見出し画像

病気になって「100日後に死ぬワニ」の話を思い出す*11/26追記

生きてる事は当たり前じゃないって
頭では皆がわかっているのに、普段はなかなか実感がわかないもの。
体に色々と良くない事が起こり、でもそれがあったからこそ、命には限りがある事を再認識することができました。

私の両親、きょうだいはガンを患いました。手術、放射線治療、抗がん剤を服用する様子を、近くでずっと見てきました。ガンは遺伝する・しないと専門家でもしないと言われているけど、なりやすい体質というのはあるみたいで。

わたしも手術が必要な病気になり、しばらく病院のお世話になっていました。すこし前に無事退院し、やっと日常を取り戻しつつあります。(お茶を濁す書き方でごめんなさい)

全身麻酔をして手術を行う時に「このまま目を醒さなかったら。。。?」という考えが一瞬よぎりました。
大袈裟なんですけどね

改めて、生きてるってすごいなぁ

この肉体とお別れする事可能性はいくらでもあって

でも動いている、奇跡

そんな普通のことに感激すらしちゃって。


去年だったかしら
「100日後に死ぬワニ」という四コマ漫画がツイッターで流行り、話題になっていました。

何気ない日常を送る、主人公のワニ君。
仲間と他愛のないおしゃべりをしたり、バイト帰りにラーメンを味わったり、恋をしたり。

ほのぼのとした日常シーンが描かれる漫画なのだけど、毎回四コマ目の下に「死ぬまであと○○日」と謎のカウントダウンが書かれていて。
読者は、ワニ君があと○日の命だと知った状態で読むので、何気ないシーンがぐっと胸にくるわけです。

生きている限り、必ず死はやってくる
それは日常の延長線上にあって
100日後かもしれないし
明日かもしれない


ワニ君の作品を見て、そんな風に感じた事をふと思い出しました。

自分の命が残り100日だったら、どう生きるだろう

時間の使い方はもちろん、考え方や感じ方も変わるのだろうか
以前よりも、さらにリアリティが増したぶん、しばらく考えてしまいました。

何か意義のある事したい
教育格差や子供の貧困にはずっと関心がある
もっと身近な事だと読みたい本や学び直したい事もたくさん。
オンラインで大学のコースもとってみたい。趣味を極めたい。

人生の大半の時間とエネルギーを注いできた音楽に、きちんと向き合いたい。←それな!

どれも大切に思えるんだけど、もっとなんていうか、そーゆーんじゃなくて。
意義とかじゃなくて、原始的な人間的な事したいんだよなぁ・・・

画像1

そう、そうだ!

「私にはまだ、思い残すことがある。表に出したい感情がある!」

本当は言葉にしたかったけれど、格好をつけて胸の奥にしまってきた感情たち

ふとした折に腹の底から湧き上がってくる怒り
飲み込まれてしまいそうな悲しみ
気づかないフリをしていても、どんなにポジティブな言葉で上書きしても
そういった未浄化な感情は心の海の底に沈んでいて、なくなったりはしない

もう一方で、愛情や感謝も、ちゃんとある
こそばゆくて表に出せず、すぐに隠してしまうけれど、私だって一応人間なんだもの

もし残りわずかな命だったら、それを伝えないなんて居た堪れない。
表現したいんだ!誰かに伝えたいんだ!

そんな自分の本音に気づきました。

感情の表出に関しては、noteに書く事がとても助けになりそうです。
ツイッターの140文字では、到底書き表す事ができない、
いや、たくさん文字数を費やした所で、私の稚拙な文章では感情を ”解像度高く” 表現できる気がしませんが。。。
書く事が自分自身の癒しになると思います。

何か差し迫った期限がないと、結局だらだら過ごして
毎日の繰り返しになってしまうだろうな。


↓追記部分
時間の無駄遣いも、スッパリやめたい。
毎日のようにSNSにたくさんの時間を使ってきたけど、それは自分にとって正しいことなのかしら。
フォロワーさん達の事は大好き、交流も楽しい。イイねを通じて、人を肯定したい。でも、時にトゲトゲした言葉や剥き出しの悪意、ネガティブなエネルギーにぶつかって傷ついてしまうこともある。実際にSNSを使っている時間というより、嫌な感情を引きずって感情的に消耗するマイナスが、私にとって大きい気がする。実際、1日の生産性はめっぽう下ってしまうし。


一日一日を、ひとつひとつの言葉を、もっと大切に扱えるように、何かしらの制約だとか、良いプレッシャーはないだろうか?ちょっと考えてみます。

たとえば、このアカウントをあと100日後に削除するとか...←なんて大嘘です!大切なアカウント、消したりできませーん💦

そんなわけで
本日の所は、近況報告でした。
お読みくださり、ありがとうございます。
では、また。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?