎にならないように、くれぐれも気をつけなきゃね。


[余談]
ちなみにですが、クリスマスツリーってよく考えたら面白くないですか?
偽物のモミの木にわざわざ電球巻き付けてキラキラしたモールやらボールやらをぶらさげて。
いままで綺麗だな〜としか思わなかったんだけど、よくみると、私たちは妙なものを有り難がってるな〜と思ったり。
あと、七夕飾りも折り紙で作った謎の飾り(?)とか、色々つっこみ所が多くて楽しい。すき。


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